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| 「比丘たちよ」と。\\ | 「比丘たちよ」と。\\ | ||
| 「尊者よ」と、その比丘たちは世尊へ応じた。\\ | 「尊者よ」と、その比丘たちは世尊へ応じた。\\ | ||
| - | 世尊はこうおっしゃった。\\ | + | 世尊はこう言われた。\\ |
| 比丘たちよ、[[adhicitta|増上心]]を実践する比丘は、折にふれて五つの[[nimitta|特相]]を[[manasikāra|作意]]するべきである。\\ | 比丘たちよ、[[adhicitta|増上心]]を実践する比丘は、折にふれて五つの[[nimitta|特相]]を[[manasikāra|作意]]するべきである。\\ | ||
| 五とは何か。\\ | 五とは何か。\\ | ||
| 行 65: | 行 65: | ||
| 私は、横になってみようか』と。\\ | 私は、横になってみようか』と。\\ | ||
| 彼は横になる。\\ | 彼は横になる。\\ | ||
| - | このように比丘たちよ、この男はそのたびに[[oḷārika|粗大]]な[[iriyāpatha|ふるまい方]]を除いてそのたびに[[sukhuma|微細]]な[[iriyāpatha|ふるまい方]]にする。\\ | + | このように比丘たちよ、この男はそのたびに[[oḷārika|粗大]]な[[iriyāpatha|姿勢]]を除いてそのたびに[[sukhuma|微細]]な[[iriyāpatha|姿勢]]にする。\\ |
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| まさにそのように比丘たちよ、もしそれらの[[vitakka|尋]]の不[[sati|念]]、不[[manasikāra|作意]]に至るその比丘に、[[chanda|欲]]を伴い[[dosa|瞋]]を伴い[[moha|痴]]を伴う[[pāpa|悪しき]][[akusala|不善]]の[[vitakka|諸尋]]が生じても、(それらの[[vitakka|尋]]の[[vitakka|尋]]行の[[saṇṭhāna|止息]]を[[manasikāra|作意]]するなら)それらは[[pahāna|断]]じられ、それらは没滅する。\\ | まさにそのように比丘たちよ、もしそれらの[[vitakka|尋]]の不[[sati|念]]、不[[manasikāra|作意]]に至るその比丘に、[[chanda|欲]]を伴い[[dosa|瞋]]を伴い[[moha|痴]]を伴う[[pāpa|悪しき]][[akusala|不善]]の[[vitakka|諸尋]]が生じても、(それらの[[vitakka|尋]]の[[vitakka|尋]]行の[[saṇṭhāna|止息]]を[[manasikāra|作意]]するなら)それらは[[pahāna|断]]じられ、それらは没滅する。\\ | ||
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| [[taṇhā|渇愛]]を断ち、[[saṃyojana|結縛]]をほどいて、正しく[[māna|慢]]の[[abhisamaya|現観]]により[[dukkha|苦]]の終わりをなした』」と。\\ | [[taṇhā|渇愛]]を断ち、[[saṃyojana|結縛]]をほどいて、正しく[[māna|慢]]の[[abhisamaya|現観]]により[[dukkha|苦]]の終わりをなした』」と。\\ | ||
| - | 世尊はこうおっしゃった。\\ | + | 世尊はこう言われた。\\ |
| 意に適った彼ら比丘たちは、世尊の所説に[[abhinandati|歓喜]]したという。\\ | 意に適った彼ら比丘たちは、世尊の所説に[[abhinandati|歓喜]]したという。\\ | ||
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