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 (2)では比丘たちよ、現在にも[[dukkha|苦]]あり、未来にも[[dukkha|苦]]の果報ある[[dhamma|法]]の[[samādiyati|受持]]とは何か?\\ (2)では比丘たちよ、現在にも[[dukkha|苦]]あり、未来にも[[dukkha|苦]]の果報ある[[dhamma|法]]の[[samādiyati|受持]]とは何か?\\
- ここに比丘たちよ、一部の[[acelaka|裸行者]]は[[muttācāra|脱糞行者]]であり、(食後)手を舐めとる者、さあ(と招待される)尊師でなく、お残り下さい(と招待される)尊師でなく、持ち運ばれた(施食を)受けず、(招待の)[[uddisati|指定]]はなされず、招待を受けず、壺口から[[paṭigaṇhati|受]]ず、鍋口から[[paṭigaṇhati|受]]ず、敷地内で([[paṭigaṇhati|受]]ず)、棒内で([[paṭigaṇhati|受]]ず)、\\ + ここに比丘たちよ、一部の[[acelaka|裸行者]]は[[muttācāra|脱糞行者]]であり、(食後)手を舐めとる者、さあ(と招待される)尊師でなく、お残り下さい(と招待される)尊師でなく、持ち運ばれた(施食を)受けず、(招待の)[[uddisati|指定]]はなされず、招待を受けず、壺口から[[paṭigaṇhati|受け取]]ず、鍋口から[[paṭigaṇhati|受け取]]ず、敷地内で([[paṭigaṇhati|受け取]]ず)、棒内で([[paṭigaṇhati|受け取]]ず)、\\ 
- すり鉢内で([[paṭigaṇhati|受]]ず)、二人が食べているとき([[paṭigaṇhati|受]]ず)、妊婦から([[paṭigaṇhati|受]]ず)、授乳者から([[paṭigaṇhati|受]]ず)、男のもとに行った(女から[[paṭigaṇhati|受]]ず)、飢饉時に集められたものを([[paṭigaṇhati|受]]ず)、犬が現れたところで([[paṭigaṇhati|受]]ず)、ハエが群れをなすところで([[paṭigaṇhati|受]]ず)、魚を([[paṭigaṇhati|受]]ず)、肉を([[paṭigaṇhati|受]]ず)、穀物酒、果実酒、酸粥を飲まない。\\+ すり鉢内で([[paṭigaṇhati|受け取]]ず)、二人が食べているとき([[paṭigaṇhati|受け取]]ず)、妊婦から([[paṭigaṇhati|受け取]]ず)、授乳者から([[paṭigaṇhati|受け取]]ず)、男のもとに行った(女から[[paṭigaṇhati|受け取]]ず)、飢饉時に集められたものを([[paṭigaṇhati|受け取]]ず)、犬が現れたところで([[paṭigaṇhati|受け取]]ず)、ハエが群れをなすところで([[paṭigaṇhati|受け取]]ず)、魚を([[paṭigaṇhati|受け取]]ず)、肉を([[paṭigaṇhati|受け取]]ず)、穀物酒、果実酒、酸粥を飲まない。\\
  彼は一つの家で一口の食を得る者となり、あるいは二つの家で二口の食を得る者となり、 …\\  彼は一つの家で一口の食を得る者となり、あるいは二つの家で二口の食を得る者となり、 …\\
  あるいは七つの家で七口の食を(受けるだけ)となる。\\  あるいは七つの家で七口の食を(受けるだけ)となる。\\
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  比丘たちよ、これが現在に[[dukkha|苦]]あり、未来に[[dukkha|苦]]の果報ある[[dhamma|法]]の[[samādiyati|受持]]と言われる。\\  比丘たちよ、これが現在に[[dukkha|苦]]あり、未来に[[dukkha|苦]]の果報ある[[dhamma|法]]の[[samādiyati|受持]]と言われる。\\
 (3)では比丘たちよ、現在に[[dukkha|苦]]あり、未来に[[sukha|楽]]の果報ある[[dhamma|法]]の[[samādiyati|受持]]とは何か?\\ (3)では比丘たちよ、現在に[[dukkha|苦]]あり、未来に[[sukha|楽]]の果報ある[[dhamma|法]]の[[samādiyati|受持]]とは何か?\\
