mn38_3
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| 「比丘たちよ、[[bhava|存在]]する[[satta|生類]]の[[ṭhiti|存続]]のため、[[sambhava|生成]]を求める者たちの支援のため、これら四つの[[āhāra|食]]がある。\\ | 「比丘たちよ、[[bhava|存在]]する[[satta|生類]]の[[ṭhiti|存続]]のため、[[sambhava|生成]]を求める者たちの支援のため、これら四つの[[āhāra|食]]がある。\\ | ||
| - | いかなる四つか?\\ | + | 四とは何か?\\ |
| [[oḷārika|粗雑]]または[[sukhuma|微細]]な[[kabaḷīkāra āhāra|段食]]、第二に[[phassa|触]]([[phassāhāra|触食]])、第三に[[manosañcetanā|意思]]([[manosañcetanāhāra|意思食]])、第四に[[viññāṇa|識]]([[viññāṇāhāra|識食]])。\\ | [[oḷārika|粗雑]]または[[sukhuma|微細]]な[[kabaḷīkāra āhāra|段食]]、第二に[[phassa|触]]([[phassāhāra|触食]])、第三に[[manosañcetanā|意思]]([[manosañcetanāhāra|意思食]])、第四に[[viññāṇa|識]]([[viññāṇāhāra|識食]])。\\ | ||
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| 「尊者よ、『[[jāti|生]]に[[paccaya|縁りて]][[jarā|老]][[maraṇa|死]]がある』、\\ | 「尊者よ、『[[jāti|生]]に[[paccaya|縁りて]][[jarā|老]][[maraṇa|死]]がある』、\\ | ||
| これについて我々の(論は)このようです。\\ | これについて我々の(論は)このようです。\\ | ||
| - | [[jāti|生]]に[[paccaya|縁りて]][[jarā|老]][[maraṇa|死]]があります。」と。\\ | + | [[jāti|生]]に[[paccaya|縁りて]][[jarā|老]][[maraṇa|死]]があります」と。\\ |
| \\ | \\ | ||
| 「『[[bhava|有]]に[[paccaya|縁りて]][[jāti|生]]がある』と、これがそのように言われたが、\\ | 「『[[bhava|有]]に[[paccaya|縁りて]][[jāti|生]]がある』と、これがそのように言われたが、\\ | ||
| 行 53: | 行 53: | ||
| 「尊者よ、『[[bhava|有]]に[[paccaya|縁りて]][[jāti|生]]がある』、\\ | 「尊者よ、『[[bhava|有]]に[[paccaya|縁りて]][[jāti|生]]がある』、\\ | ||
| これについて我々の(論は)このようです。\\ | これについて我々の(論は)このようです。\\ | ||
| - | [[bhava|有]]に[[paccaya|縁りて]][[jāti|生]]があります。」と。\\ | + | [[bhava|有]]に[[paccaya|縁りて]][[jāti|生]]があります」と。\\ |
| \\ | \\ | ||
| 「『[[upādāna|取]]に[[paccaya|縁りて]][[bhava|有]]がある』と、これがそのように言われたが、\\ | 「『[[upādāna|取]]に[[paccaya|縁りて]][[bhava|有]]がある』と、これがそのように言われたが、\\ | ||
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| 「尊者よ、『[[upādāna|取]]に[[paccaya|縁りて]] [[bhava|有]]がある』\\ | 「尊者よ、『[[upādāna|取]]に[[paccaya|縁りて]] [[bhava|有]]がある』\\ | ||
| これについて我々の(論は)このようです。\\ | これについて我々の(論は)このようです。\\ | ||
| - | [[upādāna|取]]に[[paccaya|縁りて]][[bhava|有]]があります。」と。\\ | + | [[upādāna|取]]に[[paccaya|縁りて]][[bhava|有]]があります」と。\\ |
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| 「『[[taṇhā|渇愛]]に[[paccaya|縁りて]][[upādāna|取]]がある』と、これがそのように言われたが、比丘たちよ、いったい[[taṇhā|渇愛]]に[[paccaya|縁りて]][[upādāna|取]]があるか、ないか。これについて君たちの(論)は?」と。\\ | 「『[[taṇhā|渇愛]]に[[paccaya|縁りて]][[upādāna|取]]がある』と、これがそのように言われたが、比丘たちよ、いったい[[taṇhā|渇愛]]に[[paccaya|縁りて]][[upādāna|取]]があるか、ないか。これについて君たちの(論)は?」と。\\ | ||
| 行 66: | 行 66: | ||
| 「尊者よ、『[[taṇhā|渇愛]]に[[paccaya|縁りて]] [[upādāna|取]]がある』、\\ | 「尊者よ、『[[taṇhā|渇愛]]に[[paccaya|縁りて]] [[upādāna|取]]がある』、\\ | ||
| これについて我々の(論は)このようです。\\ | これについて我々の(論は)このようです。\\ | ||
| - | [[taṇhā|渇愛]]に[[paccaya|縁りて]] [[upādāna|取]]があります。」と。\\ | + | [[taṇhā|渇愛]]に[[paccaya|縁りて]] [[upādāna|取]]があります」と。\\ |
| \\ | \\ | ||
| 「『[[vedanā|受]]に[[paccaya|縁りて]][[taṇhā|渇愛]]がある』と、これがそのように言われたが、\\ | 「『[[vedanā|受]]に[[paccaya|縁りて]][[taṇhā|渇愛]]がある』と、これがそのように言われたが、\\ | ||
| 行 80: | 行 80: | ||
| 「尊者よ、『[[phassa|触]]に[[paccaya|縁りて]][[vedanā|受]]がある』、\\ | 「尊者よ、『[[phassa|触]]に[[paccaya|縁りて]][[vedanā|受]]がある』、\\ | ||
