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行 55: 行 55:
 「そのように、友よ」と。アッサジ比丘とプナッバスカ比丘は、その比丘に応えて世尊のもとに近づいた。\\ 「そのように、友よ」と。アッサジ比丘とプナッバスカ比丘は、その比丘に応えて世尊のもとに近づいた。\\
  近づくと世尊に[[abhivādeti|礼拝]]して一隅に座った。\\  近づくと世尊に[[abhivādeti|礼拝]]して一隅に座った。\\
- 一隅に座ったアッサジ比丘とプナッバスカ比丘に、世尊はこうおっしゃった。\\+ 一隅に座ったアッサジ比丘とプナッバスカ比丘に、世尊はこう言われた。\\
 「比丘たちよ、多くの比丘たちが君たちに近づいてこう言ったそうだが[[sacca|本当]]か?\\ 「比丘たちよ、多くの比丘たちが君たちに近づいてこう言ったそうだが[[sacca|本当]]か?\\
 『友よ、世尊は夜食以外の(食)だけを食べます。そして比丘[[saṅgha|僧伽]]も。\\ 『友よ、世尊は夜食以外の(食)だけを食べます。そして比丘[[saṅgha|僧伽]]も。\\
行 75: 行 75:
  \\  \\
 「比丘たちよ、君たちは私によってこのような[[dhamma|法]]が説かれたと[[pajānāti|了知]]するのではないか?『ここにおよそこのような[[sukhavedanā|楽受]]を[[vedayati|感受す]]る一部の者には、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[abhivaḍḍhati|増大]]し[[kusala|善]][[dhamma|諸法]]が[[parihāyati|衰退]]する。しかしここに、このような[[sukhavedanā|楽受]]を[[vedayati|感受す]]る一部の者には、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[parihāyati|衰退]]し[[kusala|善]][[dhamma|諸法]]が[[abhivaḍḍhati|増大]]する』、\\ 「比丘たちよ、君たちは私によってこのような[[dhamma|法]]が説かれたと[[pajānāti|了知]]するのではないか?『ここにおよそこのような[[sukhavedanā|楽受]]を[[vedayati|感受す]]る一部の者には、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[abhivaḍḍhati|増大]]し[[kusala|善]][[dhamma|諸法]]が[[parihāyati|衰退]]する。しかしここに、このような[[sukhavedanā|楽受]]を[[vedayati|感受す]]る一部の者には、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[parihāyati|衰退]]し[[kusala|善]][[dhamma|諸法]]が[[abhivaḍḍhati|増大]]する』、\\
-『ここにこのような[[dukkha|苦]][[vedanā|受]]を[[vedayati|感受す]]る一部の者には、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[abhivaḍḍhati|増大]]し[[kusala|善]][[dhamma|諸法]]が[[parihāyati|衰退]]する。しかしここに、このような[[dukkha|苦]][[vedanā|受]]を[[vedayati|感受す]]る一部の者には、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[parihāyati|衰退]]し[[kusala|善]][[dhamma|諸法]]が[[abhivaḍḍhati|増大]]する』、\\+『ここにこのような[[dukkhavedanā|苦受]]を[[vedayati|感受す]]る一部の者には、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[abhivaḍḍhati|増大]]し[[kusala|善]][[dhamma|諸法]]が[[parihāyati|衰退]]する。しかしここに、このような[[dukkhavedanā|苦受]]を[[vedayati|感受す]]る一部の者には、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[parihāyati|衰退]]し[[kusala|善]][[dhamma|諸法]]が[[abhivaḍḍhati|増大]]する』、\\
 \\ \\
