mn38_2
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| 比丘たちよ、『これが[[bhava|存在]]する』と見ているか?」と。((注釈書では、”これ”は五蘊であるとしています。 [[sn12.31]]に同句あり。))\\ | 比丘たちよ、『これが[[bhava|存在]]する』と見ているか?」と。((注釈書では、”これ”は五蘊であるとしています。 [[sn12.31]]に同句あり。))\\ | ||
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| - | 「そうです、尊者よ。」と。\\ | + | 「そうです、尊者よ」と。\\ |
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| 比丘たちよ、『それは[[āhāra|食]]による[[sambhava|生成]]である』と見ているか?」と。\\ | 比丘たちよ、『それは[[āhāra|食]]による[[sambhava|生成]]である』と見ているか?」と。\\ | ||
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| - | 「そうです、尊者よ。」と。\\ | + | 「そうです、尊者よ」と。\\ |
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| 「『およそ[[bhava|存在]]するものは、その[[āhāra|食]]の[[nirodha|滅]]により[[nirodhadhamma|滅法]]である』と見ているか?」と。\\ | 「『およそ[[bhava|存在]]するものは、その[[āhāra|食]]の[[nirodha|滅]]により[[nirodhadhamma|滅法]]である』と見ているか?」と。\\ | ||
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| - | 「そうです、尊者よ。」と。\\ | + | 「そうです、尊者よ」と。\\ |
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| 「比丘たちよ、『これが[[bhava|存在]]しないのではないか』と[[vicikicchā|疑う]]者には[[vicikicchā|迷い]]が[[uppajjati|生じる]]か?」と。\\ | 「比丘たちよ、『これが[[bhava|存在]]しないのではないか』と[[vicikicchā|疑う]]者には[[vicikicchā|迷い]]が[[uppajjati|生じる]]か?」と。\\ | ||
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| - | 「そうです、尊者よ。」と。\\ | + | 「そうです、尊者よ」と。\\ |
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| 「比丘たちよ、『それは[[āhāra|食]]による[[sambhava|生成]]ではないのではないか』と[[vicikicchā|疑う]]者には[[vicikicchā|迷い]]が[[uppajjati|生じる]]か?」と。\\ | 「比丘たちよ、『それは[[āhāra|食]]による[[sambhava|生成]]ではないのではないか』と[[vicikicchā|疑う]]者には[[vicikicchā|迷い]]が[[uppajjati|生じる]]か?」と。\\ | ||
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| - | 「そうです、尊者よ。」と。\\ | + | 「そうです、尊者よ」と。\\ |
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| 「『およそ[[bhava|存在]]するものは、その[[āhāra|食]]の[[nirodha|滅]]により[[nirodhadhamma|滅法]]ではないかもしれない』と[[vicikicchā|疑う]]者には[[vicikicchā|迷い]]が[[uppajjati|生じる]]か?」と。\\ | 「『およそ[[bhava|存在]]するものは、その[[āhāra|食]]の[[nirodha|滅]]により[[nirodhadhamma|滅法]]ではないかもしれない』と[[vicikicchā|疑う]]者には[[vicikicchā|迷い]]が[[uppajjati|生じる]]か?」と。\\ | ||
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| - | 「そうです、尊者よ。」と。\\ | + | 「そうです、尊者よ」と。\\ |
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| 「『これが[[bhava|存在]]する』と[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]をもって見る者には、”[[vicikicchā|迷い]]”それは[[pahāna|断]]じられるか?」と。\\ | 「『これが[[bhava|存在]]する』と[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]をもって見る者には、”[[vicikicchā|迷い]]”それは[[pahāna|断]]じられるか?」と。\\ | ||
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| - | 「そうです、尊者よ。」と。\\ | + | 「そうです、尊者よ」と。\\ |
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| 「『それは[[āhāra|食]]による[[sambhava|生成]]である』と[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]をもって見る者には、”[[vicikicchā|迷い]]”それは[[pahāna|断]]じられるか?」と。\\ | 「『それは[[āhāra|食]]による[[sambhava|生成]]である』と[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]をもって見る者には、”[[vicikicchā|迷い]]”それは[[pahāna|断]]じられるか?」と。\\ | ||
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| 「『およそ[[bhava|存在]]するもの、それはその[[āhāra|食]]の[[nirodha|滅]]により[[nirodhadhamma|滅法]]である』と[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]をもって見る者には、”[[vicikicchā|迷い]]”それは[[pahāna|断]]じられるか?」と。\\ | 「『およそ[[bhava|存在]]するもの、それはその[[āhāra|食]]の[[nirodha|滅]]により[[nirodhadhamma|滅法]]である』と[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]をもって見る者には、”[[vicikicchā|迷い]]”それは[[pahāna|断]]じられるか?」と。\\ | ||
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| - | 「かくして比丘たちよ、『これが[[bhava|存在]]する』と、君たちには、ここにも[[vicikicchā|疑い]]はないか?」と。\\ | + | 「かくして比丘たちよ、『これが[[bhava|存在]]する』と、君たちには、ここにも[[vicikicchā|迷い]]はないか?」と。\\ |
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| 「比丘たちよ、『これが[[bhava|存在]]する』と、[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]をもってよく見られたか?」と。\\ | 「比丘たちよ、『これが[[bhava|存在]]する』と、[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]をもってよく見られたか?」と。\\ | ||
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| - | 「そうです、尊者よ。」と。\\ | + | 「そうです、尊者よ」と。\\ |
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| - | 「もし君たちがこのように[[parisuddha|遍浄]]・[[pariyodāta|純白]]なこの[[diṭṭhi|見]]に粘着し、愛玩し、欲しがり、わが物となすならば、比丘たちよ、いったい君たちは、把持のためでなく渡るために私が説いた『[[mn22_2# | + | 「もし君たちがこのように[[parisuddha|遍浄]]・[[pariyodāta|清白]]なこの[[diṭṭhi|見]]に粘着し、愛玩し、欲しがり、わが物となすならば、比丘たちよ、いったい君たちは、把持のためでなく渡るために私が説いた『[[mn22_2# |
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| 「いいえ、尊者よ。」\\ | 「いいえ、尊者よ。」\\ | ||
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mn38_2.1683952714.txt.gz · 最終更新: by h1roemon
