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  さてその時、元鷹匠のアリッタという比丘にこのような[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]が生じていた、\\  さてその時、元鷹匠のアリッタという比丘にこのような[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]が生じていた、\\
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-『私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]する。世尊によって説かれた[[antarāya|障害]]となる[[dhamma|諸法]]、それらは受用する者にとって必ずしも[[antarāya|障害]]ではない』と。\\+『私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]する。世尊によって示された[[antarāya|障害]]となる[[dhamma|諸法]]、それらは受用する者にとって必ずしも[[antarāya|障害]]ではない』と。\\
  多くの比丘たちは聞いた、\\  多くの比丘たちは聞いた、\\
 「元鷹匠のアリッタという比丘にこのような[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]が[[uppajjati|生じた]]そうだ。\\ 「元鷹匠のアリッタという比丘にこのような[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]が[[uppajjati|生じた]]そうだ。\\
-『私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]する。世尊によって説かれた[[antarāya|障害]]となる[[dhamma|諸法]]、それらは受用する者にとって必ずしも[[antarāya|障害]]ではない』と。(([[mn12_1]][[tathāgata|如来]]の四無所畏(3)も参照して下さい。))\\+『私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]する。世尊によって示された[[antarāya|障害]]となる[[dhamma|諸法]]、それらは受用する者にとって必ずしも[[antarāya|障害]]ではない』と。(([[mn12_1]][[tathāgata|如来]]の四無所畏(3)も参照して下さい。))\\
  さてその比丘たちは、元鷹匠のアリッタ比丘に近づいた。\\  さてその比丘たちは、元鷹匠のアリッタ比丘に近づいた。\\
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  元鷹匠のアリッタ比丘に近づくとこう言った。\\  元鷹匠のアリッタ比丘に近づくとこう言った。\\
 「友アリッタよ、あなたにこのような[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]が[[uppajjati|生じた]]そうだが[[sacca|本当]]だろうか?\\ 「友アリッタよ、あなたにこのような[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]が[[uppajjati|生じた]]そうだが[[sacca|本当]]だろうか?\\
-『私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]する。世尊によって説かれた[[antarāya|障害]]となる[[dhamma|諸法]]、それらは受用する者にとって必ずしも[[antarāya|障害]]ではない』と。\\ +『私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]する。世尊によって示された[[antarāya|障害]]となる[[dhamma|諸法]]、それらは受用する者にとって必ずしも[[antarāya|障害]]ではない』と。\\ 
-「友よ、まさにこのように、私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]する。世尊によって説かれた[[antarāya|障害]]となる[[dhamma|諸法]]、それらは受用する者にとって必ずしも[[antarāya|障害]]ではない」と。\\+「友よ、まさにこのように、私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]する。世尊によって示された[[antarāya|障害]]となる[[dhamma|諸法]]、それらは受用する者にとって必ずしも[[antarāya|障害]]ではない」と。\\
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  そこでかの比丘たちも元鷹匠のアリッタ比丘を、この[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]から[[viveka|遠離]]させようと[[kāma|欲し]]、審問し、問い詰め、こんこんと語った。\\  そこでかの比丘たちも元鷹匠のアリッタ比丘を、この[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]から[[viveka|遠離]]させようと[[kāma|欲し]]、審問し、問い詰め、こんこんと語った。\\
行 36: 行 36:
  このように元鷹匠のアリッタ比丘は、かの比丘たちに審問され、問い詰められ、こんこんと語られても、その[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]を執拗な[[parāmasati|執取]]ゆえに、[[abhinivesa|執持]]して表明した。\\  このように元鷹匠のアリッタ比丘は、かの比丘たちに審問され、問い詰められ、こんこんと語られても、その[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]を執拗な[[parāmasati|執取]]ゆえに、[[abhinivesa|執持]]して表明した。\\
