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  ラーフラよ、[[aniccasaññā|無常想]]の[[bhāvanā|修養]]を修めなさい。\\  ラーフラよ、[[aniccasaññā|無常想]]の[[bhāvanā|修養]]を修めなさい。\\
  なぜならラーフラよ、君が[[aniccasaññā|無常想]]の[[bhāvanā|修養]]を修めるなら、[[asmimāna|我慢]]、それは[[pahāna|断]]じられるだろう。\\  なぜならラーフラよ、君が[[aniccasaññā|無常想]]の[[bhāvanā|修養]]を修めるなら、[[asmimāna|我慢]]、それは[[pahāna|断]]じられるだろう。\\
- ラーフラよ、[[ānāpānassati|@z@念]]の[[bhāvanā|修養]]を修めなさい。\\ + ラーフラよ、[[ānāpānassati|入出息念]]の[[bhāvanā|修養]]を修めなさい。\\ 
- なぜならラーフラよ、[[bhāvanā|修養]]され[[bahulīkaroti|多修]]された[[ānāpānassati|@z@念]]は君にとって[[mahapphala|大果]]、[[mahānisaṃsa|大益]]がある。\\ + なぜならラーフラよ、[[bhāvanā|修養]]され[[bahulīkaroti|多修]]された[[ānāpānassati|入出息念]]は君にとって[[mahapphala|大果]]、[[mahānisaṃsa|大益]]がある。\\ 
- ではラーフラよ、[[ānāpānassati|@z@念]]はどのように[[bhāvanā|修養]]されどのように[[bahulīkaroti|多修]]されて[[mahapphala|大果]]、[[mahānisaṃsa|大益]]があるのだろうか?\\+ ではラーフラよ、[[ānāpānassati|入出息念]]はどのように[[bhāvanā|修養]]されどのように[[bahulīkaroti|多修]]されて[[mahapphala|大果]]、[[mahānisaṃsa|大益]]があるのだろうか?\\
  ラーフラよ、ここに比丘は森に行き、樹の[[mūla|根元]]に行き、あるいは[[suñña|空]]き家に行き、[[pallaṅka|結跏]]を組み、[[uju|まっすぐ]]に[[kāya|身]]を[[paṇidahati|定置]]して、[[parimukha|面前]]に[[sati|念]]を[[upaṭṭhāti|現前]]させて座る。\\  ラーフラよ、ここに比丘は森に行き、樹の[[mūla|根元]]に行き、あるいは[[suñña|空]]き家に行き、[[pallaṅka|結跏]]を組み、[[uju|まっすぐ]]に[[kāya|身]]を[[paṇidahati|定置]]して、[[parimukha|面前]]に[[sati|念]]を[[upaṭṭhāti|現前]]させて座る。\\
- 彼はすら[[sati|念]]じて[[assāsa|入息]]し、すら[[sati|念]]じて[[passāsa|出息]]する。\\+ 彼はた[[sati|念]]じて[[assāsa|入息]]し、た[[sati|念]]じて[[passāsa|出息]]する。\\
  \\  \\
  長く[[assāsa|入息]]しつつ『長く[[assāsa|入息]]している』と[[pajānāti|了知]]し、長く[[passāsa|出息]]しつつ『長く[[passāsa|出息]]している』と[[pajānāti|了知]]し、\\  長く[[assāsa|入息]]しつつ『長く[[assāsa|入息]]している』と[[pajānāti|了知]]し、長く[[passāsa|出息]]しつつ『長く[[passāsa|出息]]している』と[[pajānāti|了知]]し、\\
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 『[[paṭinissajjati|放棄]]を[[anupassati|随観]]しつつ[[passāsa|出息]]しよう』と[[sikkhati|学ぶ]]。\\ 『[[paṭinissajjati|放棄]]を[[anupassati|随観]]しつつ[[passāsa|出息]]しよう』と[[sikkhati|学ぶ]]。\\
  \\  \\
- ラーフラよ、[[ānāpānassati|@z@念]]はこのように[[bhāvanā|修養]]され、このように[[bahulīkaroti|多修]]されると、[[mahapphala|大果]]、[[mahānisaṃsa|大益]]がある。\\ + ラーフラよ、[[ānāpānassati|入出息念]]はこのように[[bhāvanā|修養]]され、このように[[bahulīkaroti|多修]]されると、[[mahapphala|大果]]、[[mahānisaṃsa|大益]]がある。\\ 
- ラーフラよ、[[ānāpānassati|@z@念]]がこのように[[bhāvanā|修養]]されこのように[[bahulīkaroti|多修]]されたとき、およそその最後の[[assāsa|入息]]、それらも[[vedayati|知られ]]つつ[[nirodha|滅す]]る。[[vedayati|知られ]]ないことはない」と。\\+ ラーフラよ、[[ānāpānassati|入出息念]]がこのように[[bhāvanā|修養]]されこのように[[bahulīkaroti|多修]]されたとき、およそその最後の[[assāsa|入息]]、それらも[[vedayati|知られ]]つつ[[nirodha|滅す]]る。[[vedayati|知られ]]ないことはない」と。\\
  世尊はこう言われた。\\  世尊はこう言われた。\\
  意に適ったラーフラ尊者は、世尊の所説に[[abhinandati|歓喜]]したという。\\  意に適ったラーフラ尊者は、世尊の所説に[[abhinandati|歓喜]]したという。\\
mn62_2.1768430088.txt.gz · 最終更新: by h1roemon