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| 私の意は(四聖)[[sacca|諦]]の[[bodhi|覚り]]のためによく[[paṇidahati|定置]]されて(向けられて)いる』と。((saccānaṃと属格、複数形なので[[ariyasacca|四聖諦]]と解釈しました。))\\ | 私の意は(四聖)[[sacca|諦]]の[[bodhi|覚り]]のためによく[[paṇidahati|定置]]されて(向けられて)いる』と。((saccānaṃと属格、複数形なので[[ariyasacca|四聖諦]]と解釈しました。))\\ | ||
| これが彼の第一の、[[puthujjana|凡夫]]と共通しない、[[lokuttara|出世間]]の、[[ariya|聖]]なる、[[adhigacchati|会得]]された[[ñāṇa|智]]である。\\ | これが彼の第一の、[[puthujjana|凡夫]]と共通しない、[[lokuttara|出世間]]の、[[ariya|聖]]なる、[[adhigacchati|会得]]された[[ñāṇa|智]]である。\\ | ||
| - | 比丘たちよ、そしてさらに[[ariyasāvaka|聖弟子]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ | + | 比丘たちよ、そしてさらに[[ariyasāvaka|聖弟子]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ |
| 『いったい私は、この[[diṭṭhi|見]]を習熟し[[bhāvanā|修養]]し[[bahulīkaroti|多修]]し、各々で[[samatha|寂止]]を得、各々で[[nibbāti|鎮火]]を得ているだろうか?』\\ | 『いったい私は、この[[diṭṭhi|見]]を習熟し[[bhāvanā|修養]]し[[bahulīkaroti|多修]]し、各々で[[samatha|寂止]]を得、各々で[[nibbāti|鎮火]]を得ているだろうか?』\\ | ||
| 彼はこう[[pajānāti|了知]]する、\\ | 彼はこう[[pajānāti|了知]]する、\\ | ||
| 『私はこの[[diṭṭhi|見]]を習熟し[[bhāvanā|修養]]し[[bahulīkaroti|多修]]し、各々で[[samatha|寂止]]を得、各々で[[nibbāti|鎮火]]を得ている』と。\\ | 『私はこの[[diṭṭhi|見]]を習熟し[[bhāvanā|修養]]し[[bahulīkaroti|多修]]し、各々で[[samatha|寂止]]を得、各々で[[nibbāti|鎮火]]を得ている』と。\\ | ||
| これが彼の第二の、[[puthujjana|凡夫]]と共通しない、[[lokuttara|出世間]]の、[[ariya|聖]]なる、[[adhigacchati|会得]]された[[ñāṇa|智]]である。\\ | これが彼の第二の、[[puthujjana|凡夫]]と共通しない、[[lokuttara|出世間]]の、[[ariya|聖]]なる、[[adhigacchati|会得]]された[[ñāṇa|智]]である。\\ | ||
| - | 比丘たちよ、そしてさらに[[ariyasāvaka|聖弟子]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ | + | 比丘たちよ、そしてさらに[[ariyasāvaka|聖弟子]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ |
| 『いったいここ以外に、私が具えている[[diṭṭhi|見]]のような、そのような[[diṭṭhi|見]]を具えている他の沙門や婆羅門はいるのか?』と。\\ | 『いったいここ以外に、私が具えている[[diṭṭhi|見]]のような、そのような[[diṭṭhi|見]]を具えている他の沙門や婆羅門はいるのか?』と。\\ | ||
| 彼はこう[[pajānāti|了知]]する、\\ | 彼はこう[[pajānāti|了知]]する、\\ | ||
| 『私が具えている[[diṭṭhi|見]]のような、そのような[[diṭṭhi|見]]を具えている他の沙門や婆羅門はここ以外にはいない』と。\\ | 『私が具えている[[diṭṭhi|見]]のような、そのような[[diṭṭhi|見]]を具えている他の沙門や婆羅門はここ以外にはいない』と。\\ | ||
| これが彼の第三の、[[puthujjana|凡夫]]と共通しない、[[lokuttara|出世間]]の、[[ariya|聖]]なる、[[adhigacchati|会得]]された[[ñāṇa|智]]である。\\ | これが彼の第三の、[[puthujjana|凡夫]]と共通しない、[[lokuttara|出世間]]の、[[ariya|聖]]なる、[[adhigacchati|会得]]された[[ñāṇa|智]]である。\\ | ||
| - | 比丘たちよ、そしてさらに[[ariyasāvaka|聖弟子]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ | + | 比丘たちよ、そしてさらに[[ariyasāvaka|聖弟子]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ |
| 『[[sammadiṭṭhi|正見]]を具えた者はこのような[[dhammatā|法性]]を具えた者になるが、私もそのような[[dhammatā|法性]]を具えているか?』と。\\ | 『[[sammadiṭṭhi|正見]]を具えた者はこのような[[dhammatā|法性]]を具えた者になるが、私もそのような[[dhammatā|法性]]を具えているか?』と。\\ | ||