- ここに比丘たちよ、ある者は生まれつき激しい[[rāga|貪]]ある類の者であり、彼はいつも[[rāga|貪]]より生ずる(身の)[[dukkha|苦]]、[[domanassa|心苦]]を[[paṭisaṃvedayati|体験]]する。\\ + ここに比丘たちよ、ある者は生まれつき激しい[[rāga|貪]]ある類の者であり、彼はいつも[[rāga|貪]]より生ずる(身の)[[dukkha|苦]]、[[domanassa|]]を[[paṭisaṃvedayati|体験]]する。\\ 
- ここに比丘たちよ、ある者は生まれつき激しい[[dosa|瞋]]ある類の者であり、彼はいつも[[dosa|瞋]]より生じる(身の)[[dukkha|苦]]、[[domanassa|心苦]]を[[paṭisaṃvedayati|体験]]する。\\ + ここに比丘たちよ、ある者は生まれつき激しい[[dosa|瞋]]ある類の者であり、彼はいつも[[dosa|瞋]]より生じる(身の)[[dukkha|苦]]、[[domanassa|]]を[[paṭisaṃvedayati|体験]]する。\\ 
- ここに比丘たちよ、ある者は生まれつき激しい[[moha|痴]]ある類の者であり、彼はいつも[[moha|痴]]より生じる(身の)[[dukkha|苦]]、[[domanassa|心苦]]を[[paṭisaṃvedayati|体験]]する。\\ + ここに比丘たちよ、ある者は生まれつき激しい[[moha|痴]]ある類の者であり、彼はいつも[[moha|痴]]より生じる(身の)[[dukkha|苦]]、[[domanassa|]]を[[paṭisaṃvedayati|体験]]する。\\ 
- [[dukkha|苦]]も伴い[[domanassa|心苦]]も伴う彼は、顔に涙して泣きながら、円満で[[parisuddha|遍浄]]な[[brahmacariya|梵行]]をなす。\\+ [[dukkha|苦]]も伴い[[domanassa|]]も伴う彼は、顔に涙して泣きながら、円満で[[parisuddha|遍浄]]な[[brahmacariya|梵行]]をなす。\\
  彼は[[kāyika|身の]][[bheda|崩壊]]より死後、[[suggati|善趣]]である天界へ[[upapajjati|再生]]する。\\  彼は[[kāyika|身の]][[bheda|崩壊]]より死後、[[suggati|善趣]]である天界へ[[upapajjati|再生]]する。\\
  比丘たちよ、これが現在に[[dukkha|苦]]あり、未来に[[sukha|楽]]の果報ある[[dhamma|法]]の[[samādiyati|受持]]と言われる。\\  比丘たちよ、これが現在に[[dukkha|苦]]あり、未来に[[sukha|楽]]の果報ある[[dhamma|法]]の[[samādiyati|受持]]と言われる。\\
 (4)では比丘たちよ、現在に[[sukha|楽]]あり、未来に[[sukha|楽]]の果報ある[[dhamma|法]]の[[samādiyati|受持]]とは何か?\\ (4)では比丘たちよ、現在に[[sukha|楽]]あり、未来に[[sukha|楽]]の果報ある[[dhamma|法]]の[[samādiyati|受持]]とは何か?\\
- ここに比丘たちよ、ある者は生まれつき激しい[[rāga|貪]]ある類の者ではなく、彼は[[rāga|貪]]より生ずる(身の)[[dukkha|苦]]、[[domanassa|心苦]]をいつも[[paṭisaṃvedayati|体験]]するのではなく、生まれつき激しい[[dosa|瞋]]ある類の者ではなく、彼は[[dosa|瞋]]より生じる(身の)[[dukkha|苦]]、[[domanassa|心苦]]をいつも[[paṭisaṃvedayati|体験]]するのではない。\\ + ここに比丘たちよ、ある者は生まれつき激しい[[rāga|貪]]ある類の者ではなく、彼は[[rāga|貪]]より生ずる(身の)[[dukkha|苦]]、[[domanassa|]]をいつも[[paṭisaṃvedayati|体験]]するのではなく、生まれつき激しい[[dosa|瞋]]ある類の者ではなく、彼は[[dosa|瞋]]より生じる(身の)[[dukkha|苦]]、[[domanassa|]]をいつも[[paṭisaṃvedayati|体験]]するのではない。\\ 