| これについて我々の(論は)このようです。\\ | これについて我々の(論は)このようです。\\ | ||
| - | [[phassa|触]]に[[paccaya|縁りて]][[vedanā|受]]があります。」と。\\ | + | [[phassa|触]]に[[paccaya|縁りて]][[vedanā|受]]があります」と。\\ |
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| 「『[[saḷāyatana|六処]]に[[paccaya|縁りて]][[phassa|触]]がある』と、これがそのように言われたが、\\ | 「『[[saḷāyatana|六処]]に[[paccaya|縁りて]][[phassa|触]]がある』と、これがそのように言われたが、\\ | ||
| 行 87: | 行 87: | ||
| 「尊者よ、『[[saḷāyatana|六処]]に[[paccaya|縁りて]][[phassa|触]]がある』\\ | 「尊者よ、『[[saḷāyatana|六処]]に[[paccaya|縁りて]][[phassa|触]]がある』\\ | ||
| これについて我々の(論は)このようです。\\ | これについて我々の(論は)このようです。\\ | ||
| - | [[saḷāyatana|六処]]に[[paccaya|縁りて]][[phassa|触]]があります。」と。\\ | + | [[saḷāyatana|六処]]に[[paccaya|縁りて]][[phassa|触]]があります」と。\\ |
| \\ | \\ | ||
| 「『[[nāmarūpa|名色]]に[[paccaya|縁りて]][[saḷāyatana|六処]]がある』と、これがそのように言われたが、\\ | 「『[[nāmarūpa|名色]]に[[paccaya|縁りて]][[saḷāyatana|六処]]がある』と、これがそのように言われたが、\\ | ||
| 行 94: | 行 94: | ||
| 「尊者よ、『[[nāmarūpa|名色]]に[[paccaya|縁りて]][[saḷāyatana|六処]]がある』、\\ | 「尊者よ、『[[nāmarūpa|名色]]に[[paccaya|縁りて]][[saḷāyatana|六処]]がある』、\\ | ||
| これについて我々の(論は)このようです。\\ | これについて我々の(論は)このようです。\\ | ||
| - | [[nāmarūpa|名色]]に[[paccaya|縁りて]][[saḷāyatana|六処]]があります。」と。\\ | + | [[nāmarūpa|名色]]に[[paccaya|縁りて]][[saḷāyatana|六処]]があります」と。\\ |
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| 「『[[viññāṇa|識]]に[[paccaya|縁りて]][[nāmarūpa|名色]]がある』と、これがそのように言われたが、\\ | 「『[[viññāṇa|識]]に[[paccaya|縁りて]][[nāmarūpa|名色]]がある』と、これがそのように言われたが、\\ | ||
| 行 101: | 行 101: | ||
| 「尊者よ、『[[viññāṇa|識]]に[[paccaya|縁りて]][[nāmarūpa|名色]]がある』、\\ | 「尊者よ、『[[viññāṇa|識]]に[[paccaya|縁りて]][[nāmarūpa|名色]]がある』、\\ | ||
| これについて我々の(論は)このようです。\\ | これについて我々の(論は)このようです。\\ | ||
| - | [[viññāṇa|識]]に[[paccaya|縁りて]][[nāmarūpa|名色]]があります。」と。\\ | + | [[viññāṇa|識]]に[[paccaya|縁りて]][[nāmarūpa|名色]]があります」と。\\ |
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| 「『[[saṅkhāra|諸行]]に[[paccaya|縁りて]][[viññāṇa|識]]がある』と、これがそのように言われたが、\\ | 「『[[saṅkhāra|諸行]]に[[paccaya|縁りて]][[viññāṇa|識]]がある』と、これがそのように言われたが、\\ | ||
| 行 108: | 行 108: | ||
| 「尊者よ、『[[saṅkhāra|諸行]]に[[paccaya|縁りて]] [[viññāṇa|識]]がある』、\\ | 「尊者よ、『[[saṅkhāra|諸行]]に[[paccaya|縁りて]] [[viññāṇa|識]]がある』、\\ | ||
| これについて我々の(論は)このようです。\\ | これについて我々の(論は)このようです。\\ | ||
| - | [[saṅkhāra|諸行]]に[[paccaya|縁りて]][[viññāṇa|識]]があります。」と。\\ | + | [[saṅkhāra|諸行]]に[[paccaya|縁りて]][[viññāṇa|識]]があります」と。\\ |
| \\ | \\ | ||
| 「『[[avijjā|無明]]に[[paccaya|縁りて]][[saṅkhāra|諸行]]がある』と、これがそのように言われたが、\\ | 「『[[avijjā|無明]]に[[paccaya|縁りて]][[saṅkhāra|諸行]]がある』と、これがそのように言われたが、\\ | ||
| 行 115: | 行 115: | ||
| 「尊者よ、『[[avijjā|無明]]に[[paccaya|縁りて]][[saṅkhāra|諸行]]がある。』、\\ | 「尊者よ、『[[avijjā|無明]]に[[paccaya|縁りて]][[saṅkhāra|諸行]]がある。』、\\ | ||
| これについて我々の(論は)このようです。\\ | これについて我々の(論は)このようです。\\ | ||
| - | [[avijjā|無明]]に[[paccaya|縁りて]][[saṅkhāra|諸行]]があります。」と。\\ | + | [[avijjā|無明]]に[[paccaya|縁りて]][[saṅkhāra|諸行]]があります」と。\\ |
| \\ | \\ | ||
| 「[[sādhu|善きかな]]、比丘たちよ。\\ | 「[[sādhu|善きかな]]、比丘たちよ。\\ | ||
| 行 253: | 行 253: | ||
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mn38_3.1712633057.txt.gz · 最終更新: by h1roemon
