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行 7: 行 7:
  そのように出家者となり、何か[[kusala|善なる]]ものを求めるその(私)は、無上の[[santi|静ま]]りへの尊い足跡を[[pariyesati|探し求め]]て、アーラーラ・カーラーマに近づいた。\\  そのように出家者となり、何か[[kusala|善なる]]ものを求めるその(私)は、無上の[[santi|静ま]]りへの尊い足跡を[[pariyesati|探し求め]]て、アーラーラ・カーラーマに近づいた。\\
  近づいてアーラーラ・カーラーマにこう言った。\\  近づいてアーラーラ・カーラーマにこう言った。\\
-『尊者カーラーマよ、私はこの[[dhammavinaya|法と律]]において、[[brahmacariya|梵行]]をなすことを望みます』と。\\+『尊者カーラーマよ、私はこの[[dhammavinaya|法と律]]において、[[brahmacariya|梵行]]をなすことを望みます』と。\\
  比丘たちよ、そう言われてアーラーラ・カーラーマは、私にこう言った。\\  比丘たちよ、そう言われてアーラーラ・カーラーマは、私にこう言った。\\
 『尊者よ、住するがよい。\\ 『尊者よ、住するがよい。\\
- これは[[viññū|識者]]が、やがてたしかに自分の[[ācariya|師匠]]の(教え)を自ら[[abhijānāti|証知]]し[[sacchikaroti|実証]]し[[upasampajjati|成就]]して住することができるような[[dhamma|法]]である』と。\\+ これは[[viññū|識者]]が、やがてたしかに自分の[[ācariya|師匠]]の(教え)を自ら[[abhijānāti|証知]]し[[sacchikaroti|実証]]し[[upasampajjati|成就]]して住することができるような[[dhamma|法]]である』と。\\
  比丘たちよ、まもなくその私は、じつにすみやかにその[[dhamma|法]]を[[pariyāpuṇati|記憶]]した。\\  比丘たちよ、まもなくその私は、じつにすみやかにその[[dhamma|法]]を[[pariyāpuṇati|記憶]]した。\\
  比丘たちよ、その私は唇を叩くほどの、つぶやきが語られるほどの、ただその程度によって((注釈書では『語られたことを繰り返すだけ』))[[ñāṇa|智]]の言葉、長老の言葉を語り、『私は知り、見る』と、自他ともに認めた。\\  比丘たちよ、その私は唇を叩くほどの、つぶやきが語られるほどの、ただその程度によって((注釈書では『語られたことを繰り返すだけ』))[[ñāṇa|智]]の言葉、長老の言葉を語り、『私は知り、見る』と、自他ともに認めた。\\
  比丘たちよ、そのとき私に、この思いがあった、\\  比丘たちよ、そのとき私に、この思いがあった、\\
 『アーラーラ・カーラーマは、この[[dhamma|法]]すべてを[[saddhā|信]]のみで自ら[[abhijānāti|証知]]し[[sacchikaroti|実証]]し[[upasampajjati|成就]]して住しているとは説いていない。\\ 『アーラーラ・カーラーマは、この[[dhamma|法]]すべてを[[saddhā|信]]のみで自ら[[abhijānāti|証知]]し[[sacchikaroti|実証]]し[[upasampajjati|成就]]して住しているとは説いていない。\\
- たしかにアーラーラ・カーラーマはこの[[dhamma|法]]を知り見ながら住しているが』と。\\+ たしかにアーラーラ・カーラーマはこの[[dhamma|法]]を知り見ながら住しているが』と。\\
  \\  \\
  そこで比丘たちよ、私はアーラーラ・カーラーマに近づいた。\\  そこで比丘たちよ、私はアーラーラ・カーラーマに近づいた。\\
行 30: 行 30:
  私は、アーラーラ・カーラーマが自ら[[abhijānāti|証知]]し[[sacchikaroti|実証]]し[[upasampajjati|成就]]して住していると説くその[[dhamma|法]]、その[[dhamma|法]]の[[sacchikaroti|実証]]のため、[[padhāna|勤め]]てみようか』と。\\  私は、アーラーラ・カーラーマが自ら[[abhijānāti|証知]]し[[sacchikaroti|実証]]し[[upasampajjati|成就]]して住していると説くその[[dhamma|法]]、その[[dhamma|法]]の[[sacchikaroti|実証]]のため、[[padhāna|勤め]]てみようか』と。\\
 \\ \\