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-「友よ、まさにこのように、私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]する。世尊によって説かれた[[antarāya|障害]]となる[[dhamma|諸法]]、それらは受用する者にとって必ずしも[[antarāya|障害]]ではない」と。\\+「友よ、まさにこのように、私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]する。世尊によって示された[[antarāya|障害]]となる[[dhamma|諸法]]、それらは受用する者にとって必ずしも[[antarāya|障害]]ではない」と。\\
  かの比丘たちは元鷹匠のアリッタ比丘をこの[[pāpa|悪]][[diṭṭhi|見]]から[[viveka|遠離]]させることができなかったため、そこでかの比丘たちは世尊のもとに近づいた。\\  かの比丘たちは元鷹匠のアリッタ比丘をこの[[pāpa|悪]][[diṭṭhi|見]]から[[viveka|遠離]]させることができなかったため、そこでかの比丘たちは世尊のもとに近づいた。\\
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行 42: 行 42:
  一隅に座ったその比丘たちは、世尊にこう言った。\\  一隅に座ったその比丘たちは、世尊にこう言った。\\
 「元鷹匠のアリッタという比丘にこのような[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]が生じました。\\ 「元鷹匠のアリッタという比丘にこのような[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]が生じました。\\
-『私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]する。世尊によって説かれた[[antarāya|障害]]となる[[dhamma|諸法]]、それらは受用する者にとって必ずしも[[antarāya|障害]]ではない』と。\\+『私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]する。世尊によって示された[[antarāya|障害]]となる[[dhamma|諸法]]、それらは受用する者にとって必ずしも[[antarāya|障害]]ではない』と。\\
  尊者よ、我々は聞いたのです、\\  尊者よ、我々は聞いたのです、\\
 『元鷹匠のアリッタという比丘にこのような[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]が[[uppajjati|生じた]]そうだ。\\ 『元鷹匠のアリッタという比丘にこのような[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]が[[uppajjati|生じた]]そうだ。\\
- ”私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]する。世尊によって説かれた[[antarāya|障害]]となる[[dhamma|諸法]]、それらは受用する者にとって必ずしも[[antarāya|障害]]ではない”』と。\\+ ”私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]する。世尊によって示された[[antarāya|障害]]となる[[dhamma|諸法]]、それらは受用する者にとって必ずしも[[antarāya|障害]]ではない”』と。\\
  尊者よ、さて我々は元鷹匠のアリッタ比丘に近づきました。\\  尊者よ、さて我々は元鷹匠のアリッタ比丘に近づきました。\\
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  元鷹匠のアリッタ比丘に近づくとこう言いました。\\  元鷹匠のアリッタ比丘に近づくとこう言いました。\\
 『友アリッタよ、あなたにこのような[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]が[[uppajjati|生じた]]そうだが[[sacca|本当]]だろうか?\\ 『友アリッタよ、あなたにこのような[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]が[[uppajjati|生じた]]そうだが[[sacca|本当]]だろうか?\\
- ”私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]する。世尊によって説かれた[[antarāya|障害]]となる[[dhamma|諸法]]、それらは受用する者にとって必ずしも[[antarāya|障害]]ではない”と。\\+ ”私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]する。世尊によって示された[[antarāya|障害]]となる[[dhamma|諸法]]、それらは受用する者にとって必ずしも[[antarāya|障害]]ではない”と。\\
  尊者よ、このように言われた元鷹匠のアリッタ比丘は、我々にこう言いました。\\  尊者よ、このように言われた元鷹匠のアリッタ比丘は、我々にこう言いました。\\
-「友よ、まさにこのように、私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]する。世尊によって説かれた[[antarāya|障害]]となる[[dhamma|諸法]]、それらは受用する者にとって必ずしも[[antarāya|障害]]ではない」と。\\+「友よ、まさにこのように、私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]する。世尊によって示された[[antarāya|障害]]となる[[dhamma|諸法]]、それらは受用する者にとって必ずしも[[antarāya|障害]]ではない」と。\\
