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| そして[[paribbājaka|遍歴行者]]カンダラカは世尊と挨拶をした。\\ | そして[[paribbājaka|遍歴行者]]カンダラカは世尊と挨拶をした。\\ | ||
| - | 喜ばしい挨拶の話を交わして一隅に立った。\\ | + | 喜ばしい挨拶の話を交わしてから一隅に立った。\\ |
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| 一隅に立ち[[samatha|止]]った[[paribbājaka|遍歴行者]]カンダラカは、みごとに[[tuṇhībhāva|沈黙]]している比丘[[saṅgha|僧伽]]を[[anuviloketi|見回]]すと世尊にこう言った。\\ | 一隅に立ち[[samatha|止]]った[[paribbājaka|遍歴行者]]カンダラカは、みごとに[[tuṇhībhāva|沈黙]]している比丘[[saṅgha|僧伽]]を[[anuviloketi|見回]]すと世尊にこう言った。\\ | ||
| 行 28: | 行 28: | ||
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| どの四つの中にか?\\ | どの四つの中にか?\\ | ||
| - | カンダラカよ、ここに比丘は[[kāya|身]]における[[kāyika|身の]][[anupassati|随観]]者として熱心に[[sampajāna|意識的]]に[[satimā|念を具え]]て住し、[[loka|世間]]への[[abhijjhā|羨望]]と[[domanassa|憂]]を[[vinaya|調伏]]する。\\ | + | カンダラカよ、ここに比丘は[[kāya|身]]における[[kāyika|身の]][[anupassati|随観]]者として熱心に[[sampajāna|意識的]]に[[satimā|念を具え]]て住し、[[loka|世間]]における[[abhijjhā|羨望]]と[[domanassa|憂]]を[[vinaya|調伏]]する。\\ |
| - | [[vedanā|諸受]]における[[vedanā|受]]の[[anupassati|随観]]者として熱心に[[sampajāna|意識的]]に[[satimā|念を具え]]て住し、[[loka|世間]]への[[abhijjhā|羨望]]と[[domanassa|憂]]を[[vinaya|調伏]]する。\\ | + | [[vedanā|諸受]]における[[vedanā|受]]の[[anupassati|随観]]者として熱心に[[sampajāna|意識的]]に[[satimā|念を具え]]て住し、[[loka|世間]]における[[abhijjhā|羨望]]と[[domanassa|憂]]を[[vinaya|調伏]]する。\\ |
| - | [[citta|心]]における[[citta|心]]の[[anupassati|随観]]者として熱心に[[sampajāna|意識的]]に[[satimā|念を具え]]て住し、[[loka|世間]]への[[abhijjhā|羨望]]と[[domanassa|憂]]を[[vinaya|調伏]]する。\\ | + | [[citta|心]]における[[citta|心]]の[[anupassati|随観]]者として熱心に[[sampajāna|意識的]]に[[satimā|念を具え]]て住し、[[loka|世間]]における[[abhijjhā|羨望]]と[[domanassa|憂]]を[[vinaya|調伏]]する。\\ |
| - | [[dhamma|諸法]]における[[dhamma|法]]の[[anupassati|随観]]者として熱心に[[sampajāna|意識的]]に[[satimā|念を具え]]て住し、[[loka|世間]]への[[abhijjhā|羨望]]と[[domanassa|憂]]を[[vinaya|調伏]]する」と。\\ | + | [[dhamma|諸法]]における[[dhamma|法]]の[[anupassati|随観]]者として熱心に[[sampajāna|意識的]]に[[satimā|念を具え]]て住し、[[loka|世間]]における[[abhijjhā|羨望]]と[[domanassa|憂]]を[[vinaya|調伏]]する」と。\\ |
| このように説かれた象乗りの息子ペッサは、世尊にこう言った。\\ | このように説かれた象乗りの息子ペッサは、世尊にこう言った。\\ | ||
| 「尊者よ、稀有なことです。尊者よ、未曾有なことです。\\ | 「尊者よ、稀有なことです。尊者よ、未曾有なことです。\\ | ||
| - | 尊者よ、これほど世尊により、[[satta|衆生]]の[[visuddhi|清浄]]のため、[[soka|悲]]・[[parideva|悲嘆]]の[[samatikkama|超越]]のため、[[dukkha|苦]]・[[domanassa|憂]]の[[atthaṅgama|消滅]]のため、[[ñāya|真理]]の[[adhigacchati|会得]]のため、[[nibbāna|涅槃]]の[[sacchikaroti|実証]]のため、この[[cattārosatipaṭṭhāna|四念処]]がよく[[paññāpeti|告知]]されるとは。\\ | + | 尊者よ、これほど世尊により、[[satta|衆生]]の[[visuddhi|清浄]]のため、[[soka|悲]]・[[parideva|悲嘆]]の[[samatikkama|超越]]のため、[[dukkha|苦]]・[[domanassa|憂]]の[[atthaṅgama|消滅]]のため、[[ñāya|筋道]]の[[adhigacchati|会得]]のため、[[nibbāna|涅槃]]の[[sacchikaroti|実証]]のため、この[[cattārosatipaṭṭhāna|四念処]]がよく[[paññāpeti|告知]]されるとは。\\ |
