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cattarosatipaṭṭhana

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cattarosatipaṭṭhana [2026/01/16 05:10] h1roemoncattarosatipaṭṭhana [2026/01/22 12:03] (現在) h1roemon
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 cattāro:四つ + sati:[[sati|念]] + paṭṭhāna:発趣、出発点\\ cattāro:四つ + sati:[[sati|念]] + paṭṭhāna:発趣、出発点\\
 \\  \\ 
-諸経に身・受・心・法の四つの[[anupassati|随観]]として以下のように説かれています。\\+諸経において、身・受・心・法の四つの[[anupassati|随観]]として以下の定型句が説かれています。\\
 これは[[sn45.8]]のsammāsati([[sammāsati|正念]])の定義と同じものです。\\ これは[[sn45.8]]のsammāsati([[sammāsati|正念]])の定義と同じものです。\\
 {{include:sn47.1#10-16}} {{include:sn47.1#10-16}}
-上記の定型句を翻訳するときに**vineyya**という単語の解釈が問題になります。文法的にはvineti([[vinaya|調伏する、教導する]])の連続体です。この場合、連続体を通常の先行完了(して、した上で)とせず、並行する動作(しつつ)と解釈するのが自然です。これは以下の用例を見てもわかります。\\ +の定型句を翻訳する際、vineyya の解釈が一つの論点になります。文法的にはvineti([[vinaya|調伏する、教導する]])の連続体です。この場合、連続体を通常の先行完了(して、した上で)とせず、並行動作(しつつ)と解釈するのが自然です。これは以下の用例を見てもわかります。\\ 
- +{{include:sn54.10#60-68}} 
-その[[sn54.10]]では、[[ānāpānassati|入出息念]]の[[samāhita|定]]が説かれ、それが[[cattārosatipaṭṭhāna|四念処]]になり得ると説かれています。もちろん入出息念が説かれる前から四念処は説かれていたようです。たとえば[[sn16.11]]にカッサパ尊者がブッダから直接教わったと思われる記述があります。\\ +{{include:sn54.14#11-11}}
-「カッサパよ、それゆえここで君はこう[[sikkhati|学ぶ]]べきである、”そして快さを伴う[[sati-kāyagata|身至念]]が私から去ることはない”と。」\\+
 ---- ----
 {{include:sn47.42#4-4}} {{include:sn47.42#4-4}}
cattarosatipaṭṭhana.1768507826.txt.gz · 最終更新: by h1roemon