mn19_1
差分
このページの2つのバージョン間の差分を表示します。
| 両方とも前のリビジョン前のリビジョン次のリビジョン | 前のリビジョン | ||
| mn19_1 [2025/10/04 12:40] – h1roemon | mn19_1 [2026/01/06 07:26] (現在) – h1roemon | ||
|---|---|---|---|
| 行 8: | 行 8: | ||
| 「比丘たちよ」と。\\ | 「比丘たちよ」と。\\ | ||
| 「尊者よ」と、その比丘たちは世尊へ応じた。\\ | 「尊者よ」と、その比丘たちは世尊へ応じた。\\ | ||
| - | 世尊はこうおっしゃった。\\ | + | 世尊はこう言われた。\\ |
| - | 「比丘たちよ、私が[[sambodhi|等覚]]以前、まだ[[abhisambuddha|現等覚]]していない[[bodhisatta|菩薩]]であったとき、ふと[[cetanā|思]]った。\\ | + | 「比丘たちよ、私が[[sambodhi|等覚]]以前、まだ[[abhisambuddha|現等覚]]していなかった[[bodhisatta|菩薩]]であったとき、ふと[[cetanā|思]]った。\\ |
| 『私は[[vitakka|尋]]について、それぞれ二種になして住してはどうか』と。\\ | 『私は[[vitakka|尋]]について、それぞれ二種になして住してはどうか』と。\\ | ||
| 比丘たちよ、その私はこの[[kāma|欲]][[vitakka|尋]]というもの、[[vyāpāda|悪意]][[vitakka|尋]]というもの、[[vihiṃsa|害]][[vitakka|尋]]というもの、\\ | 比丘たちよ、その私はこの[[kāma|欲]][[vitakka|尋]]というもの、[[vyāpāda|悪意]][[vitakka|尋]]というもの、[[vihiṃsa|害]][[vitakka|尋]]というもの、\\ | ||
| 行 18: | 行 18: | ||
| その(私)はこのように[[pajānāti|了知]]した、\\ | その(私)はこのように[[pajānāti|了知]]した、\\ | ||
| 『私にこの[[kāma|欲]][[vitakka|尋]]が[[uppajjati|生じた]]。\\ | 『私にこの[[kāma|欲]][[vitakka|尋]]が[[uppajjati|生じた]]。\\ | ||
| - | そしてこれは[[atta|自己]]の[[vyābādha|加害]]に転じ、他者の[[vyābādha|加害]]に転じ、双方の[[vyābādha|加害]]に転じる、[[pañña|智慧]]を[[nirujjhati|滅す]]る、困惑の[[pakkhika|側]]の、[[nibbāna|涅槃]]に転じないものである』と。\\ | + | そしてこれは[[atta|自己]]の[[vyābādha|加害]]に転じ、他者の[[vyābādha|加害]]に転じ、双方の[[vyābādha|加害]]に転じる、[[pañña|智慧]]を[[nirodha|滅す]]る、困惑の[[pakkhika|側]]の、[[nibbāna|涅槃]]に転じないものである』と。\\ |
| 比丘たちよ『[[atta|自己]]の[[vyābādha|加害]]に転じる』と私が[[paṭisañcikkhati|熟慮]]するなら(それは)没滅した。\\ | 比丘たちよ『[[atta|自己]]の[[vyābādha|加害]]に転じる』と私が[[paṭisañcikkhati|熟慮]]するなら(それは)没滅した。\\ | ||
| 比丘たちよ『他者の[[vyābādha|加害]]に転じる』と私が[[paṭisañcikkhati|熟慮]]するなら(それは)没滅した。\\ | 比丘たちよ『他者の[[vyābādha|加害]]に転じる』と私が[[paṭisañcikkhati|熟慮]]するなら(それは)没滅した。\\ | ||
| 比丘たちよ『双方の[[vyābādha|加害]]に転じる』と私が[[paṭisañcikkhati|熟慮]]するなら(それは)没滅した。\\ | 比丘たちよ『双方の[[vyābādha|加害]]に転じる』と私が[[paṭisañcikkhati|熟慮]]するなら(それは)没滅した。\\ | ||
