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| 行 12: | 行 12: | ||
| しかも君たちは『君たちは誰だ』と問われたとき、『我々は沙門である』と自称する。\\ | しかも君たちは『君たちは誰だ』と問われたとき、『我々は沙門である』と自称する。\\ | ||
| 比丘たちよ、その君たちにはこのような[[samaññā|呼称]]があり、このような自称がある。\\ | 比丘たちよ、その君たちにはこのような[[samaññā|呼称]]があり、このような自称がある。\\ | ||
| - | 『およそ沙門には[[sāmīcī|相応し]]き[[paṭipadā|行道]]がある。我々はそれを[[paṭipadā|行道]]しよう。\\ | + | 『およそ沙門には[[sāmīcī|相応し]]い[[paṭipadā|行道]]がある。我々はそれを[[paṭipadā|行道]]しよう。\\ |
| そうすれば我々のこの[[samaññā|呼称]]は[[sacca|真実]]となり、そして自称は[[bhava|事実]]である。\\ | そうすれば我々のこの[[samaññā|呼称]]は[[sacca|真実]]となり、そして自称は[[bhava|事実]]である。\\ | ||
| そして我々は外衣、[[piṇḍapāta|鉢食]]、[[senāsana|坐臥処]]、病人必需薬、資具を享受し、彼らの我々へのそれらの行いは[[mahapphala|大果]]・[[mahānisaṃsa|大益]]あるものとなり、そして我々のこの出家もまさに不毛でなく[[phala|果実]]・成果あるものとなる』と。\\ | そして我々は外衣、[[piṇḍapāta|鉢食]]、[[senāsana|坐臥処]]、病人必需薬、資具を享受し、彼らの我々へのそれらの行いは[[mahapphala|大果]]・[[mahānisaṃsa|大益]]あるものとなり、そして我々のこの出家もまさに不毛でなく[[phala|果実]]・成果あるものとなる』と。\\ | ||
| 比丘たちよ、このように君たちは[[sikkhati|学ぶ]]べきである。\\ | 比丘たちよ、このように君たちは[[sikkhati|学ぶ]]べきである。\\ | ||
| - | それでは比丘たちよ、どのように比丘は[[sāmīcī|相応し]]き[[paṭipadā|行道]]を[[paṭipadā|行道]]した沙門でないのか?\\ | + | それでは比丘たちよ、どのように比丘は[[sāmīcī|相応し]]い[[paṭipadā|行道]]を[[paṭipadā|行道]]した沙門でないのか?\\ |
| 比丘たちよ、およそどの比丘であろうと、その[[abhijjhā|羨望]]ある者(比丘)の[[abhijjhā|羨望]]が未[[pahāna|断]]であり、[[vyāpāda|悪意]]ある[[citta|心]]の[[vyāpāda|悪意]]が未[[pahāna|断]]であり、[[kodha|怒り]]ある者の[[kodha|怒り]]が未[[pahāna|断]]であり、[[upanāha|恨み]]ある者の[[upanāha|恨み]]が未[[pahāna|断]]であり、[[makkha|覆]]ある者の[[makkha|覆]]が未[[pahāna|断]]であり、[[paḷāsa|意地悪]]な者の[[paḷāsa|意地悪]]が未[[pahāna|断]]であり、\\ | 比丘たちよ、およそどの比丘であろうと、その[[abhijjhā|羨望]]ある者(比丘)の[[abhijjhā|羨望]]が未[[pahāna|断]]であり、[[vyāpāda|悪意]]ある[[citta|心]]の[[vyāpāda|悪意]]が未[[pahāna|断]]であり、[[kodha|怒り]]ある者の[[kodha|怒り]]が未[[pahāna|断]]であり、[[upanāha|恨み]]ある者の[[upanāha|恨み]]が未[[pahāna|断]]であり、[[makkha|覆]]ある者の[[makkha|覆]]が未[[pahāna|断]]であり、[[paḷāsa|意地悪]]な者の[[paḷāsa|意地悪]]が未[[pahāna|断]]であり、\\ | ||
| 嫉妬ある者の嫉妬が未[[pahāna|断]]であり、[[macchariya|物惜しみ]]する者の[[macchariya|物惜しみ]]が未[[pahāna|断]]であり、狡猾な者の狡猾さが未[[pahāna|断]]であり、たぶらかす者のたぶらかしが未[[pahāna|断]]であり、[[pāpa|悪]][[icchā|欲求]]の者の[[pāpa|悪]][[icchā|欲求]]が未[[pahāna|断]]であり、[[micchādiṭṭhi|邪見]]者の[[micchādiṭṭhi|邪見]]が未[[pahāna|断]]である。\\ | 嫉妬ある者の嫉妬が未[[pahāna|断]]であり、[[macchariya|物惜しみ]]する者の[[macchariya|物惜しみ]]が未[[pahāna|断]]であり、狡猾な者の狡猾さが未[[pahāna|断]]であり、たぶらかす者のたぶらかしが未[[pahāna|断]]であり、[[pāpa|悪]][[icchā|欲求]]の者の[[pāpa|悪]][[icchā|欲求]]が未[[pahāna|断]]であり、[[micchādiṭṭhi|邪見]]者の[[micchādiṭṭhi|邪見]]が未[[pahāna|断]]である。\\ | ||
