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| 行 8: | 行 8: | ||
| 「比丘たちよ」と。\\ | 「比丘たちよ」と。\\ | ||
| 「尊者よ」と、その比丘たちは世尊へ応じた。\\ | 「尊者よ」と、その比丘たちは世尊へ応じた。\\ | ||
| - | 世尊はこうおっしゃった。\\ | + | 世尊はこう言われた。\\ |
| 比丘たちよ、君たちは私の[[dhamma|法]]の相続者になりなさい。[[āmisa|物質の]]相続者になってはいけない。\\ | 比丘たちよ、君たちは私の[[dhamma|法]]の相続者になりなさい。[[āmisa|物質の]]相続者になってはいけない。\\ | ||
| 私には君たちへの[[anukampati|憐れみ]]がある。\\ | 私には君たちへの[[anukampati|憐れみ]]がある。\\ | ||
| 行 54: | 行 54: | ||
| 私には君たちへの[[anukampati|憐れみ]]がある。\\ | 私には君たちへの[[anukampati|憐れみ]]がある。\\ | ||
| 『どのように言えば、私の弟子たちが[[āmisa|物質の]]相続者ではなく[[dhamma|法]]の相続者となるだろうか』と。\\ | 『どのように言えば、私の弟子たちが[[āmisa|物質の]]相続者ではなく[[dhamma|法]]の相続者となるだろうか』と。\\ | ||
| - | 世尊はこうおっしゃった。\\ | + | 世尊はこう言われた。\\ |
| こうおっしゃり、[[sugata|善逝]]は座より起き上がると僧房へ入られた。\\ | こうおっしゃり、[[sugata|善逝]]は座より起き上がると僧房へ入られた。\\ | ||
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| 行 129: | 行 129: | ||
| 友よ、これほどで[[pavivitta|独居]]に住する師の弟子たちは[[viveka|遠離]]を[[anusikkhati|随学]]する(と呼ばれる)。\\ | 友よ、これほどで[[pavivitta|独居]]に住する師の弟子たちは[[viveka|遠離]]を[[anusikkhati|随学]]する(と呼ばれる)。\\ | ||
| 友よ、(師が断を説かれた諸法)そこで[[lobha|貪]]は[[pāpa|悪]]であり、[[dosa|瞋]]は[[pāpa|悪]]である。\\ | 友よ、(師が断を説かれた諸法)そこで[[lobha|貪]]は[[pāpa|悪]]であり、[[dosa|瞋]]は[[pāpa|悪]]である。\\ | ||
| - | そして[[lobha|貪]]の[[pahāna|断]]、[[dosa|瞋]]の[[pahāna|断]]のため、[[cakkhu|眼]]となり[[ñāṇa|智]]となり、[[upasama|静寂]]、[[sampajāna|正知]]、[[sambodhi|等覚]]、[[nibbāna|涅槃]]に転じる[[majjhima paṭipadā|中道]]がある。\\ | + | そして[[lobha|貪]]の[[pahāna|断]]、[[dosa|瞋]]の[[pahāna|断]]のため、[[cakkhu|眼]]となり[[ñāṇa|智]]となり、[[upasama|静寂]]、[[abhijānāti|証知]]、[[sambodhi|等覚]]、[[nibbāna|涅槃]]に転じる[[majjhima paṭipadā|中道]]がある。\\ |
| \\ | \\ | ||
| - | では友よ、[[cakkhu|眼]]となり[[ñāṇa|智]]となり、[[upasama|静寂]]、[[sampajāna|正知]]、[[sambodhi|等覚]]、[[nibbāna|涅槃]]に転じるその[[majjhima paṭipadā|中道]]とは何か?\\ | + | では友よ、[[cakkhu|眼]]となり[[ñāṇa|智]]となり、[[upasama|静寂]]、[[abhijānāti|証知]]、[[sambodhi|等覚]]、[[nibbāna|涅槃]]に転じるその[[majjhima paṭipadā|中道]]とは何か?\\ |
| それこそが[[ariya-aṭṭhaṅgika-magga|八支聖道]]である。すなわち、\\ | それこそが[[ariya-aṭṭhaṅgika-magga|八支聖道]]である。すなわち、\\ | ||
| \\ | \\ | ||
| [[sammadiṭṭhi|正見]]、[[sammāsaṅkappa|正思惟]]、[[sammāvāca|正語]]、[[sammākammanta|正業]]、[[sammāājīva|正命]]、[[sammāvāyāma|正精進]]、[[sammāsati|正念]]、[[sammāsamādhi|正定]]である。\\ | [[sammadiṭṭhi|正見]]、[[sammāsaṅkappa|正思惟]]、[[sammāvāca|正語]]、[[sammākammanta|正業]]、[[sammāājīva|正命]]、[[sammāvāyāma|正精進]]、[[sammāsati|正念]]、[[sammāsamādhi|正定]]である。\\ | ||
| \\ | \\ | ||
| - | 友よ、これが[[cakkhu|眼]]となり[[ñāṇa|智]]となり、[[upasama|静寂]]、[[sampajāna|正知]]、[[sambodhi|等覚]]、[[nibbāna|涅槃]]に転じるその[[majjhima paṭipadā|中道]]である。\\ | + | 友よ、これが[[cakkhu|眼]]となり[[ñāṇa|智]]となり、[[upasama|静寂]]、[[abhijānāti|証知]]、[[sambodhi|等覚]]、[[nibbāna|涅槃]]に転じるその[[majjhima paṭipadā|中道]]である。\\ |
