mn27_3
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| [[uddhacca-kukkucca|掉挙・悪作]]を[[pahāna|断]]じ、[[uddhacca|掉挙]]なき者、[[ajjhatta|内に]][[citta|心]]が[[vūpasama|寂静]]なる者として住し、[[uddhacca-kukkucca|掉挙・悪作]]から[[citta|心]]を[[parisuddha|あまねく清め]]る。\\ | [[uddhacca-kukkucca|掉挙・悪作]]を[[pahāna|断]]じ、[[uddhacca|掉挙]]なき者、[[ajjhatta|内に]][[citta|心]]が[[vūpasama|寂静]]なる者として住し、[[uddhacca-kukkucca|掉挙・悪作]]から[[citta|心]]を[[parisuddha|あまねく清め]]る。\\ | ||
| [[vicikicchā|迷い]]を[[pahāna|断]]じ、[[vicikicchā|迷い]]を渡った者、疑念なき者として住し、[[kusala dhamma|諸善法]]について[[vicikicchā|迷い]]から[[citta|心]]を[[parisuddha|あまねく清め]]る。\\ | [[vicikicchā|迷い]]を[[pahāna|断]]じ、[[vicikicchā|迷い]]を渡った者、疑念なき者として住し、[[kusala dhamma|諸善法]]について[[vicikicchā|迷い]]から[[citta|心]]を[[parisuddha|あまねく清め]]る。\\ | ||
| - | 彼はこれら[[pañca nīvaraṇa|五蓋]]を[[pahāna|断]]じて、[[citta|心]]の[[upakkilesa|不純物]]を[[pañña|智慧]]により弱めて、ひたすら[[kāma|諸欲]]から[[viveka|遠離]]して、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]から[[viveka|遠離]]して、[[vitakka|尋]]あり[[vicāra|伺]]ある、[[viveka|遠離]]より生じた[[pīti|喜悦]]と[[sukha|楽]]ある[[paṭhamajjhāna|初禅]]を[[upasampajjati|成就]]して住する。\\ | + | 彼はこれら[[pañca nīvaraṇa|五蓋]]を[[pahāna|捨て去]]りつつ、[[citta|心]]の[[upakkilesa|不純物]]を[[pañña|智慧]]により弱めて、ひたすら[[kāma|諸欲]]から[[viveka|遠離]]して、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]から[[viveka|遠離]]して、[[vitakka|尋]]あり[[vicāra|伺]]ある、[[viveka|遠離]]より生じた[[pīti|喜悦]]と[[sukha|楽]]ある[[paṭhamajjhāna|初禅]]を[[upasampajjati|成就]]して住する。\\ |
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| 婆羅門よ、これも[[tathāgata|如来]]の足跡とも、[[tathāgata|如来]]によりこすられた(跡)とも、[[tathāgata|如来]]により引き裂かれた(跡)とも呼ばれる。\\ | 婆羅門よ、これも[[tathāgata|如来]]の足跡とも、[[tathāgata|如来]]によりこすられた(跡)とも、[[tathāgata|如来]]により引き裂かれた(跡)とも呼ばれる。\\ | ||
| 行 58: | 行 58: | ||
| 『世尊は[[sammāsambuddha|正等覚者]]であり、世尊により[[dhamma|法]]はよく説かれ、世尊の弟子の[[saṅgha|僧伽]]はよく[[paṭipadā|行道]]する』とは。\\ | 『世尊は[[sammāsambuddha|正等覚者]]であり、世尊により[[dhamma|法]]はよく説かれ、世尊の弟子の[[saṅgha|僧伽]]はよく[[paṭipadā|行道]]する』とは。\\ | ||
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| - | 彼はそのように[[citta|心]]が[[samāhita|入定]]し[[parisuddha|あまねく清め]]られ、[[pariyodāta|澄みわた]]り[[aṅgaṇa|汚点]]なく、[[upakkilesa|不純物]]を離れ、柔軟となり、作業に適し[[ṭhiti|とどま]]り、[[āneñja|不動]]を得たとき、[[citta|心]]を[[pubbenivāsānussatiñāṇa|宿命智]]に向けさせる。\\ | + | 彼はそのように[[citta|心]]が[[samāhita|入定]]し[[parisuddha|あまねく清め]]られ、[[pariyodāta|清白]]で[[aṅgaṇa|汚点]]なく、[[upakkilesa|不純物]]を離れ、柔軟となり、作業に適し[[ṭhiti|とどま]]り、[[āneñja|不動]]を得たとき、[[citta|心]]を[[pubbenivāsānussatiñāṇa|宿命智]]に向けさせる。\\ |
| - | 彼は種々の過去世の暮らしを[[anussarati|追憶]]する。すなわち、\\ | + | 彼は種々の過去の暮らしを[[anussarati|追憶]]する。すなわち、\\ |
| 一[[jāti|生]]も、二[[jāti|生]]も … 中略 …\\ | 一[[jāti|生]]も、二[[jāti|生]]も … 中略 …\\ | ||
| - | このように具体的かつ詳細な、種々の過去世の暮らしを[[anussarati|追憶]]する。\\ | + | このように具体的かつ詳細な、種々の過去の暮らしを[[anussarati|追憶]]する。\\ |