| - | 比丘たちよ、これらの沙門のよごれの、沙門の[[dosa|過失]]の、沙門の過患の、[[apāya|苦界]]となる原因の、[[duggati|悪趣]]を[[vedayati|感受さ]]れるものの未[[pahāna|断]]ゆえに『[[sāmīcī|相応し]]き[[paṭipadā|行道]]を[[paṭipadā|行道]]した沙門ではない』と私は説く。\\ | + | 比丘たちよ、これらの沙門のよごれの、沙門の[[dosa|過失]]の、沙門の過患の、[[apāya|苦界]]となる原因の、[[duggati|悪趣]]を[[vedayati|感受さ]]れるものの未[[pahāna|断]]ゆえに『[[sāmīcī|相応し]]い[[paṭipadā|行道]]を[[paṭipadā|行道]]した沙門ではない』と私は説く。\\ |
| たとえば比丘たちよ、双方の切っ先が鋭利に水研ぎされたマタジャという種類の武器がある。\\ | たとえば比丘たちよ、双方の切っ先が鋭利に水研ぎされたマタジャという種類の武器がある。\\ | ||
| それは重衣によってよく覆われ、包まれている。\\ | それは重衣によってよく覆われ、包まれている。\\ | ||
| 行 54: | 行 54: | ||
| [[pāpa|悪]][[icchā|欲求]]者の[[pāpa|悪しき]][[icchā|欲求]]が[[pahāna|断]]じられ、[[micchādiṭṭhi|邪見]]者の[[micchādiṭṭhi|邪見]]が[[pahāna|断]]じられるのだ』と。\\ | [[pāpa|悪]][[icchā|欲求]]者の[[pāpa|悪しき]][[icchā|欲求]]が[[pahāna|断]]じられ、[[micchādiṭṭhi|邪見]]者の[[micchādiṭṭhi|邪見]]が[[pahāna|断]]じられるのだ』と。\\ | ||
| しかし比丘たちよ、私はここに、[[abhijjhā|羨望]]ある、[[vyāpāda|悪意]][[citta|心]]ある、[[kodha|怒り]]ある、[[upanāha|恨み]]ある、[[makkha|覆]]ある、意地悪な、嫉妬ある、[[macchariya|物惜しみ]]する、へつらう、たぶらかす、[[pāpa|悪]][[icchā|欲求]]ある、[[micchādiṭṭhi|邪見]]の一部の[[jaṭila|結髪行者]]を見る。それゆえ重衣者の[[jaṭā|結髪]]の[[dhāreti|保持]]程度によって沙門であるとは言わない。\\ | しかし比丘たちよ、私はここに、[[abhijjhā|羨望]]ある、[[vyāpāda|悪意]][[citta|心]]ある、[[kodha|怒り]]ある、[[upanāha|恨み]]ある、[[makkha|覆]]ある、意地悪な、嫉妬ある、[[macchariya|物惜しみ]]する、へつらう、たぶらかす、[[pāpa|悪]][[icchā|欲求]]ある、[[micchādiṭṭhi|邪見]]の一部の[[jaṭila|結髪行者]]を見る。それゆえ重衣者の[[jaṭā|結髪]]の[[dhāreti|保持]]程度によって沙門であるとは言わない。\\ | ||
| - | それでは比丘たちよ、どのように比丘は[[sāmīcī|相応し]]き[[paṭipadā|行道]]を[[paṭipadā|行道]]した沙門となるのか?\\ | + | それでは比丘たちよ、どのように比丘は[[sāmīcī|相応し]]い[[paṭipadā|行道]]を[[paṭipadā|行道]]した沙門となるのか?\\ |
| 比丘たちよ、およそどの比丘であろうと、その[[abhijjhā|羨望]]ある者(比丘)の[[abhijjhā|羨望]]が[[pahāna|断]]じられ、[[vyāpāda|悪意]]ある[[citta|心]]の[[vyāpāda|悪意]]が[[pahāna|断]]じられ、[[kodha|怒り]]ある者の[[kodha|怒り]]が[[pahāna|断]]じられ、[[upanāha|恨み]]ある者の[[upanāha|恨み]]が[[pahāna|断]]じられ、[[makkha|覆]]ある者の[[makkha|覆]]が[[pahāna|断]]じられ、[[paḷāsa|意地悪]]な者の[[paḷāsa|意地悪]]が[[pahāna|断]]じられ、\\ | 