| - | 比丘たちよ『[[pañña|智慧]]を[[nirujjhati|滅す]]る、困惑の[[pakkhika|側]]の、[[nibbāna|涅槃]]に転じないもの』と私が[[paṭisañcikkhati|熟慮]]するなら(それは)没滅した。\\ | + | 比丘たちよ『[[pañña|智慧]]を[[nirodha|滅す]]る、困惑の[[pakkhika|側]]の、[[nibbāna|涅槃]]に転じないもの』と私が[[paṭisañcikkhati|熟慮]]するなら(それは)没滅した。\\ |
| 比丘たちよ、その私は生じては[[uppajjati|生じる]][[kāma|欲]][[vitakka|尋]]を[[pahāna|断]]じつつ排除しつつ、それを終結させた。\\ | 比丘たちよ、その私は生じては[[uppajjati|生じる]][[kāma|欲]][[vitakka|尋]]を[[pahāna|断]]じつつ排除しつつ、それを終結させた。\\ | ||
| \\ | \\ | ||
| 行 29: | 行 29: | ||
| その私はこのように[[pajānāti|了知]]した。\\ | その私はこのように[[pajānāti|了知]]した。\\ | ||
| 『私にこの[[vihiṃsa|害]][[vitakka|尋]]が[[uppajjati|生じた]]。\\ | 『私にこの[[vihiṃsa|害]][[vitakka|尋]]が[[uppajjati|生じた]]。\\ | ||
| - | そしてこれは[[atta|自己]]の[[vyābādha|加害]]に転じ、他者の[[vyābādha|加害]]に転じ、双方の[[vyābādha|加害]]に転じる、[[pañña|智慧]]を[[nirujjhati|滅す]]る、困惑の[[pakkhika|側]]の、[[nibbāna|涅槃]]に転じないものである』と。\\ | + | そしてこれは[[atta|自己]]の[[vyābādha|加害]]に転じ、他者の[[vyābādha|加害]]に転じ、双方の[[vyābādha|加害]]に転じる、[[pañña|智慧]]を[[nirodha|滅す]]る、困惑の[[pakkhika|側]]の、[[nibbāna|涅槃]]に転じないものである』と。\\ |
| 比丘たちよ『[[atta|自己]]の[[vyābādha|加害]]に転じる』と私が[[paṭisañcikkhati|熟慮]]するなら(それは)没滅した。\\ | 比丘たちよ『[[atta|自己]]の[[vyābādha|加害]]に転じる』と私が[[paṭisañcikkhati|熟慮]]するなら(それは)没滅した。\\ | ||
| 比丘たちよ『他者の[[vyābādha|加害]]に転じる』と私が[[paṭisañcikkhati|熟慮]]するなら(それは)没滅した。\\ | 比丘たちよ『他者の[[vyābādha|加害]]に転じる』と私が[[paṭisañcikkhati|熟慮]]するなら(それは)没滅した。\\ | ||
| 比丘たちよ『双方の[[vyābādha|加害]]に転じる』と私が[[paṭisañcikkhati|熟慮]]するなら(それは)没滅した。\\ | 比丘たちよ『双方の[[vyābādha|加害]]に転じる』と私が[[paṭisañcikkhati|熟慮]]するなら(それは)没滅した。\\ | ||
| - | 比丘たちよ『[[pañña|智慧]]を[[nirujjhati|滅す]]る、困惑の[[pakkhika|側]]の、[[nibbāna|涅槃]]に転じないもの』と私が[[paṭisañcikkhati|熟慮]]するなら(それは)没滅した。\\ | + | 比丘たちよ『[[pañña|智慧]]を[[nirodha|滅す]]る、困惑の[[pakkhika|側]]の、[[nibbāna|涅槃]]に転じないもの』と私が[[paṭisañcikkhati|熟慮]]するなら(それは)没滅した。\\ |
| 比丘たちよ、その私は生じては[[uppajjati|生じる]][[vihiṃsa|害]][[vitakka|尋]]を[[pahāna|断]]じつつ排除しつつ、それを終結させた。\\ | 比丘たちよ、その私は生じては[[uppajjati|生じる]][[vihiṃsa|害]][[vitakka|尋]]を[[pahāna|断]]じつつ排除しつつ、それを終結させた。\\ | ||
| \\ | \\ | ||
| 行 51: | 行 51: | ||
| その(私)はこのように[[pajānāti|了知]]した。\\ | その(私)はこのように[[pajānāti|了知]]した。\\ | ||
| 『私にこの[[nekkhamma|離欲]][[vitakka|尋]]が[[uppajjati|生じた]]。\\ | 『私にこの[[nekkhamma|離欲]][[vitakka|尋]]が[[uppajjati|生じた]]。\\ | ||