| \\ | \\ | ||
| なぜなら尊者よ、私たち俗人もまた折りにふれ、白衣でこの[[cattārosatipaṭṭhāna|四念処]]によく[[patiṭṭhita|確立]]した[[citta|心]]で住するのですから。((現在でもタイなどの仏教国では在家者が白衣を着て、一時的にお寺で修行することが行われています。))\\ | なぜなら尊者よ、私たち俗人もまた折りにふれ、白衣でこの[[cattārosatipaṭṭhāna|四念処]]によく[[patiṭṭhita|確立]]した[[citta|心]]で住するのですから。((現在でもタイなどの仏教国では在家者が白衣を着て、一時的にお寺で修行することが行われています。))\\ | ||
| - | 尊者よ、ここに私たちは、[[kāya|身]]における[[kāyika|身の]][[anupassati|随観]]者として熱心に[[sampajāna|意識的]]に[[satimā|念を具え]]て住し、[[loka|世間]]への[[abhijjhā|羨望]]と[[domanassa|憂]]を[[vinaya|調伏]]します。\\ | + | 尊者よ、ここに私たちは、[[kāya|身]]における[[kāyika|身の]][[anupassati|随観]]者として熱心に[[sampajāna|意識的]]に[[satimā|念を具え]]て住し、[[loka|世間]]における[[abhijjhā|羨望]]と[[domanassa|憂]]を[[vinaya|調伏]]します。\\ |
| - | [[vedanā|諸受]]における[[vedanā|受]]の[[anupassati|随観]]者として熱心に[[sampajāna|意識的]]に[[satimā|念を具え]]て住し、[[loka|世間]]への[[abhijjhā|羨望]]と[[domanassa|憂]]を[[vinaya|調伏]]します。\\ | + | [[vedanā|諸受]]における[[vedanā|受]]の[[anupassati|随観]]者として熱心に[[sampajāna|意識的]]に[[satimā|念を具え]]て住し、[[loka|世間]]における[[abhijjhā|羨望]]と[[domanassa|憂]]を[[vinaya|調伏]]します。\\ |
| - | [[citta|心]]における[[citta|心]]の[[anupassati|随観]]者として熱心に[[sampajāna|意識的]]に[[satimā|念を具え]]て住し、[[loka|世間]]への[[abhijjhā|羨望]]と[[domanassa|憂]]を[[vinaya|調伏]]します。\\ | + | [[citta|心]]における[[citta|心]]の[[anupassati|随観]]者として熱心に[[sampajāna|意識的]]に[[satimā|念を具え]]て住し、[[loka|世間]]における[[abhijjhā|羨望]]と[[domanassa|憂]]を[[vinaya|調伏]]します。\\ |
| - | [[dhamma|諸法]]における[[dhamma|法]]の[[anupassati|随観]]者として熱心に[[sampajāna|意識的]]に[[satimā|念を具え]]て住し、[[loka|世間]]への[[abhijjhā|羨望]]と[[domanassa|憂]]を[[vinaya|調伏]]します。\\ | + | [[dhamma|諸法]]における[[dhamma|法]]の[[anupassati|随観]]者として熱心に[[sampajāna|意識的]]に[[satimā|念を具え]]て住し、[[loka|世間]]における[[abhijjhā|羨望]]と[[domanassa|憂]]を[[vinaya|調伏]]します。\\ |
| 尊者よ、稀有なことです。尊者よ、未曾有なことです。\\ | 尊者よ、稀有なことです。尊者よ、未曾有なことです。\\ | ||
| 尊者よ、このように人間の密林が、このように人間の過患が、このように人々の狡猾さが起こっているのに、世尊はこれほど[[satta|衆生]]の利と不利をご存知です。\\ | 尊者よ、このように人間の密林が、このように人間の過患が、このように人々の狡猾さが起こっているのに、世尊はこれほど[[satta|衆生]]の利と不利をご存知です。\\ | ||
| 行 57: | 行 57: | ||
| ペッサよ、自明とは、これすなわち獣である。\\ | ペッサよ、自明とは、これすなわち獣である。\\ | ||
| ペッサよ、[[loka|世間]]にはこれら四つの人々がいるのが見られる。\\ | ペッサよ、[[loka|世間]]にはこれら四つの人々がいるのが見られる。\\ | ||
| - | いかなる四つか?\\ | + | 四とは何か?\\ |
| ここにペッサよ、ある者は[[atta|自己]]への[[tapa|苦行者]]となり、[[atta|自己]]を苦しめる実践に従事する。\\ | ここにペッサよ、ある者は[[atta|自己]]への[[tapa|苦行者]]となり、[[atta|自己]]を苦しめる実践に従事する。\\ | ||
| ここにペッサよ、ある者は他者への[[tapa|苦行者]]となり、他者を苦しめる実践に従事する。\\ | ここにペッサよ、ある者は他者への[[tapa|苦行者]]となり、他者を苦しめる実践に従事する。\\ | ||
mn51_1.1765445508.txt.gz · 最終更新: by h1roemon