比丘たちよ、およそどの比丘であろうと、その[[abhijjhā|羨望]]ある者(比丘)の[[abhijjhā|羨望]]が[[pahāna|断]]じられ、[[vyāpāda|悪意]]ある[[citta|心]]の[[vyāpāda|悪意]]が[[pahāna|断]]じられ、[[kodha|怒り]]ある者の[[kodha|怒り]]が[[pahāna|断]]じられ、[[upanāha|恨み]]ある者の[[upanāha|恨み]]が[[pahāna|断]]じられ、[[makkha|覆]]ある者の[[makkha|覆]]が[[pahāna|断]]じられ、[[paḷāsa|意地悪]]な者の[[paḷāsa|意地悪]]が[[pahāna|断]]じられ、\\ | ||
| 嫉妬ある者の嫉妬が[[pahāna|断]]じられ、[[macchariya|物惜しみ]]する者の[[macchariya|物惜しみ]]が[[pahāna|断]]じられ、狡猾な者の狡猾さが[[pahāna|断]]じられ、たぶらかす者のたぶらかしが[[pahāna|断]]じられ、[[pāpa|悪]][[icchā|欲求]]の者の[[pāpa|悪]][[icchā|欲求]]が[[pahāna|断]]じられ、[[micchādiṭṭhi|邪見]]者の[[micchādiṭṭhi|邪見]]が[[pahāna|断]]じられている。\\ | 嫉妬ある者の嫉妬が[[pahāna|断]]じられ、[[macchariya|物惜しみ]]する者の[[macchariya|物惜しみ]]が[[pahāna|断]]じられ、狡猾な者の狡猾さが[[pahāna|断]]じられ、たぶらかす者のたぶらかしが[[pahāna|断]]じられ、[[pāpa|悪]][[icchā|欲求]]の者の[[pāpa|悪]][[icchā|欲求]]が[[pahāna|断]]じられ、[[micchādiṭṭhi|邪見]]者の[[micchādiṭṭhi|邪見]]が[[pahāna|断]]じられている。\\ | ||
| - | 比丘たちよ、これらの沙門のよごれの、沙門の[[dosa|過失]]の、沙門の過患の、[[apāya|苦界]]となる原因の、[[duggati|悪趣]]を[[vedayati|感受さ]]れるものの[[pahāna|断]]ゆえに『[[sāmīcī|相応し]]き[[paṭipadā|行道]]を[[paṭipadā|行道]]した沙門である』と私は説く。\\ | + | 比丘たちよ、これらの沙門のよごれの、沙門の[[dosa|過失]]の、沙門の過患の、[[apāya|苦界]]となる原因の、[[duggati|悪趣]]を[[vedayati|感受さ]]れるものの[[pahāna|断]]ゆえに『[[sāmīcī|相応し]]い[[paṭipadā|行道]]を[[paṭipadā|行道]]した沙門である』と私は説く。\\ |
| 彼はこれら一切の[[pāpa|悪しき]][[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]から[[visuddhi|清浄]]となった[[atta|自己]]を[[samanupassati|見出]]す。\\ | 彼はこれら一切の[[pāpa|悪しき]][[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]から[[visuddhi|清浄]]となった[[atta|自己]]を[[samanupassati|見出]]す。\\ | ||
| \\ | \\ | ||
| 行 80: | 行 80: | ||
| まさにそのように比丘たちよ、もし士族の家系より、俗家から家なき者へと出家した者がおり、そして彼は[[tathāgata|如来]]によって説かれた[[dhammavinaya|法と律]]に来て、このように[[metta|慈]]・[[karuṇā|悲]]・[[muditā|喜]]・[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]して[[ajjhatta|内に]][[vūpasama|寂静]]を得るなら、\\ | まさにそのように比丘たちよ、もし士族の家系より、俗家から家なき者へと出家した者がおり、そして彼は[[tathāgata|如来]]によって説かれた[[dhammavinaya|法と律]]に来て、このように[[metta|慈]]・[[karuṇā|悲]]・[[muditā|喜]]・[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]して[[ajjhatta|内に]][[vūpasama|寂静]]を得るなら、\\ | ||
| \\ | \\ | ||