- 比丘たちよ、まもなくその私は、じつにすみやかにその[[dhamma|法]]を自ら[[abhijānāti|証知]]して[[sacchikaroti|実証]]して[[upasampajjati|成就]]して住した。\\+ 比丘たちよ、まもなくその私は、じつにすみやかにその[[dhamma|法]]を自ら[[abhijānāti|証知]]して[[sacchikaroti|実証]]して[[upasampajjati|具足]]して住した。\\
  \\  \\
  そこで比丘たちよ、私はアーラーラ・カーラーマに近づいた。\\  そこで比丘たちよ、私はアーラーラ・カーラーマに近づいた。\\
行 37: 行 37:
 『カーラーマ尊者よ、これほどをもって、あなたはこの[[dhamma|法]]を自ら[[abhijānāti|証知]]し[[sacchikaroti|実証]]し[[upasampajjati|成就]]して住していると説くのですか?』と。\\ 『カーラーマ尊者よ、これほどをもって、あなたはこの[[dhamma|法]]を自ら[[abhijānāti|証知]]し[[sacchikaroti|実証]]し[[upasampajjati|成就]]して住していると説くのですか?』と。\\
  \\  \\
-『尊者よ、これほどをもって、私はこの[[dhamma|法]]を自ら[[abhijānāti|証知]]し[[sacchikaroti|実証]]し[[upasampajjati|成就]]して住していると説く』と。\\+『尊者よ、これほどをもって、私はこの[[dhamma|法]]を自ら[[abhijānāti|証知]]し[[sacchikaroti|実証]]し[[upasampajjati|成就]]して住していると説く』と。\\
  \\  \\
-『尊者よ、私もまたこれほど、この[[dhamma|法]]を自ら[[abhijānāti|証知]]し[[sacchikaroti|実証]]し[[upasampajjati|成就]]して住しています』と。\\+『尊者よ、私もまたこれほど、この[[dhamma|法]]を自ら[[abhijānāti|証知]]し[[sacchikaroti|実証]]し[[upasampajjati|成就]]して住しています』と。\\
  \\  \\
 「尊者よ、我々が尊者のような[[sabrahmacārin|同梵行者]]を見出すことは我々の[[lābha|利得]]である。尊者よ、我々はよく[[lābha|得]]たものだ。\\ 「尊者よ、我々が尊者のような[[sabrahmacārin|同梵行者]]を見出すことは我々の[[lābha|利得]]である。尊者よ、我々はよく[[lābha|得]]たものだ。\\
行 47: 行 47:
  かくして私が知る[[dhamma|法]]。あなたはその[[dhamma|法]]を知り、あなたが知る[[dhamma|法]]。私はその[[dhamma|法]]を知る。\\  かくして私が知る[[dhamma|法]]。あなたはその[[dhamma|法]]を知り、あなたが知る[[dhamma|法]]。私はその[[dhamma|法]]を知る。\\
  かくしてあなたは私のごとく、私はあなたのごとし。\\  かくしてあなたは私のごとく、私はあなたのごとし。\\
- さあ尊者よ、いまや二人組となり、この会衆を世話しよう』と。\\+ さあ尊者よ、いまや二人組となり、この会衆を世話しよう』と。\\
  かくして比丘たちよ、アーラーラ・カーラーマは私の[[ācariya|師匠]]でありながら、弟子である私を[[atta|自己]]と同等に置き、そして私を大いなる[[pūjeti|供養]]により[[pūjeti|供養]]した。\\  かくして比丘たちよ、アーラーラ・カーラーマは私の[[ācariya|師匠]]でありながら、弟子である私を[[atta|自己]]と同等に置き、そして私を大いなる[[pūjeti|供養]]により[[pūjeti|供養]]した。\\
  比丘たちよ、そのとき私に、この思いがあった、\\  比丘たちよ、そのとき私に、この思いがあった、\\
-『この[[dhamma|法]]は[[ākiñcaññāyatana|無所有処]]への[[upapajjati|再生]]に限るものであり、[[nibbindati|厭離]]、離[[rāga|貪]]、[[nirodha|滅尽]]、[[upasama|静寂]]、[[abhijānāti|証知]]、[[sambodhi|等覚]]、[[nibbāna|涅槃]]へ転じない』と。\\+『この[[dhamma|法]]は[[ākiñcaññāyatana|無所有処]]への[[upapajjati|再生]]に限るものであり、[[nibbindati|厭離]]、離[[rāga|貪]]、[[nirodha|滅尽]]、[[upasama|静寂]]、[[abhijānāti|証知]]、[[sambodhi|等覚]]、[[nibbāna|涅槃]]へ転じない』と。\\
 \\ \\
  比丘たちよ、その私はその[[dhamma|法]]に満足せず、その[[dhamma|法]]から[[nibbindati|厭離]]して立ち去った。\\  比丘たちよ、その私はその[[dhamma|法]]に満足せず、その[[dhamma|法]]から[[nibbindati|厭離]]して立ち去った。\\