- 生まれつき激しい[[moha|痴]]ある類の者ではなく、彼は[[moha|痴]]より生じる(身の)[[dukkha|苦]]、[[domanassa|心苦]]をいつも[[paṭisaṃvedayati|体験]]するのではない。\\+ 生まれつき激しい[[moha|痴]]ある類の者ではなく、彼は[[moha|痴]]より生じる(身の)[[dukkha|苦]]、[[domanassa|]]をいつも[[paṭisaṃvedayati|体験]]するのではない。\\
  彼はひたすら[[kāma|諸欲]]から[[viveka|遠離]]して、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]から[[viveka|遠離]]して、[[vitakka|尋]]あり[[vicāra|伺]]ある、[[viveka|遠離]]より生じた[[pīti|喜悦]]と[[sukha|楽]]ある[[paṭhamajjhāna|初禅]]を[[upasampajjati|成就]]して住する。\\  彼はひたすら[[kāma|諸欲]]から[[viveka|遠離]]して、[[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]から[[viveka|遠離]]して、[[vitakka|尋]]あり[[vicāra|伺]]ある、[[viveka|遠離]]より生じた[[pīti|喜悦]]と[[sukha|楽]]ある[[paṭhamajjhāna|初禅]]を[[upasampajjati|成就]]して住する。\\
  [[vitakka|尋]]と[[vicāra|伺]]の[[vūpasama|寂静]]により、[[ajjhatta|内に]][[sampasādana|明浄]]ある・[[citta|心]]の[[ekodi|統一]]した・[[vitakka|尋]]なき[[vicāra|伺]]なき・[[samāhita|定]]より生じた[[pīti|喜悦]]と[[sukha|楽]]ある[[dutiyajhāna|第二禅]]を[[upasampajjati|成就]]して住する。  … 中略 …\\  [[vitakka|尋]]と[[vicāra|伺]]の[[vūpasama|寂静]]により、[[ajjhatta|内に]][[sampasādana|明浄]]ある・[[citta|心]]の[[ekodi|統一]]した・[[vitakka|尋]]なき[[vicāra|伺]]なき・[[samāhita|定]]より生じた[[pīti|喜悦]]と[[sukha|楽]]ある[[dutiyajhāna|第二禅]]を[[upasampajjati|成就]]して住する。  … 中略 …\\
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  比丘たちよ、これが現在に苦あり、未来に[[sukha|楽]]の果報ある[[dhamma|法]]の[[samādiyati|受持]]と言われる。\\  比丘たちよ、これが現在に苦あり、未来に[[sukha|楽]]の果報ある[[dhamma|法]]の[[samādiyati|受持]]と言われる。\\
  比丘たちよ、これらが四つの[[dhamma|法]]の[[samādiyati|受持]]である」と。\\  比丘たちよ、これらが四つの[[dhamma|法]]の[[samādiyati|受持]]である」と。\\
- 世尊はこうおっしゃった。\\+ 世尊はこう言われた。\\
  意に適った彼ら比丘たちは、世尊の所説に[[abhinandati|歓喜]]したという。\\  意に適った彼ら比丘たちは、世尊の所説に[[abhinandati|歓喜]]したという。\\
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mn45_2.1753563320.txt.gz · 最終更新: by h1roemon