ユーザ用ツール

サイト用ツール


mn10_3

差分

このページの2つのバージョン間の差分を表示します。

この比較画面へのリンク

両方とも前のリビジョン前のリビジョン
mn10_3 [2026/01/21 11:37] h1roemonmn10_3 [2026/02/18 10:57] (現在) h1roemon
行 159: 行 159:
  比丘たちよ、半月はさておき、\\  比丘たちよ、半月はさておき、\\
  比丘たちよ、誰であれこれら[[cattārosatipaṭṭhāna|四念処]]をこのように七日[[bhāvanā|修養]]するならば、彼には二つの[[phala|果]]のうちどちらかの[[phala|果]]が[[pāṭikaṅkha|予期]]される。[[diṭṭhadhamma|現法]]における[[aññā|開悟]]か、あるいは[[upādāna|取]]の残りがあるならば[[anāgāmī|不還]](果)である」と。\\  比丘たちよ、誰であれこれら[[cattārosatipaṭṭhāna|四念処]]をこのように七日[[bhāvanā|修養]]するならば、彼には二つの[[phala|果]]のうちどちらかの[[phala|果]]が[[pāṭikaṅkha|予期]]される。[[diṭṭhadhamma|現法]]における[[aññā|開悟]]か、あるいは[[upādāna|取]]の残りがあるならば[[anāgāmī|不還]](果)である」と。\\
-『比丘たちよ、これが[[satta|衆生]]の[[visuddhi|清浄]]のため、[[soka|悲]]・[[parideva|悲嘆]]の[[samatikkama|超越]]のため、[[dukkha|苦]]・[[domanassa|憂]]の[[atthaṅgama|消滅]]のため、[[ñāya|真理]]の[[adhigacchati|会得]]のため、[[nibbāna|涅槃]]の[[sacchikaroti|実証]]のための唯一の[[magga|道]]である。それはすなわち[[cattārosatipaṭṭhāna|四念処]]である』と。\\+『比丘たちよ、これが[[satta|衆生]]の[[visuddhi|清浄]]のため、[[soka|悲]]・[[parideva|悲嘆]]の[[samatikkama|超越]]のため、[[dukkha|苦]]・[[domanassa|憂]]の[[atthaṅgama|消滅]]のため、[[ñāya|筋道]]の[[adhigacchati|会得]]のため、[[nibbāna|涅槃]]の[[sacchikaroti|実証]]のための唯一の[[magga|道]]である。それはすなわち[[cattārosatipaṭṭhāna|四念処]]である』と。\\
 \\ \\
  かくしてそれが説かれたが、それはこれに[[paṭicca|縁りて]]説かれたのである」と。\\  かくしてそれが説かれたが、それはこれに[[paṭicca|縁りて]]説かれたのである」と。\\
mn10_3.1768963022.txt.gz · 最終更新: by h1roemon