| \\ | \\ | ||
| 友よ、そこで[[kodha|怒り]]は[[pāpa|悪]]であり、[[upanāha|恨み]]は[[pāpa|悪]]である。\\ | 友よ、そこで[[kodha|怒り]]は[[pāpa|悪]]であり、[[upanāha|恨み]]は[[pāpa|悪]]である。\\ | ||
| … 中略 …\\ | … 中略 …\\ | ||
| [[makkha|覆]]は[[pāpa|悪]]であり、[[paḷāsa|意地悪]]は[[pāpa|悪]]であり、嫉妬は[[pāpa|悪]]であり、[[macchariya|物惜しみ]]は[[pāpa|悪]]であり、[[māya|まやかし]]は[[pāpa|悪]]であり、狡猾は[[pāpa|悪]]であり、強情は[[pāpa|悪]]であり、[[sārambha|敵意]]は[[pāpa|悪]]であり、[[māna|慢心]]は[[pāpa|悪]]であり、[[atimāna|過慢]]は[[pāpa|悪]]であり、[[mada|陶酔]]は[[pāpa|悪]]であり、[[pamāda|放逸]]は[[pāpa|悪]]である。\\ | [[makkha|覆]]は[[pāpa|悪]]であり、[[paḷāsa|意地悪]]は[[pāpa|悪]]であり、嫉妬は[[pāpa|悪]]であり、[[macchariya|物惜しみ]]は[[pāpa|悪]]であり、[[māya|まやかし]]は[[pāpa|悪]]であり、狡猾は[[pāpa|悪]]であり、強情は[[pāpa|悪]]であり、[[sārambha|敵意]]は[[pāpa|悪]]であり、[[māna|慢心]]は[[pāpa|悪]]であり、[[atimāna|過慢]]は[[pāpa|悪]]であり、[[mada|陶酔]]は[[pāpa|悪]]であり、[[pamāda|放逸]]は[[pāpa|悪]]である。\\ | ||
| - | そして陶酔の[[pahāna|断]]、[[pamāda|放逸]]の[[pahāna|断]]のため、[[cakkhu|眼]]となり[[ñāṇa|智]]となり、[[upasama|静寂]]、[[sampajāna|正知]]、[[sambodhi|等覚]]、[[nibbāna|涅槃]]に転じる[[majjhima paṭipadā|中道]]がある。\\ | + | そして陶酔の[[pahāna|断]]、[[pamāda|放逸]]の[[pahāna|断]]のため、[[cakkhu|眼]]となり[[ñāṇa|智]]となり、[[upasama|静寂]]、[[abhijānāti|証知]]、[[sambodhi|等覚]]、[[nibbāna|涅槃]]に転じる[[majjhima paṭipadā|中道]]がある。\\ |
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| - | では友よ、[[cakkhu|眼]]となり[[ñāṇa|智]]となり、[[upasama|静寂]]、[[sampajāna|正知]]、[[sambodhi|等覚]]、[[nibbāna|涅槃]]に転じるその[[majjhima paṭipadā|中道]]とは何か?\\ | + | では友よ、[[cakkhu|眼]]となり[[ñāṇa|智]]となり、[[upasama|静寂]]、[[abhijānāti|証知]]、[[sambodhi|等覚]]、[[nibbāna|涅槃]]に転じるその[[majjhima paṭipadā|中道]]とは何か?\\ |
| それこそが[[ariya-aṭṭhaṅgika-magga|八支聖道]]である。すなわち、\\ | それこそが[[ariya-aṭṭhaṅgika-magga|八支聖道]]である。すなわち、\\ | ||
| [[sammadiṭṭhi|正見]]、[[sammāsaṅkappa|正思惟]]、[[sammāvāca|正語]]、[[sammākammanta|正業]]、[[sammāājīva|正命]]、[[sammāvāyāma|正精進]]、[[sammāsati|正念]]、[[sammāsamādhi|正定]]である。\\ | [[sammadiṭṭhi|正見]]、[[sammāsaṅkappa|正思惟]]、[[sammāvāca|正語]]、[[sammākammanta|正業]]、[[sammāājīva|正命]]、[[sammāvāyāma|正精進]]、[[sammāsati|正念]]、[[sammāsamādhi|正定]]である。\\ | ||
| \\ | \\ | ||
| - | 友よ、これが[[cakkhu|眼]]となり[[ñāṇa|智]]となり、[[upasama|静寂]]、[[sampajāna|正知]]、[[sambodhi|等覚]]、[[nibbāna|涅槃]]に転じるその[[majjhima paṭipadā|中道]]である」と。\\ | + | 友よ、これが[[cakkhu|眼]]となり[[ñāṇa|智]]となり、[[upasama|静寂]]、[[abhijānāti|証知]]、[[sambodhi|等覚]]、[[nibbāna|涅槃]]に転じるその[[majjhima paṭipadā|中道]]である」と。\\ |
| サーリプッタ尊者は、こう言った。\\ | サーリプッタ尊者は、こう言った。\\ | ||
| [[mano|意]]にかなったその比丘たちは、サーリプッタ尊者の所説に[[abhinandati|歓喜]]したという。\\ | [[mano|意]]にかなったその比丘たちは、サーリプッタ尊者の所説に[[abhinandati|歓喜]]したという。\\ | ||
mn3.1760527804.txt.gz · 最終更新: by h1roemon
