mn51_1
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| このように説かれた象乗りの息子ペッサは、世尊にこう言った。\\ | このように説かれた象乗りの息子ペッサは、世尊にこう言った。\\ | ||
| 「尊者よ、稀有なことです。尊者よ、未曾有なことです。\\ | 「尊者よ、稀有なことです。尊者よ、未曾有なことです。\\ | ||
| - | 尊者よ、これほど世尊により、[[satta|衆生]]の[[visuddhi|清浄]]のため、[[soka|悲]]・[[parideva|悲嘆]]の[[samatikkama|超越]]のため、[[dukkha|苦]]・[[domanassa|憂]]の[[atthaṅgama|消滅]]のため、[[ñāya|真理]]の[[adhigacchati|会得]]のため、[[nibbāna|涅槃]]の[[sacchikaroti|実証]]のため、この[[cattārosatipaṭṭhāna|四念処]]がよく[[paññāpeti|告知]]されるとは。\\ | + | 尊者よ、これほど世尊により、[[satta|衆生]]の[[visuddhi|清浄]]のため、[[soka|悲]]・[[parideva|悲嘆]]の[[samatikkama|超越]]のため、[[dukkha|苦]]・[[domanassa|憂]]の[[atthaṅgama|消滅]]のため、[[ñāya|筋道]]の[[adhigacchati|会得]]のため、[[nibbāna|涅槃]]の[[sacchikaroti|実証]]のため、この[[cattārosatipaṭṭhāna|四念処]]がよく[[paññāpeti|告知]]されるとは。\\ |
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| なぜなら尊者よ、私たち俗人もまた折りにふれ、白衣でこの[[cattārosatipaṭṭhāna|四念処]]によく[[patiṭṭhita|確立]]した[[citta|心]]で住するのですから。((現在でもタイなどの仏教国では在家者が白衣を着て、一時的にお寺で修行することが行われています。))\\ | なぜなら尊者よ、私たち俗人もまた折りにふれ、白衣でこの[[cattārosatipaṭṭhāna|四念処]]によく[[patiṭṭhita|確立]]した[[citta|心]]で住するのですから。((現在でもタイなどの仏教国では在家者が白衣を着て、一時的にお寺で修行することが行われています。))\\ | ||
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| ペッサよ、自明とは、これすなわち獣である。\\ | ペッサよ、自明とは、これすなわち獣である。\\ | ||
| ペッサよ、[[loka|世間]]にはこれら四つの人々がいるのが見られる。\\ | ペッサよ、[[loka|世間]]にはこれら四つの人々がいるのが見られる。\\ | ||
| - | いかなる四つか?\\ | + | 四とは何か?\\ |
| ここにペッサよ、ある者は[[atta|自己]]への[[tapa|苦行者]]となり、[[atta|自己]]を苦しめる実践に従事する。\\ | ここにペッサよ、ある者は[[atta|自己]]への[[tapa|苦行者]]となり、[[atta|自己]]を苦しめる実践に従事する。\\ | ||
| ここにペッサよ、ある者は他者への[[tapa|苦行者]]となり、他者を苦しめる実践に従事する。\\ | ここにペッサよ、ある者は他者への[[tapa|苦行者]]となり、他者を苦しめる実践に従事する。\\ | ||
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