mn10_3
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| 比丘たちよ、半月はさておき、\\ | 比丘たちよ、半月はさておき、\\ | ||
| 比丘たちよ、誰であれこれら[[cattārosatipaṭṭhāna|四念処]]をこのように七日[[bhāvanā|修養]]するならば、彼には二つの[[phala|果]]のうちどちらかの[[phala|果]]が[[pāṭikaṅkha|予期]]される。[[diṭṭhadhamma|現法]]における[[aññā|開悟]]か、あるいは[[upādāna|取]]の残りがあるならば[[anāgāmī|不還]](果)である」と。\\ | 比丘たちよ、誰であれこれら[[cattārosatipaṭṭhāna|四念処]]をこのように七日[[bhāvanā|修養]]するならば、彼には二つの[[phala|果]]のうちどちらかの[[phala|果]]が[[pāṭikaṅkha|予期]]される。[[diṭṭhadhamma|現法]]における[[aññā|開悟]]か、あるいは[[upādāna|取]]の残りがあるならば[[anāgāmī|不還]](果)である」と。\\ | ||
| - | 『比丘たちよ、これが[[satta|衆生]]の[[visuddhi|清浄]]のため、[[soka|悲]]・[[parideva|悲嘆]]の[[samatikkama|超越]]のため、[[dukkha|苦]]・[[domanassa|憂]]の[[atthaṅgama|消滅]]のため、[[ñāya|真理]]の[[adhigacchati|会得]]のため、[[nibbāna|涅槃]]の[[sacchikaroti|実証]]のための唯一の[[magga|道]]である。それはすなわち[[cattārosatipaṭṭhāna|四念処]]である』と。\\ | + | 『比丘たちよ、これが[[satta|衆生]]の[[visuddhi|清浄]]のため、[[soka|悲]]・[[parideva|悲嘆]]の[[samatikkama|超越]]のため、[[dukkha|苦]]・[[domanassa|憂]]の[[atthaṅgama|消滅]]のため、[[ñāya|筋道]]の[[adhigacchati|会得]]のため、[[nibbāna|涅槃]]の[[sacchikaroti|実証]]のための唯一の[[magga|道]]である。それはすなわち[[cattārosatipaṭṭhāna|四念処]]である』と。\\ |
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| かくしてそれが説かれたが、それはこれに[[paṭicca|縁りて]]説かれたのである」と。\\ | かくしてそれが説かれたが、それはこれに[[paṭicca|縁りて]]説かれたのである」と。\\ | ||
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