| - | そしてこれは決して[[atta|自己]]の[[vyābādha|加害]]に転じず、他者の[[vyābādha|加害]]に転じず、双方の[[vyābādha|加害]]に転じず、[[pañña|智慧]]の[[vuddhi|繁栄]]、困惑なき[[pakkhika|側]]の、[[nibbāna|涅槃]]に転じるものである。』\\ | + | そしてこれは決して[[atta|自己]]の[[vyābādha|加害]]に転じず、他者の[[vyābādha|加害]]に転じず、双方の[[vyābādha|加害]]に転じず、[[pañña|智慧]]の[[vuddhi|成長]]、困惑なき[[pakkhika|側]]の、[[nibbāna|涅槃]]に転じるものである。』\\ |
| 比丘たちよ、もし私が一夜、それを[[anuvitakketi|随尋]]し[[anuvicāreti|随伺]]するなら、それに[[nidāna|起因]]して、[[bhaya|恐怖]]を[[samanupassati|見出]]すことは決してない。\\ | 比丘たちよ、もし私が一夜、それを[[anuvitakketi|随尋]]し[[anuvicāreti|随伺]]するなら、それに[[nidāna|起因]]して、[[bhaya|恐怖]]を[[samanupassati|見出]]すことは決してない。\\ | ||
| 比丘たちよ、もし私が日中、それを[[anuvitakketi|随尋]]し[[anuvicāreti|随伺]]するなら、それに[[nidāna|起因]]して、[[bhaya|恐怖]]を[[samanupassati|見出]]すことは決してない。\\ | 比丘たちよ、もし私が日中、それを[[anuvitakketi|随尋]]し[[anuvicāreti|随伺]]するなら、それに[[nidāna|起因]]して、[[bhaya|恐怖]]を[[samanupassati|見出]]すことは決してない。\\ | ||
| 行 65: | 行 65: | ||
| その私はこのように[[pajānāti|了知]]した。\\ | その私はこのように[[pajānāti|了知]]した。\\ | ||
| 『私にこの[[avihiṃsā|無害]][[vitakka|尋]]が[[uppajjati|生じた]]。\\ | 『私にこの[[avihiṃsā|無害]][[vitakka|尋]]が[[uppajjati|生じた]]。\\ | ||
| - | そしてこれは決して[[atta|自己]]の[[vyābādha|加害]]に転じず、他者の[[vyābādha|加害]]に転じず、双方の[[vyābādha|加害]]に転じず、[[pañña|智慧]]の[[vuddhi|繁栄]]、困惑なき[[pakkhika|側]]の、[[nibbāna|涅槃]]に転じるものである。』\\ | + | そしてこれは決して[[atta|自己]]の[[vyābādha|加害]]に転じず、他者の[[vyābādha|加害]]に転じず、双方の[[vyābādha|加害]]に転じず、[[pañña|智慧]]の[[vuddhi|成長]]、困惑なき[[pakkhika|側]]の、[[nibbāna|涅槃]]に転じるものである。』\\ |
| 比丘たちよ、もし私が一夜、それを[[anuvitakketi|随尋]]し[[anuvicāreti|随伺]]するなら、それに[[nidāna|起因]]して、[[bhaya|恐怖]]を[[samanupassati|見出]]すことは決してない。\\ | 比丘たちよ、もし私が一夜、それを[[anuvitakketi|随尋]]し[[anuvicāreti|随伺]]するなら、それに[[nidāna|起因]]して、[[bhaya|恐怖]]を[[samanupassati|見出]]すことは決してない。\\ | ||
| 比丘たちよ、もし私が日中、それを[[anuvitakketi|随尋]]し[[anuvicāreti|随伺]]するなら、それに[[nidāna|起因]]して、[[bhaya|恐怖]]を[[samanupassati|見出]]すことは決してない。\\ | 比丘たちよ、もし私が日中、それを[[anuvitakketi|随尋]]し[[anuvicāreti|随伺]]するなら、それに[[nidāna|起因]]して、[[bhaya|恐怖]]を[[samanupassati|見出]]すことは決してない。\\ | ||
mn19_1.1759549248.txt.gz · 最終更新: by h1roemon
