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| 友よ、もし比丘が[[paccavekkhati|精査]]するとき、これら一切の[[pāpa|悪しき]][[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[pahāna|断]]じられたのを[[atta|自己]]に[[samanupassati|見出]]すなら、友よ、その比丘は[[pīti|喜悦]]と[[pāmojja|悦]]ありて、昼夜に[[kusala dhamma|諸善法]]に[[anusikkhati|随学]]して住するであろう。\\ | 友よ、もし比丘が[[paccavekkhati|精査]]するとき、これら一切の[[pāpa|悪しき]][[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[pahāna|断]]じられたのを[[atta|自己]]に[[samanupassati|見出]]すなら、友よ、その比丘は[[pīti|喜悦]]と[[pāmojja|悦]]ありて、昼夜に[[kusala dhamma|諸善法]]に[[anusikkhati|随学]]して住するであろう。\\ | ||
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| - | 「たとえば友よ、男でも女でも装飾好きの若者は、[[parisuddha|あまねく清め]]られ[[pariyodāta|澄みわた]]る鏡や透明な[[āpo|水]]鉢に、[[atta|自己]]の顔の[[nimitta|有様]]を[[paccavekkhati|精査]]するとき、もしそこに[[raja|泥]]や[[aṅgaṇa|汚点]]を見つけるなら、その[[raja|泥]]や[[aṅgaṇa|汚点]]の[[pahāna|断]]のため[[vāyāma|精進]]し、\\ | + | 「たとえば友よ、男でも女でも装飾好きの若者は、[[parisuddha|あまねく清め]]られ[[pariyodāta|曇りなき]]鏡や透明な[[āpo|水]]鉢に、[[atta|自己]]の顔の[[nimitta|有様]]を[[paccavekkhati|精査]]するとき、もしそこに[[raja|泥]]や[[aṅgaṇa|汚点]]を見つけるなら、その[[raja|泥]]や[[aṅgaṇa|汚点]]の[[pahāna|断]]のため[[vāyāma|精進]]し、\\ |
| もしそこに[[raja|泥]]や[[aṅgaṇa|汚点]]を見ないなら、それで気に入る。\\ | もしそこに[[raja|泥]]や[[aṅgaṇa|汚点]]を見ないなら、それで気に入る。\\ | ||
| 『まさに私の[[lābha|利得]]だ、まさに私の[[parisuddha|遍浄]]だ』と。\\ | 『まさに私の[[lābha|利得]]だ、まさに私の[[parisuddha|遍浄]]だ』と。\\ | ||
| まさにそのように友よ、もし比丘が[[paccavekkhati|精査]]するとき、これら一切の[[pāpa|悪しき]][[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[pahāna|断]]じられないのを[[atta|自己]]に[[samanupassati|見出]]すなら、友よ、まさにそれら一切の[[pāpa|悪しき]][[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]の[[pahāna|断]]のため、その比丘は[[vāyāma|精進]]すべきである。\\ | まさにそのように友よ、もし比丘が[[paccavekkhati|精査]]するとき、これら一切の[[pāpa|悪しき]][[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[pahāna|断]]じられないのを[[atta|自己]]に[[samanupassati|見出]]すなら、友よ、まさにそれら一切の[[pāpa|悪しき]][[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]の[[pahāna|断]]のため、その比丘は[[vāyāma|精進]]すべきである。\\ | ||
| - | 友よ、もし比丘が[[paccavekkhati|精査]]するとき、これら一切の[[pāpa|悪しき]][[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[pahāna|断]]じられたのを[[atta|自己]]に[[samanupassati|見出]]すなら、友よ、その比丘は[[pīti|喜悦]]と[[pāmojja|悦]]ありて、昼夜に[[kusala dhamma|諸善法]]に[[anusikkhati|随学]]して住するであろう。」と。\\ | + | 友よ、もし比丘が[[paccavekkhati|精査]]するとき、これら一切の[[pāpa|悪しき]][[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[pahāna|断]]じられたのを[[atta|自己]]に[[samanupassati|見出]]すなら、友よ、その比丘は[[pīti|喜悦]]と[[pāmojja|悦]]ありて、昼夜に[[kusala dhamma|諸善法]]に[[anusikkhati|随学]]して住するであろう」と。\\ |
| マハーモッガッラーナ尊者はこう言った。\\ | マハーモッガッラーナ尊者はこう言った。\\ | ||
| 意に適ったその比丘たちは、マハーモッガッラーナ尊者の所説に[[abhinandati|歓喜]]したという。\\ | 意に適ったその比丘たちは、マハーモッガッラーナ尊者の所説に[[abhinandati|歓喜]]したという。\\ | ||
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