-『ここにこのような[[adukkhamasukha|不苦不楽]][[vedanā|受]]を[[vedayati|感受す]]る一部の者には、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[abhivaḍḍhati|増大]]し[[kusala|善]][[dhamma|諸法]]が[[parihāyati|衰退]]する。しかしここに、このような[[adukkhamasukha|不苦不楽]][[vedanā|受]]を[[vedayati|感受す]]る一部の者には、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[parihāyati|衰退]]し[[kusala|善]][[dhamma|諸法]]が[[abhivaḍḍhati|増大]]する』」と?\\+『ここにこのような[[adukkhamasukhavedanā|不苦不楽受]]を[[vedayati|感受す]]る一部の者には、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[abhivaḍḍhati|増大]]し[[kusala|善]][[dhamma|諸法]]が[[parihāyati|衰退]]する。しかしここに、このような[[adukkhamasukhavedanā|不苦不楽受]]を[[vedayati|感受す]]る一部の者には、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[parihāyati|衰退]]し[[kusala|善]][[dhamma|諸法]]が[[abhivaḍḍhati|増大]]する』」と?\\
 \\ \\
  \\  \\
行 101: 行 101:
  \\  \\
  もし比丘たちよ、私によってこれが[[paññāyati|知られ]]ず、見られず、[[vidita|見出]]されず、[[sacchikaroti|実証]]されず、[[pañña|智慧]]によって触れられなかった場合、\\  もし比丘たちよ、私によってこれが[[paññāyati|知られ]]ず、見られず、[[vidita|見出]]されず、[[sacchikaroti|実証]]されず、[[pañña|智慧]]によって触れられなかった場合、\\
-『ここにこのような[[dukkha|苦]][[vedanā|受]]を[[vedayati|感受す]]る一部の者には、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[abhivaḍḍhati|増大]]し[[kusala|善]][[dhamma|諸法]]が[[parihāyati|衰退]]する』と、 私が知らないのに『このような[[dukkha|苦]][[vedanā|受]]を[[pahāna|断]]ぜよ』と語るならば、\\+『ここにこのような[[dukkhavedanā|苦受]]を[[vedayati|感受す]]る一部の者には、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[abhivaḍḍhati|増大]]し[[kusala|善]][[dhamma|諸法]]が[[parihāyati|衰退]]する』と、 私が知らないのに『このような[[dukkhavedanā|苦受]]を[[pahāna|断]]ぜよ』と語るならば、\\
  比丘たちよ、いったい私のその(語ること)はふさわしいことだろうか?」と。\\  比丘たちよ、いったい私のその(語ること)はふさわしいことだろうか?」と。\\
  \\  \\
行 107: 行 107:
  \\  \\
 「比丘たちよ、私によってこれが[[paññāyati|知られ]]、見られ、[[vidita|見出]]され、[[sacchikaroti|実証]]され、[[pañña|智慧]]によって触れられたゆえに -\\ 「比丘たちよ、私によってこれが[[paññāyati|知られ]]、見られ、[[vidita|見出]]され、[[sacchikaroti|実証]]され、[[pañña|智慧]]によって触れられたゆえに -\\
-『ここにこのような[[dukkha|苦]][[vedanā|受]]を[[vedayati|感受す]]る一部の者には、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[abhivaḍḍhati|増大]]し[[kusala|善]][[dhamma|諸法]]が[[parihāyati|衰退]]する』と、 それゆえ私は『このような[[dukkha|苦]][[vedanā|受]]を[[pahāna|断]]ぜよ』と語る。\\+『ここにこのような[[dukkhavedanā|苦受]]を[[vedayati|感受す]]る一部の者には、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[abhivaḍḍhati|増大]]し[[kusala|善]][[dhamma|諸法]]が[[parihāyati|衰退]]する』と、 それゆえ私は『このような[[dukkhavedanā|苦受]]を[[pahāna|断]]ぜよ』と語る。\\
  \\  \\
  もし比丘たちよ、私によってこれが[[paññāyati|知られ]]ず、見られず、[[vidita|見出]]されず、[[sacchikaroti|実証]]されず、[[pañña|智慧]]によって触れられなかった場合、\\  もし比丘たちよ、私によってこれが[[paññāyati|知られ]]ず、見られず、[[vidita|見出]]されず、[[sacchikaroti|実証]]されず、[[pañña|智慧]]によって触れられなかった場合、\\
