abhijanati
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| それ以外の用法のときは訳語を**証知**とします。[[mn30_1]]では、**”覚る”**という意味で使われています。\\ | それ以外の用法のときは訳語を**証知**とします。[[mn30_1]]では、**”覚る”**という意味で使われています。\\ | ||
| 興味深いことにabhijānāti:[[abhijānāti|証知]]の連続体が”abhiññā:[[abhiññā|神通]]”であることです。もしかすると[[abhijānāti|証知]]というのは超常的な力で知ることかも知れません。(**超越知**が適切な訳語かも?)\\ | 興味深いことにabhijānāti:[[abhijānāti|証知]]の連続体が”abhiññā:[[abhiññā|神通]]”であることです。もしかすると[[abhijānāti|証知]]というのは超常的な力で知ることかも知れません。(**超越知**が適切な訳語かも?)\\ | ||
| - | 経典中では開悟の描写で頻繁に「[[abhijānāti|証知]]し、[[sacchikaroti|実証]]し、[[upasampajjati|成就]]して住する。」という表現が使われます。\\ | + | 経典中では開悟の描写で頻繁に「[[abhijānāti|証知]]して、[[sacchikaroti|実証]]して、[[upasampajjati|具足]]して住する。」という表現が使われます。\\ |
| また[[mn1]]では、明確にsañjānāti:[[sañjānāti|想起]]と使い分けられています。([[sañjānāti|想起]]を参照。)またparijānati:[[parijānati|遍知]]とも明確に使い分けられています。\\ | また[[mn1]]では、明確にsañjānāti:[[sañjānāti|想起]]と使い分けられています。([[sañjānāti|想起]]を参照。)またparijānati:[[parijānati|遍知]]とも明確に使い分けられています。\\ | ||
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abhijanati.1769419893.txt.gz · 最終更新: by h1roemon
