mn47
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| 友よ、世尊は私に、さらにより上の、さらに優れた、黒白の対比ある[[dhamma|法]]を繰り返し示され、そのたびごとにそのように私はその[[dhamma|法]]を[[abhijānāti|証知]]して、そこで[[dhamma|諸法]]のなかの一部の[[dhamma|法]]の究竟に到り、師へ[[pasāda|浄信]]しました、\\ | 友よ、世尊は私に、さらにより上の、さらに優れた、黒白の対比ある[[dhamma|法]]を繰り返し示され、そのたびごとにそのように私はその[[dhamma|法]]を[[abhijānāti|証知]]して、そこで[[dhamma|諸法]]のなかの一部の[[dhamma|法]]の究竟に到り、師へ[[pasāda|浄信]]しました、\\ | ||
| 世尊は[[sammāsambuddha|正等覚者]]であり、世尊により[[dhamma|法]]はよく説かれ、[[saṅgha|僧伽]]はよく[[paṭipadā|行道]]する』と。\\ | 世尊は[[sammāsambuddha|正等覚者]]であり、世尊により[[dhamma|法]]はよく説かれ、[[saṅgha|僧伽]]はよく[[paṭipadā|行道]]する』と。\\ | ||
| - | 比丘たちよ、およそ誰であれ、その者には、これらの[[ākāra|様相]]、これらの句、これらの[[vyañjana|文字]]によって[[tathāgata|如来]]に[[saddhā|信]]が[[nivisati|留ま]]り、[[mūla|根]]が生じ[[patiṭṭhita|確立]]するなら、比丘たちよ、この者は[[ākāra|様相]]ある[[saddhā|信]]ある[[dassana|見]]による[[mūla|根]]ある堅固者、\\ | + | 比丘たちよ、およそ誰であれ、その者には、これらの[[ākāra|様相]]、これらの句、これらの[[vyañjana|表現]]によって[[tathāgata|如来]]に[[saddhā|信]]が[[nivisati|留ま]]り、[[mūla|根]]が生じ[[patiṭṭhita|確立]]するなら、比丘たちよ、この者は[[ākāra|様相]]ある[[saddhā|信]]ある[[dassana|見]]による[[mūla|根]]ある堅固者、\\ |
| 沙門、婆羅門、天、[[māra|魔]]、[[brahmā|梵天]]、あるいは[[loka|世界]]の誰によっても制御されない者と呼ばれる。\\ | 沙門、婆羅門、天、[[māra|魔]]、[[brahmā|梵天]]、あるいは[[loka|世界]]の誰によっても制御されない者と呼ばれる。\\ | ||
| 比丘たちよ、このように[[tathāgata|如来]]についての[[dhamma|法]]の[[samanvesati|捜索]]がある。\\ | 比丘たちよ、このように[[tathāgata|如来]]についての[[dhamma|法]]の[[samanvesati|捜索]]がある。\\ | ||
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