-『ここにこのような[[dukkha|苦]][[vedanā|受]]を[[vedayati|感受す]]る一部の者には、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[parihāyati|衰退]]し[[kusala|善]][[dhamma|諸法]]が[[abhivaḍḍhati|増大]]する』と、 私が知らないのに『このような[[dukkha|苦]][[vedanā|受]]を[[upasampajjati|成就]]して住せよ』と語るならば、\\+『ここにこのような[[dukkhavedanā|苦受]]を[[vedayati|感受す]]る一部の者には、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[parihāyati|衰退]]し[[kusala|善]][[dhamma|諸法]]が[[abhivaḍḍhati|増大]]する』と、 私が知らないのに『このような[[dukkhavedanā|苦受]]を[[upasampajjati|成就]]して住せよ』と語るならば、\\
  比丘たちよ、いったい私のその(語ること)はふさわしいことだろうか?」と。\\  比丘たちよ、いったい私のその(語ること)はふさわしいことだろうか?」と。\\
  \\  \\
行 116: 行 116:
  \\  \\
 「比丘たちよ、私によってこれが[[paññāyati|知られ]]、見られ、[[vidita|見出]]され、[[sacchikaroti|実証]]され、[[pañña|智慧]]によって触れられたゆえに -\\ 「比丘たちよ、私によってこれが[[paññāyati|知られ]]、見られ、[[vidita|見出]]され、[[sacchikaroti|実証]]され、[[pañña|智慧]]によって触れられたゆえに -\\
-『ここにこのような[[dukkha|苦]][[vedanā|受]]を[[vedayati|感受す]]る一部の者には、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[parihāyati|衰退]]し[[kusala|善]][[dhamma|諸法]]が[[abhivaḍḍhati|増大]]する』と、それゆえ私は『このような[[dukkha|苦]][[vedanā|受]]を[[upasampajjati|成就]]して住しなさい』と語る。\\+『ここにこのような[[dukkhavedanā|苦受]]を[[vedayati|感受す]]る一部の者には、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[parihāyati|衰退]]し[[kusala|善]][[dhamma|諸法]]が[[abhivaḍḍhati|増大]]する』と、それゆえ私は『このような[[dukkhavedanā|苦受]]を[[upasampajjati|成就]]して住しなさい』と語る。\\
  \\  \\
  もし比丘たちよ、私によってこれが[[paññāyati|知られ]]ず、見られず、[[vidita|見出]]されず、[[sacchikaroti|実証]]されず、[[pañña|智慧]]によって触れられなかった場合、\\  もし比丘たちよ、私によってこれが[[paññāyati|知られ]]ず、見られず、[[vidita|見出]]されず、[[sacchikaroti|実証]]されず、[[pañña|智慧]]によって触れられなかった場合、\\
-『ここにこのような[[adukkhamasukha|不苦不楽]][[vedanā|受]]を[[vedayati|感受す]]る一部の者には、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[abhivaḍḍhati|増大]]し[[kusala|善]][[dhamma|諸法]]が[[parihāyati|衰退]]する』と、 私が知らないのに『このような[[adukkhamasukha|不苦不楽]][[vedanā|受]]を[[pahāna|断]]ぜよ』と語るならば、\\+『ここにこのような[[adukkhamasukhavedanā|不苦不楽受]]を[[vedayati|感受す]]る一部の者には、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[abhivaḍḍhati|増大]]し[[kusala|善]][[dhamma|諸法]]が[[parihāyati|衰退]]する』と、 私が知らないのに『このような[[adukkhamasukhavedanā|不苦不楽受]]を[[pahāna|断]]ぜよ』と語るならば、\\
 \\ \\
  比丘たちよ、いったい私のその(語ること)はふさわしいことだろうか?」と。\\  比丘たちよ、いったい私のその(語ること)はふさわしいことだろうか?」と。\\
行 126: 行 126:
  \\  \\
 「比丘たちよ、私によってこれが[[paññāyati|知られ]]、見られ、[[vidita|見出]]され、[[sacchikaroti|実証]]され、[[pañña|智慧]]によって触れられたゆえに -\\ 「比丘たちよ、私によってこれが[[paññāyati|知られ]]、見られ、[[vidita|見出]]され、[[sacchikaroti|実証]]され、[[pañña|智慧]]によって触れられたゆえに -\\
