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| 彼はその[[ñāṇadassana|智見]]により、[[atta|自己]]をほめそやし他者を軽蔑する。\\ | 彼はその[[ñāṇadassana|智見]]により、[[atta|自己]]をほめそやし他者を軽蔑する。\\ | ||
| 『私は知り見る者となり住している。\\ | 『私は知り見る者となり住している。\\ | ||
| - | しかしこれら他の比丘らは知らず[[dassana|見]]ず住している。』と。\\ | + | しかしこれら他の比丘らは知らず[[dassana|見]]ず住している』と。\\ |
| 彼はその[[ñāṇadassana|智見]]により酔い、[[pamāda|放逸]]になり、[[pamāda|放逸]]に[[āpajjati|陥り]]、[[pamāda|放逸]]者となって[[dukkha|苦]]しく住する。\\ | 彼はその[[ñāṇadassana|智見]]により酔い、[[pamāda|放逸]]になり、[[pamāda|放逸]]に[[āpajjati|陥り]]、[[pamāda|放逸]]者となって[[dukkha|苦]]しく住する。\\ | ||
| たとえば比丘たちよ、芯材を求め芯材を探し芯材の[[pariyesati|探求]]をしている男が、立っている芯材ある大木の芯材を通り過ぎ、辺材を切り取って、『芯材だ』と思って立ち去るとしよう。\\ | たとえば比丘たちよ、芯材を求め芯材を探し芯材の[[pariyesati|探求]]をしている男が、立っている芯材ある大木の芯材を通り過ぎ、辺材を切り取って、『芯材だ』と思って立ち去るとしよう。\\ | ||
| 行 26: | 行 26: | ||
| 『ああ、この尊者は芯材を[[pajānāti|了知]]せず、辺材を[[pajānāti|了知]]せず、深皮を[[pajānāti|了知]]せず、表皮を[[pajānāti|了知]]せず、枝葉を[[pajānāti|了知]]していなかった。\\ | 『ああ、この尊者は芯材を[[pajānāti|了知]]せず、辺材を[[pajānāti|了知]]せず、深皮を[[pajānāti|了知]]せず、表皮を[[pajānāti|了知]]せず、枝葉を[[pajānāti|了知]]していなかった。\\ | ||
| このように、芯材を求め芯材を探し芯材の[[pariyesati|探求]]をしているこの尊者が、立っている芯材ある大木の芯材を通り過ぎ、辺材を切り取って、『芯材だ』と思って立ち去ったのだから。\\ | このように、芯材を求め芯材を探し芯材の[[pariyesati|探求]]をしているこの尊者が、立っている芯材ある大木の芯材を通り過ぎ、辺材を切り取って、『芯材だ』と思って立ち去ったのだから。\\ | ||
| - | その芯材により芯材がなされるべきことは、その[[attha|目的]]にかなわないだろう。』と。\\ | + | その芯材により芯材がなされるべきことは、その[[attha|目的]]にかなわないだろう』と。\\ |
| まさにそのように比丘たちよ、ここで、ある良家の息子は[[saddhā|信]]により、俗家から家なき者へと出家した者となる。\\ | まさにそのように比丘たちよ、ここで、ある良家の息子は[[saddhā|信]]により、俗家から家なき者へと出家した者となる。\\ | ||
| 『私は[[jāti|生]]・[[jarā|老]]・[[maraṇa|死]]・[[soka|悲]]・[[parideva|悲嘆]]・[[domanassa|憂]]・[[upāyāsa|悩]]に悩まされ、[[dukkha|苦]]に悩まされ、[[dukkha|苦]]に打ち負かされている。きっと、この[[kevala|全て]]の[[dukkhakkhandha|苦蘊]]の[[antakiriyā|終了]]が[[paññāyati|知られ]]るだろう』と。\\ | 『私は[[jāti|生]]・[[jarā|老]]・[[maraṇa|死]]・[[soka|悲]]・[[parideva|悲嘆]]・[[domanassa|憂]]・[[upāyāsa|悩]]に悩まされ、[[dukkha|苦]]に悩まされ、[[dukkha|苦]]に打ち負かされている。きっと、この[[kevala|全て]]の[[dukkhakkhandha|苦蘊]]の[[antakiriyā|終了]]が[[paññāyati|知られ]]るだろう』と。\\ | ||
| 行 42: | 行 42: | ||
| 彼はその[[ñāṇadassana|智見]]により、意に適い、満ち足りた[[saṅkappa|思い]]になる。\\ | 彼はその[[ñāṇadassana|智見]]により、意に適い、満ち足りた[[saṅkappa|思い]]になる。\\ | ||
| 彼はその[[ñāṇadassana|智見]]により、[[atta|自己]]をほめそやし他者を軽蔑する。\\ | 彼はその[[ñāṇadassana|智見]]により、[[atta|自己]]をほめそやし他者を軽蔑する。\\ | ||
| - | 『私は知り見る者となり住している。しかしこれら他の比丘らは知らず[[dassana|見]]ず住している。』と。\\ | + | 『私は知り見る者となり住している。しかしこれら他の比丘らは知らず[[dassana|見]]ず住している』と。\\ |
| 彼はその[[ñāṇadassana|智見]]により酔い、[[pamāda|放逸]]になり、[[pamāda|放逸]]に[[āpajjati|陥り]]、[[pamāda|放逸]]者となって[[dukkha|苦]]しく住する。\\ | 彼はその[[ñāṇadassana|智見]]により酔い、[[pamāda|放逸]]になり、[[pamāda|放逸]]に[[āpajjati|陥り]]、[[pamāda|放逸]]者となって[[dukkha|苦]]しく住する。\\ | ||
| 比丘たちよ、この比丘は『[[brahmacariya|梵行]]の辺材をつかんだ』と言われ、\\ | 比丘たちよ、この比丘は『[[brahmacariya|梵行]]の辺材をつかんだ』と言われ、\\ | ||
| 行 92: | 行 92: | ||
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| 比丘たちよ、この[[kuppati|揺るぎ]]なき[[cetovimutti|心解脱]]というもの、\\ | 比丘たちよ、この[[kuppati|揺るぎ]]なき[[cetovimutti|心解脱]]というもの、\\ | ||
| - | 比丘たちよ、この[[brahmacariya|梵行]]はそれを[[attha|目的]]に、それを芯材に、それを完了とするのである」と。\\ | + | 比丘たちよ、この[[brahmacariya|梵行]]はそれを[[attha|目的]]に、それを芯材に、それを[[pariyosāna|完了]]とするのである」と。\\ |
| - | 世尊はこうおっしゃった。\\ | + | 世尊はこう言われた。\\ |
| 意に適った彼ら比丘たちは、世尊の所説に[[abhinandati|歓喜]]したという。\\ | 意に適った彼ら比丘たちは、世尊の所説に[[abhinandati|歓喜]]したという。\\ | ||
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