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  [[uddhacca-kukkucca|掉挙・悪作]]を[[pahāna|断]]じ、[[uddhacca|掉挙]]なき者、[[ajjhatta|内に]][[citta|心]]が[[vūpasama|寂静]]なる者として住し、[[uddhacca-kukkucca|掉挙・悪作]]から[[citta|心]]を[[parisuddha|あまねく清め]]る。\\  [[uddhacca-kukkucca|掉挙・悪作]]を[[pahāna|断]]じ、[[uddhacca|掉挙]]なき者、[[ajjhatta|内に]][[citta|心]]が[[vūpasama|寂静]]なる者として住し、[[uddhacca-kukkucca|掉挙・悪作]]から[[citta|心]]を[[parisuddha|あまねく清め]]る。\\
  [[vicikicchā|迷い]]を[[pahāna|断]]じ、[[vicikicchā|迷い]]を渡った者、疑念なき者として住し、[[kusala dhamma|諸善法]]について[[vicikicchā|迷い]]から[[citta|心]]を[[parisuddha|あまねく清め]]る。\\  [[vicikicchā|迷い]]を[[pahāna|断]]じ、[[vicikicchā|迷い]]を渡った者、疑念なき者として住し、[[kusala dhamma|諸善法]]について[[vicikicchā|迷い]]から[[citta|心]]を[[parisuddha|あまねく清め]]る。\\
- 彼はこれら[[pañca nīvaraṇa|五蓋]]を[[pahāna|]]じて、[[citta|心]]の[[upakkilesa|不純物]]を[[pañña|智慧]]により弱めて、ひたすら[[kāma|諸欲]]から[[viveka|遠離]]して、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]から[[viveka|遠離]]して、[[vitakka|尋]]あり[[vicāra|伺]]ある、[[viveka|遠離]]より生じた[[pīti|喜悦]]と[[sukha|楽]]ある[[paṭhamajjhāna|初禅]]を[[upasampajjati|成就]]して住する。\\+ 彼はこれら[[pañca nīvaraṇa|五蓋]]を[[pahāna|捨て去]]りつつ、[[citta|心]]の[[upakkilesa|不純物]]を[[pañña|智慧]]により弱めて、ひたすら[[kāma|諸欲]]から[[viveka|遠離]]して、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]から[[viveka|遠離]]して、[[vitakka|尋]]あり[[vicāra|伺]]ある、[[viveka|遠離]]より生じた[[pīti|喜悦]]と[[sukha|楽]]ある[[paṭhamajjhāna|初禅]]を[[upasampajjati|成就]]して住する。\\
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  婆羅門よ、これも[[tathāgata|如来]]の足跡とも、[[tathāgata|如来]]によりこすられた(跡)とも、[[tathāgata|如来]]により引き裂かれた(跡)とも呼ばれる。\\  婆羅門よ、これも[[tathāgata|如来]]の足跡とも、[[tathāgata|如来]]によりこすられた(跡)とも、[[tathāgata|如来]]により引き裂かれた(跡)とも呼ばれる。\\
行 58: 行 58:
 『世尊は[[sammāsambuddha|正等覚者]]であり、世尊により[[dhamma|法]]はよく説かれ、世尊の弟子の[[saṅgha|僧伽]]はよく[[paṭipadā|行道]]する』とは。\\ 『世尊は[[sammāsambuddha|正等覚者]]であり、世尊により[[dhamma|法]]はよく説かれ、世尊の弟子の[[saṅgha|僧伽]]はよく[[paṭipadā|行道]]する』とは。\\
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- 彼はそのように[[citta|心]]が[[samāhita|入定]]し[[parisuddha|あまねく清め]]られ、[[pariyodāta|澄みわた]][[aṅgaṇa|汚点]]なく、[[upakkilesa|不純物]]を離れ、柔軟となり、作業に適し[[ṭhiti|とどま]]り、[[āneñja|不動]]を得たとき、[[citta|心]]を[[pubbenivāsānussatiñāṇa|宿命智]]に向けさせる。\\ + 彼はそのように[[citta|心]]が[[samāhita|入定]]し[[parisuddha|あまねく清め]]られ、[[pariyodāta|清白]][[aṅgaṇa|汚点]]なく、[[upakkilesa|不純物]]を離れ、柔軟となり、作業に適し[[ṭhiti|とどま]]り、[[āneñja|不動]]を得たとき、[[citta|心]]を[[pubbenivāsānussatiñāṇa|宿命智]]に向けさせる。\\ 
- 彼は種々の過去の暮らしを[[anussarati|追憶]]する。すなわち、\\+ 彼は種々の過去の暮らしを[[anussarati|追憶]]する。すなわち、\\
  一[[jāti|生]]も、二[[jāti|生]]も  … 中略 …\\  一[[jāti|生]]も、二[[jāti|生]]も  … 中略 …\\
- このように具体的かつ詳細な、種々の過去の暮らしを[[anussarati|追憶]]する。\\+ このように具体的かつ詳細な、種々の過去の暮らしを[[anussarati|追憶]]する。\\