行 56: 行 56:
 \\ \\
  近づくとウダカ・ラーマプッタにこう言った。\\  近づくとウダカ・ラーマプッタにこう言った。\\
-『尊者よ、私はこの法と律において、梵行をなすことを望みます』と。※説明の訳【尊者ラーマよ、と大士(ブッダ)がラーマプッタに言われたのは、ラーマに対してではない。なぜならそこではラーマは会衆の師であったが、しかし当時死亡して存在しなかった。それゆえそこではラーマにかかる動詞が過去の時制なのである。\\+『尊者よ、私はこの法と律において、梵行をなすことを望みます』と。※説明の訳【尊者ラーマよ、と大士(ブッダ)がラーマプッタに言われたのは、ラーマに対してではない。なぜならそこではラーマは会衆の師であったが、しかし当時死亡して存在しなかった。それゆえそこではラーマにかかる動詞が過去の時制なのである。\\
  そしてウダカ・ラーマプッタは師匠ではなく大士(ブッダ)の同梵行者と説かれている。そして復註には聖典においてラーマにこそ[[samāpajjati|等至]]が得られたことがあるが、ウダカにではない」等々と後半に説明されている。】\\  そしてウダカ・ラーマプッタは師匠ではなく大士(ブッダ)の同梵行者と説かれている。そして復註には聖典においてラーマにこそ[[samāpajjati|等至]]が得られたことがあるが、ウダカにではない」等々と後半に説明されている。】\\
  比丘たちよ、そう言われてウダカ・ラーマプッタは、私にこう言った。\\  比丘たちよ、そう言われてウダカ・ラーマプッタは、私にこう言った。\\
 『尊者よ、住するがよい。\\ 『尊者よ、住するがよい。\\
- これは[[viññū|識者]]が、やがてたしかに自分の[[ācariya|師匠]]の(教え)を自ら[[abhijānāti|証知]]し[[sacchikaroti|実証]]し[[upasampajjati|成就]]して住することができるような[[dhamma|法]]である』と。\\+ これは[[viññū|識者]]が、やがてたしかに自分の[[ācariya|師匠]]の(教え)を自ら[[abhijānāti|証知]]し[[sacchikaroti|実証]]し[[upasampajjati|成就]]して住することができるような[[dhamma|法]]である』と。\\
  比丘たちよ、まもなくその私は、じつにすみやかにその[[dhamma|法]]を[[pariyāpuṇati|記憶]]した。\\  比丘たちよ、まもなくその私は、じつにすみやかにその[[dhamma|法]]を[[pariyāpuṇati|記憶]]した。\\
  比丘たちよ、その私は唇を叩くほどの、つぶやきが語られるほどの、ただその程度によって[[ñāṇa|智]]の言葉、長老の言葉を語り、『私は知り、見る』と、自他ともに認めた。\\  比丘たちよ、その私は唇を叩くほどの、つぶやきが語られるほどの、ただその程度によって[[ñāṇa|智]]の言葉、長老の言葉を語り、『私は知り、見る』と、自他ともに認めた。\\
  比丘たちよ、そのとき私に、この思いがあった、\\  比丘たちよ、そのとき私に、この思いがあった、\\
 『ラーマは、この[[dhamma|法]]すべてを[[saddhā|信]]のみで自ら[[abhijānāti|証知]]し[[sacchikaroti|実証]]し[[upasampajjati|成就]]して住したとは説いていない。\\ 『ラーマは、この[[dhamma|法]]すべてを[[saddhā|信]]のみで自ら[[abhijānāti|証知]]し[[sacchikaroti|実証]]し[[upasampajjati|成就]]して住したとは説いていない。\\
- たしかにラーマはこの[[dhamma|法]]を知り見ながら住したのだが』と。\\+ たしかにラーマはこの[[dhamma|法]]を知り見ながら住したのだが』と。\\
  \\  \\
  そこで比丘たちよ、私はウダカ・ラーマプッタに近づいた。\\  そこで比丘たちよ、私はウダカ・ラーマプッタに近づいた。\\
行 79: 行 79:
  私はラーマが自ら[[abhijānāti|証知]]し[[sacchikaroti|実証]]し[[upasampajjati|成就]]して住したと説いたその[[dhamma|法]]、その[[dhamma|法]]の[[sacchikaroti|実証]]のため、[[padhāna|勤め]]てみようか』と。\\  私はラーマが自ら[[abhijānāti|証知]]し[[sacchikaroti|実証]]し[[upasampajjati|成就]]して住したと説いたその[[dhamma|法]]、その[[dhamma|法]]の[[sacchikaroti|実証]]のため、[[padhāna|勤め]]てみようか』と。\\