| - | 内なる[[vūpasama|寂静]]ゆえに『[[sāmīcī|相応し]]き[[paṭipadā|行道]]を[[paṭipadā|行道]]した沙門』と私は言う。\\ | + | 内なる[[vūpasama|寂静]]ゆえに『[[sāmīcī|相応し]]い[[paṭipadā|行道]]を[[paṭipadā|行道]]した沙門』と私は言う。\\ |
| もし婆羅門の家系より …中略…\\ | もし婆羅門の家系より …中略…\\ | ||
| もし庶民の家系より …中略…\\ | もし庶民の家系より …中略…\\ | ||
| もし奴隷の家系より …中略…\\ | もし奴隷の家系より …中略…\\ | ||
| どこの家系からであれ、もし俗家から家なき者へと出家した者がおり、そして彼は[[tathāgata|如来]]によって説かれた[[dhammavinaya|法と律]]に来て、このように[[metta|慈]]・[[karuṇā|悲]]・[[muditā|喜]]・[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]して内なる[[vūpasama|寂静]]を得るなら、\\ | どこの家系からであれ、もし俗家から家なき者へと出家した者がおり、そして彼は[[tathāgata|如来]]によって説かれた[[dhammavinaya|法と律]]に来て、このように[[metta|慈]]・[[karuṇā|悲]]・[[muditā|喜]]・[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]して内なる[[vūpasama|寂静]]を得るなら、\\ | ||
| - | 内なる[[vūpasama|寂静]]ゆえに『[[sāmīcī|相応し]]き[[paṭipadā|行道]]を[[paṭipadā|行道]]した沙門』と私は言う。\\ | + | 内なる[[vūpasama|寂静]]ゆえに『[[sāmīcī|相応し]]い[[paṭipadā|行道]]を[[paṭipadā|行道]]した沙門』と私は言う。\\ |
| もし士族の家系より、俗家から家なき者へと出家した者がおり、\\ | もし士族の家系より、俗家から家なき者へと出家した者がおり、\\ | ||
| - | そして彼が[[āsava|諸漏]]の[[khaya|尽滅]]より、[[āsava|漏]]なき[[cetovimutti|心解脱]]・[[paññāvimutti|慧解脱]]を、まさに[[diṭṭhadhamma|現法]]で自ら[[abhijānāti|証知]]し、[[sacchikaroti|実証]]し、[[upasampajjati|成就]]して住するなら、\\ | + | そして彼が[[āsava|諸漏]]の[[khaya|尽滅]]より、[[āsava|漏]]なき[[cetovimutti|心解脱]]・[[paññāvimutti|慧解脱]]を、まさに[[diṭṭhadhamma|現法]]で自ら[[abhijānāti|証知]]して、[[sacchikaroti|実証]]して、[[upasampajjati|具足]]して住するなら、\\ |
| [[āsava|諸漏]]の[[khaya|尽滅]]ゆえに沙門である。\\ | [[āsava|諸漏]]の[[khaya|尽滅]]ゆえに沙門である。\\ | ||
| もし婆羅門の家系より …中略…\\ | もし婆羅門の家系より …中略…\\ | ||
| もし庶民の家系より …中略…\\ | もし庶民の家系より …中略…\\ | ||
| もし奴隷の家系より …中略…\\ | もし奴隷の家系より …中略…\\ | ||
| - | どこの家系からであれ、もし俗家から家なき者へと出家した者がおり、そして彼が[[āsava|諸漏]]の[[khaya|尽滅]]により[[āsava|漏]]なき[[cetovimutti|心解脱]]・[[paññāvimutti|慧解脱]]を、[[diṭṭhadhamma|現法]]にて自ら[[abhijānāti|証知]]して[[sacchikaroti|実証]]して[[upasampajjati|成就]]して住するなら、\\ | + | どこの家系からであれ、もし俗家から家なき者へと出家した者がおり、そして彼が[[āsava|諸漏]]の[[khaya|尽滅]]により[[āsava|漏]]なき[[cetovimutti|心解脱]]・[[paññāvimutti|慧解脱]]を、[[diṭṭhadhamma|現法]]にて自ら[[abhijānāti|証知]]して、[[sacchikaroti|実証]]して、[[upasampajjati|具足]]して住するなら、\\ |
| [[āsava|諸漏]]の[[khaya|尽滅]]ゆえに沙門である」と。\\ | [[āsava|諸漏]]の[[khaya|尽滅]]ゆえに沙門である」と。\\ | ||
| 世尊はこう言われた。\\ | 世尊はこう言われた。\\ | ||
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