  そこで尊者よ、我々も元鷹匠のアリッタ比丘を、この[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]から[[viveka|遠離]]させようと[[kāma|欲し]]、審問し、問い詰め、こんこんと語りました。\\  そこで尊者よ、我々も元鷹匠のアリッタ比丘を、この[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]から[[viveka|遠離]]させようと[[kāma|欲し]]、審問し、問い詰め、こんこんと語りました。\\
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行 63: 行 63:
  [[kāma|諸欲]]は蛇の頭のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]があると、世尊により説かれた』と。\\  [[kāma|諸欲]]は蛇の頭のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]があると、世尊により説かれた』と。\\
  尊者よ、このように元鷹匠のアリッタ比丘は、我々に審問され、問い詰められ、こんこんと語られても、その[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]を執拗な[[parāmasati|執取]]ゆえに、[[abhinivesa|執持]]して表明しました。\\  尊者よ、このように元鷹匠のアリッタ比丘は、我々に審問され、問い詰められ、こんこんと語られても、その[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]を執拗な[[parāmasati|執取]]ゆえに、[[abhinivesa|執持]]して表明しました。\\
-『友よ、まさにこのように、私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]する。世尊によって説かれた[[antarāya|障害]]となる[[dhamma|諸法]]、それらは受用する者にとって必ずしも[[antarāya|障害]]ではない』と。\\+『友よ、まさにこのように、私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]する。世尊によって示された[[antarāya|障害]]となる[[dhamma|諸法]]、それらは受用する者にとって必ずしも[[antarāya|障害]]ではない』と。\\
  尊者よ、我々は元鷹匠のアリッタ比丘をこの[[pāpa|悪]][[diṭṭhi|見]]から[[viveka|遠離]]させることができなかったため、そこで我々はこの[[attha|意義]]を世尊にお伝えするのです」と。\\  尊者よ、我々は元鷹匠のアリッタ比丘をこの[[pāpa|悪]][[diṭṭhi|見]]から[[viveka|遠離]]させることができなかったため、そこで我々はこの[[attha|意義]]を世尊にお伝えするのです」と。\\
  そこで世尊は、とある比丘に呼びかけられた。\\  そこで世尊は、とある比丘に呼びかけられた。\\
行 76: 行 76:
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 「アリッタよ、君にこのような[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]が[[uppajjati|生じた]]そうだが[[sacca|本当]]だろうか、\\ 「アリッタよ、君にこのような[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]が[[uppajjati|生じた]]そうだが[[sacca|本当]]だろうか、\\
-『私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]する。世尊によって説かれた[[antarāya|障害]]となる[[dhamma|諸法]]、それらは受用する者にとって必ずしも[[antarāya|障害]]ではない』」と。\\+『私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]する。世尊によって示された[[antarāya|障害]]となる[[dhamma|諸法]]、それらは受用する者にとって必ずしも[[antarāya|障害]]ではない』」と。\\
 「尊者よ、まさにこのように、私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]します。\\ 「尊者よ、まさにこのように、私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]します。\\
-『世尊によって説かれた[[antarāya|障害]]となる[[dhamma|諸法]]、それらは受用する者にとって必ずしも[[antarāya|障害]]ではない』というように」と。\\+『世尊によって示された[[antarāya|障害]]となる[[dhamma|諸法]]、それらは受用する者にとって必ずしも[[antarāya|障害]]ではない』というように」と。\\
 「愚か者よ、君は何のために私により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]するのか?\\ 「愚か者よ、君は何のために私により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]するのか?\\
  愚か者よ、さまざまな[[pariyāya|理]]をもって、[[antarāya|障害]]となる[[dhamma|諸法]]は[[antarāya|障害]]であり、\\  愚か者よ、さまざまな[[pariyāya|理]]をもって、[[antarāya|障害]]となる[[dhamma|諸法]]は[[antarāya|障害]]であり、\\
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