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| かの[[arahant|阿羅漢]]、[[khīṇāsava|漏尽者]]、[[vusitavant|完成者]]、なすべきがなされ、荷が下ろされ、[[sadattha|善利]]に達し、[[bhava|有]]の[[saṃyojana|結縛]]が[[parikkhaya|尽き果]]て、正しく[[aññā|開悟]]し、[[vimutti|解脱]]した比丘たち。彼らは[[māra|魔]]の[[sota|流れ]]を横切って無事に[[pāra|彼岸]]に至った。\\ | かの[[arahant|阿羅漢]]、[[khīṇāsava|漏尽者]]、[[vusitavant|完成者]]、なすべきがなされ、荷が下ろされ、[[sadattha|善利]]に達し、[[bhava|有]]の[[saṃyojana|結縛]]が[[parikkhaya|尽き果]]て、正しく[[aññā|開悟]]し、[[vimutti|解脱]]した比丘たち。彼らは[[māra|魔]]の[[sota|流れ]]を横切って無事に[[pāra|彼岸]]に至った。\\ | ||
| 比丘たちよ、まるでガンガーの[[sota|流れ]]を横切って無事に[[pāra|彼岸]]に行ったかの元気な牛たち、[[dammati|調御]]されるべき牛たちのように比丘たちよ、\\ | 比丘たちよ、まるでガンガーの[[sota|流れ]]を横切って無事に[[pāra|彼岸]]に行ったかの元気な牛たち、[[dammati|調御]]されるべき牛たちのように比丘たちよ、\\ | ||
| - | およそ[[orambhāgiya-saṃyojana|五下分結]]の[[parikkhaya|遍尽]]ゆえに[[opapātika|化生者]]となり、そこで[[parinibbāna|般涅槃]]して、その[[loka|世界]]から還らざる[[dhamma|性質]]となるその比丘たち、彼らも[[māra|魔]]の[[sota|流れ]]を横切って無事に[[pāra|彼岸]]に至るであろう。\\ | + | およそ[[orambhāgiya-saṃyojana|五下分結]]の[[parikkhaya|遍尽]]ゆえに[[opapātika|化生者]]であり、そこで[[parinibbāna|般涅槃]]して、その[[loka|世界]]から還らざる[[dhamma|性質]]となるその比丘たち、彼らも[[māra|魔]]の[[sota|流れ]]を横切って無事に[[pāra|彼岸]]に至るであろう。\\ |
| 比丘たちよ、まるでガンガーの[[sota|流れ]]を横切って無事に[[pāra|彼岸]]に行ったかの雄の子牛たち、雌の子牛たちのように比丘たちよ、\\ | 比丘たちよ、まるでガンガーの[[sota|流れ]]を横切って無事に[[pāra|彼岸]]に行ったかの雄の子牛たち、雌の子牛たちのように比丘たちよ、\\ | ||
| およそ[[ti saṃyojana|三結]]の[[parikkhaya|遍尽]]と[[rāga|染]]・[[dosa|瞋]]・[[moha|痴]]の薄さにより[[sakadāgāmi|一来]]となり、ただ一度だけ、この[[loka|世界]]に来て[[dukkha|苦]]の終わりをなすその比丘たち、彼らも[[māra|魔]]の[[sota|流れ]]を横切って無事に[[pāra|彼岸]]に至るであろう。\\ | およそ[[ti saṃyojana|三結]]の[[parikkhaya|遍尽]]と[[rāga|染]]・[[dosa|瞋]]・[[moha|痴]]の薄さにより[[sakadāgāmi|一来]]となり、ただ一度だけ、この[[loka|世界]]に来て[[dukkha|苦]]の終わりをなすその比丘たち、彼らも[[māra|魔]]の[[sota|流れ]]を横切って無事に[[pāra|彼岸]]に至るであろう。\\ | ||
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| 比丘たちよ、まるでガンガーの[[sota|流れ]]を横切って無事に[[pāra|彼岸]]に行った、かの痩せて[[bala|力]]のない子牛たちのように、比丘たちよ、\\ | 比丘たちよ、まるでガンガーの[[sota|流れ]]を横切って無事に[[pāra|彼岸]]に行った、かの痩せて[[bala|力]]のない子牛たちのように、比丘たちよ、\\ | ||
| - | およそ[[ti saṃyojana|三結]]の[[parikkhaya|遍尽]]ゆえに[[sotāpanna|預流]]、不[[vinipāta|堕処]]の[[dhamma|性質]]ある、[[niyata|決定者]]、[[sambodhi|等覚]]に[[parāyana|赴く]]者である比丘たち、\\ | + | およそ[[ti saṃyojana|三結]]の[[parikkhaya|遍尽]]ゆえに[[sotāpanna|預流]]、不[[vinipāta|堕処]]の[[dhamma|性質]]ある、[[niyata|決定者]]、[[sambodhi|等覚]]へ[[parāyana|赴く]]者である比丘たち、\\ |
| 彼らも[[māra|魔]]の[[sota|流れ]]を横切って無事に[[pāra|彼岸]]に至るであろう。\\ | 彼らも[[māra|魔]]の[[sota|流れ]]を横切って無事に[[pāra|彼岸]]に至るであろう。\\ | ||
| 比丘たちよ、まるでガンガーの[[sota|流れ]]を横切って無事に[[pāra|彼岸]]に行った、母牛の叫びによって運ばれた[[jāti|生まれ]]たばかりの幼い子牛のように、\\ | 比丘たちよ、まるでガンガーの[[sota|流れ]]を横切って無事に[[pāra|彼岸]]に行った、母牛の叫びによって運ばれた[[jāti|生まれ]]たばかりの幼い子牛のように、\\ | ||
mn34.1767652012.txt.gz · 最終更新: by h1roemon