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- 比丘たちよ、まもなくその私は、じつにすみやかにその[[dhamma|法]]を自ら[[abhijānāti|証知]]して[[sacchikaroti|実証]]して[[upasampajjati|成就]]して住した。\\+ 比丘たちよ、まもなくその私は、じつにすみやかにその[[dhamma|法]]を自ら[[abhijānāti|証知]]して[[sacchikaroti|実証]]して[[upasampajjati|具足]]して住した。\\
  \\  \\
  そこで比丘たちよ、私はウダカ・ラーマプッタに近づいた。\\  そこで比丘たちよ、私はウダカ・ラーマプッタに近づいた。\\
行 85: 行 85:
 『尊者よ、これほどをもって、ラーマはこの[[dhamma|法]]を自ら[[abhijānāti|証知]]し[[sacchikaroti|実証]]し[[upasampajjati|成就]]したと説いたのですか?』と。\\ 『尊者よ、これほどをもって、ラーマはこの[[dhamma|法]]を自ら[[abhijānāti|証知]]し[[sacchikaroti|実証]]し[[upasampajjati|成就]]したと説いたのですか?』と。\\
  \\  \\
-『尊者よ、これほどをもって、ラーマはこの[[dhamma|法]]を自ら[[abhijānāti|証知]]し[[sacchikaroti|実証]]し[[upasampajjati|成就]]したと説いた』と。\\+『尊者よ、これほどをもって、ラーマはこの[[dhamma|法]]を自ら[[abhijānāti|証知]]し[[sacchikaroti|実証]]し[[upasampajjati|成就]]したと説いた』と。\\
  \\  \\
-『尊者よ、私もまたこれほど、この[[dhamma|法]]を自ら[[abhijānāti|証知]]し[[sacchikaroti|実証]]し[[upasampajjati|成就]]して住しています』と。\\+『尊者よ、私もまたこれほど、この[[dhamma|法]]を自ら[[abhijānāti|証知]]し[[sacchikaroti|実証]]し[[upasampajjati|成就]]して住しています』と。\\
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 「尊者よ、我々が尊者のような[[sabrahmacārin|同梵行者]]を見出すことは我々の[[lābha|利得]]です。尊者よ、我々はよく[[lābha|得]]たものです。\\ 「尊者よ、我々が尊者のような[[sabrahmacārin|同梵行者]]を見出すことは我々の[[lābha|利得]]です。尊者よ、我々はよく[[lābha|得]]たものです。\\
行 99: 行 99:
  かくして比丘たちよ、ウダカ・ラーマプッタは私の[[sabrahmacārin|同梵行者]]でありながら、[[ācariya|師匠]]の立場に私を置き、そして私を大いなる[[pūjeti|供養]]により[[pūjeti|供養]]した。\\  かくして比丘たちよ、ウダカ・ラーマプッタは私の[[sabrahmacārin|同梵行者]]でありながら、[[ācariya|師匠]]の立場に私を置き、そして私を大いなる[[pūjeti|供養]]により[[pūjeti|供養]]した。\\
  比丘たちよ、そのとき私に、この思いがあった、\\  比丘たちよ、そのとき私に、この思いがあった、\\
-『この[[dhamma|法]]は[[nevasaññānāsaññāyatana|非想非非想処]]への[[upapajjati|再生]]に限るものであり、[[nibbindati|厭離]]、離[[rāga|貪]]、[[nirodha|滅尽]]、[[upasama|静寂]]、[[abhijānāti|証知]]、[[sambodhi|等覚]]、[[nibbāna|涅槃]]へ転じない』と。\\+『この[[dhamma|法]]は[[nevasaññānāsaññāyatana|非想非非想処]]への[[upapajjati|再生]]に限るものであり、[[nibbindati|厭離]]、離[[rāga|貪]]、[[nirodha|滅尽]]、[[upasama|静寂]]、[[abhijānāti|証知]]、[[sambodhi|等覚]]、[[nibbāna|涅槃]]へ転じない』と。\\
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  比丘たちよ、その私はその[[dhamma|法]]に満足せず、その[[dhamma|法]]から[[nibbindati|厭離]]して立ち去った。\\  比丘たちよ、その私はその[[dhamma|法]]に満足せず、その[[dhamma|法]]から[[nibbindati|厭離]]して立ち去った。\\
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