-『ここにこのような[[adukkhamasukha|不苦不楽]][[vedanā|受]]を[[vedayati|感受す]]る一部の者には、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[abhivaḍḍhati|増大]]し[[kusala|善]][[dhamma|諸法]]が[[parihāyati|衰退]]する』と、 それゆえ私は『このような[[adukkhamasukha|不苦不楽]][[vedanā|受]]を[[pahāna|断]]ぜよ』と語る。\\+『ここにこのような[[adukkhamasukhavedanā|不苦不楽受]]を[[vedayati|感受す]]る一部の者には、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[abhivaḍḍhati|増大]]し[[kusala|善]][[dhamma|諸法]]が[[parihāyati|衰退]]する』と、 それゆえ私は『このような[[adukkhamasukhavedanā|不苦不楽受]]を[[pahāna|断]]ぜよ』と語る。\\
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  もし比丘たちよ、私によってこれが[[paññāyati|知られ]]ず、見られず、[[vidita|見出]]されず、[[sacchikaroti|実証]]されず、[[pañña|智慧]]によって触れられなかった場合、\\  もし比丘たちよ、私によってこれが[[paññāyati|知られ]]ず、見られず、[[vidita|見出]]されず、[[sacchikaroti|実証]]されず、[[pañña|智慧]]によって触れられなかった場合、\\
-『ここにこのような[[adukkhamasukha|不苦不楽]][[vedanā|受]]を[[vedayati|感受す]]る一部の者には、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[parihāyati|衰退]]し[[kusala|善]][[dhamma|諸法]]が[[abhivaḍḍhati|増大]]する』と、 私が知らないのに『このような[[adukkhamasukha|不苦不楽]][[vedanā|受]]を[[upasampajjati|成就]]して住せよ』と語るならば、\\+『ここにこのような[[adukkhamasukhavedanā|不苦不楽受]]を[[vedayati|感受す]]る一部の者には、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[parihāyati|衰退]]し[[kusala|善]][[dhamma|諸法]]が[[abhivaḍḍhati|増大]]する』と、 私が知らないのに『このような[[adukkhamasukhavedanā|不苦不楽受]]を[[upasampajjati|成就]]して住せよ』と語るならば、\\
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  比丘たちよ、いったい私のその(語ること)はふさわしいことだろうか?」と。\\  比丘たちよ、いったい私のその(語ること)はふさわしいことだろうか?」と。\\
行 136: 行 136:
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 「比丘たちよ、私によってこれが[[paññāyati|知られ]]、見られ、[[vidita|見出]]され、[[sacchikaroti|実証]]され、[[pañña|智慧]]によって触れられたゆえに -\\ 「比丘たちよ、私によってこれが[[paññāyati|知られ]]、見られ、[[vidita|見出]]され、[[sacchikaroti|実証]]され、[[pañña|智慧]]によって触れられたゆえに -\\
-『ここにこのような[[adukkhamasukha|不苦不楽]][[vedanā|受]]を[[vedayati|感受す]]る一部の者には、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[parihāyati|衰退]]し[[kusala|善]][[dhamma|諸法]]が[[abhivaḍḍhati|増大]]する』と、それゆえ私は『このような[[adukkhamasukha|不苦不楽]][[vedanā|受]]を[[upasampajjati|成就]]して住しなさい』と語る。\\+『ここにこのような[[adukkhamasukhavedanā|不苦不楽受]]を[[vedayati|感受す]]る一部の者には、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[parihāyati|衰退]]し[[kusala|善]][[dhamma|諸法]]が[[abhivaḍḍhati|増大]]する』と、それゆえ私は『このような[[adukkhamasukhavedanā|不苦不楽受]]を[[upasampajjati|成就]]して住しなさい』と語る。\\
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mn70_1.1765014096.txt.gz · 最終更新: by h1roemon