  婆羅門よ、これも[[tathāgata|如来]]の足跡とも、[[tathāgata|如来]]によりこすられた(跡)とも、[[tathāgata|如来]]により引き裂かれた(跡)とも呼ばれる。\\  婆羅門よ、これも[[tathāgata|如来]]の足跡とも、[[tathāgata|如来]]によりこすられた(跡)とも、[[tathāgata|如来]]により引き裂かれた(跡)とも呼ばれる。\\
  しかしそれだけでは[[ariyasāvaka|聖弟子]]は結論に至らない。\\  しかしそれだけでは[[ariyasāvaka|聖弟子]]は結論に至らない。\\
 『世尊は[[sammāsambuddha|正等覚者]]であり、世尊により[[dhamma|法]]はよく説かれ、世尊の弟子の[[saṅgha|僧伽]]はよく[[paṭipadā|行道]]する』とは。\\ 『世尊は[[sammāsambuddha|正等覚者]]であり、世尊により[[dhamma|法]]はよく説かれ、世尊の弟子の[[saṅgha|僧伽]]はよく[[paṭipadā|行道]]する』とは。\\
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- 彼はそのように[[citta|心]]が[[samāhita|入定]]し[[parisuddha|あまねく清め]]られ、[[pariyodāta|澄みわた]][[aṅgaṇa|汚点]]なく、[[upakkilesa|不純物]]を離れ、柔軟となり、作業に適し[[ṭhiti|とどま]]り、[[āneñja|不動]]を得たとき、[[citta|心]]を[[sattānaṃ cutūpapātañāṇa|有情死生智]]に向けさせる。\\+ 彼はそのように[[citta|心]]が[[samāhita|入定]]し[[parisuddha|あまねく清め]]られ、[[pariyodāta|清白]][[aṅgaṇa|汚点]]なく、[[upakkilesa|不純物]]を離れ、柔軟となり、作業に適し[[ṭhiti|とどま]]り、[[āneñja|不動]]を得たとき、[[citta|心]]を[[sattānaṃ cutūpapātañāṇa|有情死生智]]に向けさせる。\\
  彼は人間を[[atikkama|超え]]た[[visuddhi|清浄]]な[[dibbacakkhu|天眼]]により、死没し再生する、 … 中略 …\\  彼は人間を[[atikkama|超え]]た[[visuddhi|清浄]]な[[dibbacakkhu|天眼]]により、死没し再生する、 … 中略 …\\
  … 衆生を[[pajānāti|了知]]する。\\  … 衆生を[[pajānāti|了知]]する。\\
行 73: 行 73:
 『世尊は[[sammāsambuddha|正等覚者]]であり、世尊により[[dhamma|法]]はよく説かれ、世尊の弟子の[[saṅgha|僧伽]]はよく[[paṭipadā|行道]]する』とは。\\ 『世尊は[[sammāsambuddha|正等覚者]]であり、世尊により[[dhamma|法]]はよく説かれ、世尊の弟子の[[saṅgha|僧伽]]はよく[[paṭipadā|行道]]する』とは。\\
  \\  \\
- 彼はそのように[[citta|心]]が[[samāhita|入定]]し[[parisuddha|あまねく清め]]られ、[[pariyodāta|澄みわた]][[aṅgaṇa|汚点]]なく、[[upakkilesa|不純物]]を離れ、柔軟となり、作業に適し[[ṭhiti|とどま]]り、[[āneñja|不動]]を得たとき、[[citta|心]]を[[āsavakkhayañāṇa|漏尽智]]に向けさせる。\\+ 彼はそのように[[citta|心]]が[[samāhita|入定]]し[[parisuddha|あまねく清め]]られ、[[pariyodāta|清白]][[aṅgaṇa|汚点]]なく、[[upakkilesa|不純物]]を離れ、柔軟となり、作業に適し[[ṭhiti|とどま]]り、[[āneñja|不動]]を得たとき、[[citta|心]]を[[āsavakkhayañāṇa|漏尽智]]に向けさせる。\\
  彼は『これは[[dukkha|苦]]である』と[[yathābhūta|如実]]に[[pajānāti|了知]]し、『これは[[dukkha|苦]]の[[samudaya|集起]]である』と[[yathābhūta|如実]]に[[pajānāti|了知]]し、『これは[[dukkha|苦]]の[[nirodha|滅]]である』と[[yathābhūta|如実]]に[[pajānāti|了知]]し、『これは[[dukkha|苦]]の[[nirodha|滅]]に至る[[paṭipadā|行道]]である』と[[yathābhūta|如実]]に[[pajānāti|了知]]する。\\  彼は『これは[[dukkha|苦]]である』と[[yathābhūta|如実]]に[[pajānāti|了知]]し、『これは[[dukkha|苦]]の[[samudaya|集起]]である』と[[yathābhūta|如実]]に[[pajānāti|了知]]し、『これは[[dukkha|苦]]の[[nirodha|滅]]である』と[[yathābhūta|如実]]に[[pajānāti|了知]]し、『これは[[dukkha|苦]]の[[nirodha|滅]]に至る[[paṭipadā|行道]]である』と[[yathābhūta|如実]]に[[pajānāti|了知]]する。\\
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mn27_3.1766536587.txt.gz · 最終更新: by h1roemon