| 婆羅門よ、これも[[tathāgata|如来]]の足跡とも、[[tathāgata|如来]]によりこすられた(跡)とも、[[tathāgata|如来]]により引き裂かれた(跡)とも呼ばれる。\\ | 婆羅門よ、これも[[tathāgata|如来]]の足跡とも、[[tathāgata|如来]]によりこすられた(跡)とも、[[tathāgata|如来]]により引き裂かれた(跡)とも呼ばれる。\\ | ||
| しかしそれだけでは[[ariyasāvaka|聖弟子]]は結論に至らない。\\ | しかしそれだけでは[[ariyasāvaka|聖弟子]]は結論に至らない。\\ | ||
| 『世尊は[[sammāsambuddha|正等覚者]]であり、世尊により[[dhamma|法]]はよく説かれ、世尊の弟子の[[saṅgha|僧伽]]はよく[[paṭipadā|行道]]する』とは。\\ | 『世尊は[[sammāsambuddha|正等覚者]]であり、世尊により[[dhamma|法]]はよく説かれ、世尊の弟子の[[saṅgha|僧伽]]はよく[[paṭipadā|行道]]する』とは。\\ | ||
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| - | 彼はそのように[[citta|心]]が[[samāhita|入定]]し[[parisuddha|あまねく清め]]られ、[[pariyodāta|澄みわた]]り[[aṅgaṇa|汚点]]なく、[[upakkilesa|不純物]]を離れ、柔軟となり、作業に適し[[ṭhiti|とどま]]り、[[āneñja|不動]]を得たとき、[[citta|心]]を[[sattānaṃ cutūpapātañāṇa|有情死生智]]に向けさせる。\\ | + | 彼はそのように[[citta|心]]が[[samāhita|入定]]し[[parisuddha|あまねく清め]]られ、[[pariyodāta|清白]]で[[aṅgaṇa|汚点]]なく、[[upakkilesa|不純物]]を離れ、柔軟となり、作業に適し[[ṭhiti|とどま]]り、[[āneñja|不動]]を得たとき、[[citta|心]]を[[sattānaṃ cutūpapātañāṇa|有情死生智]]に向けさせる。\\ |
| 彼は人間を[[atikkama|超え]]た[[visuddhi|清浄]]な[[dibbacakkhu|天眼]]により、死没し再生する、 … 中略 …\\ | 彼は人間を[[atikkama|超え]]た[[visuddhi|清浄]]な[[dibbacakkhu|天眼]]により、死没し再生する、 … 中略 …\\ | ||
| … 衆生を[[pajānāti|了知]]する。\\ | … 衆生を[[pajānāti|了知]]する。\\ | ||
| 行 73: | 行 73: | ||
| 『世尊は[[sammāsambuddha|正等覚者]]であり、世尊により[[dhamma|法]]はよく説かれ、世尊の弟子の[[saṅgha|僧伽]]はよく[[paṭipadā|行道]]する』とは。\\ | 『世尊は[[sammāsambuddha|正等覚者]]であり、世尊により[[dhamma|法]]はよく説かれ、世尊の弟子の[[saṅgha|僧伽]]はよく[[paṭipadā|行道]]する』とは。\\ | ||
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| - | 彼はそのように[[citta|心]]が[[samāhita|入定]]し[[parisuddha|あまねく清め]]られ、[[pariyodāta|澄みわた]]り[[aṅgaṇa|汚点]]なく、[[upakkilesa|不純物]]を離れ、柔軟となり、作業に適し[[ṭhiti|とどま]]り、[[āneñja|不動]]を得たとき、[[citta|心]]を[[āsavakkhayañāṇa|漏尽智]]に向けさせる。\\ | + | 彼はそのように[[citta|心]]が[[samāhita|入定]]し[[parisuddha|あまねく清め]]られ、[[pariyodāta|清白]]で[[aṅgaṇa|汚点]]なく、[[upakkilesa|不純物]]を離れ、柔軟となり、作業に適し[[ṭhiti|とどま]]り、[[āneñja|不動]]を得たとき、[[citta|心]]を[[āsavakkhayañāṇa|漏尽智]]に向けさせる。\\ |
| 彼は『これは[[dukkha|苦]]である』と[[yathābhūta|如実]]に[[pajānāti|了知]]し、『これは[[dukkha|苦]]の[[samudaya|集起]]である』と[[yathābhūta|如実]]に[[pajānāti|了知]]し、『これは[[dukkha|苦]]の[[nirodha|滅]]である』と[[yathābhūta|如実]]に[[pajānāti|了知]]し、『これは[[dukkha|苦]]の[[nirodha|滅]]に至る[[paṭipadā|行道]]である』と[[yathābhūta|如実]]に[[pajānāti|了知]]する。\\ | 彼は『これは[[dukkha|苦]]である』と[[yathābhūta|如実]]に[[pajānāti|了知]]し、『これは[[dukkha|苦]]の[[samudaya|集起]]である』と[[yathābhūta|如実]]に[[pajānāti|了知]]し、『これは[[dukkha|苦]]の[[nirodha|滅]]である』と[[yathābhūta|如実]]に[[pajānāti|了知]]し、『これは[[dukkha|苦]]の[[nirodha|滅]]に至る[[paṭipadā|行道]]である』と[[yathābhūta|如実]]に[[pajānāti|了知]]する。\\ | ||
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mn27_3.1766536587.txt.gz · 最終更新: by h1roemon