| それでは比丘たちよ、[[sammadiṭṭhi|正見]]を具えた者はどのような[[dhammatā|法性]]を具えた者になるのか?\\ | それでは比丘たちよ、[[sammadiṭṭhi|正見]]を具えた者はどのような[[dhammatā|法性]]を具えた者になるのか?\\ | ||
| 行 43: | 行 43: | ||
| 『[[sammadiṭṭhi|正見]]を具えた者はこのような[[dhammatā|法性]]を具えた者になるが、私もそのような[[dhammatā|法性]]を具えている』と。\\ | 『[[sammadiṭṭhi|正見]]を具えた者はこのような[[dhammatā|法性]]を具えた者になるが、私もそのような[[dhammatā|法性]]を具えている』と。\\ | ||
| これが彼の第四の、[[puthujjana|凡夫]]と共通しない、[[lokuttara|出世間]]の、[[ariya|聖]]なる、[[adhigacchati|会得]]された[[ñāṇa|智]]である。\\ | これが彼の第四の、[[puthujjana|凡夫]]と共通しない、[[lokuttara|出世間]]の、[[ariya|聖]]なる、[[adhigacchati|会得]]された[[ñāṇa|智]]である。\\ | ||
| - | 比丘たちよ、そしてさらに[[ariyasāvaka|聖弟子]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ | + | 比丘たちよ、そしてさらに[[ariyasāvaka|聖弟子]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ |
| 『[[sammadiṭṭhi|正見]]を具えた者はこのような[[dhammatā|法性]]を具えた者になるが、私もそのような[[dhammatā|法性]]を具えているか?』と。\\ | 『[[sammadiṭṭhi|正見]]を具えた者はこのような[[dhammatā|法性]]を具えた者になるが、私もそのような[[dhammatā|法性]]を具えているか?』と。\\ | ||
| それでは比丘たちよ、[[sammadiṭṭhi|正見]]を具えた者はどのような[[dhammatā|法性]]を具えた者になるのか?\\ | それでは比丘たちよ、[[sammadiṭṭhi|正見]]を具えた者はどのような[[dhammatā|法性]]を具えた者になるのか?\\ | ||
| 行 54: | 行 54: | ||
| 『[[sammadiṭṭhi|正見]]を具えた者はこのような[[dhammatā|法性]]を具えた者になるが、私もそのような[[dhammatā|法性]]を具えている』と。\\ | 『[[sammadiṭṭhi|正見]]を具えた者はこのような[[dhammatā|法性]]を具えた者になるが、私もそのような[[dhammatā|法性]]を具えている』と。\\ | ||
| これが彼の第五の、[[puthujjana|凡夫]]と共通しない、[[lokuttara|出世間]]の、[[ariya|聖]]なる、[[adhigacchati|会得]]された[[ñāṇa|智]]である。\\ | これが彼の第五の、[[puthujjana|凡夫]]と共通しない、[[lokuttara|出世間]]の、[[ariya|聖]]なる、[[adhigacchati|会得]]された[[ñāṇa|智]]である。\\ | ||
| - | 比丘たちよ、そしてさらに[[ariyasāvaka|聖弟子]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ | + | 比丘たちよ、そしてさらに[[ariyasāvaka|聖弟子]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ |
| 『[[sammadiṭṭhi|正見]]を具えた者はこのような力量を具えた者になるが、私もそのような力量を具えているか?』と。\\ | 『[[sammadiṭṭhi|正見]]を具えた者はこのような力量を具えた者になるが、私もそのような力量を具えているか?』と。\\ | ||
| それでは比丘たちよ、[[sammadiṭṭhi|正見]]を具えた者はどのような力量を具えた者になるのか?\\ | それでは比丘たちよ、[[sammadiṭṭhi|正見]]を具えた者はどのような力量を具えた者になるのか?\\ | ||
| 行 62: | 行 62: | ||
| 『[[sammadiṭṭhi|正見]]を具えた者はこのような力量を具えた者になるが、私もそのような力量を具えている』と。\\ | 『[[sammadiṭṭhi|正見]]を具えた者はこのような力量を具えた者になるが、私もそのような力量を具えている』と。\\ | ||
| これが彼の第六の、[[puthujjana|凡夫]]と共通しない、[[lokuttara|出世間]]の、[[ariya|聖]]なる、[[adhigacchati|会得]]された[[ñāṇa|智]]である。\\ | これが彼の第六の、[[puthujjana|凡夫]]と共通しない、[[lokuttara|出世間]]の、[[ariya|聖]]なる、[[adhigacchati|会得]]された[[ñāṇa|智]]である。\\ | ||
| - | 比丘たちよ、そしてさらに[[ariyasāvaka|聖弟子]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ | + | 比丘たちよ、そしてさらに[[ariyasāvaka|聖弟子]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ |
| 『[[sammadiṭṭhi|正見]]を具えた者はこのような力量を具えた者になるが、私もそのような力量を具えているか?』と。\\ | 『[[sammadiṭṭhi|正見]]を具えた者はこのような力量を具えた者になるが、私もそのような力量を具えているか?』と。\\ | ||
| それでは比丘たちよ、[[sammadiṭṭhi|正見]]を具えた者はどのような力量を具えた者になるのか?\\ | それでは比丘たちよ、[[sammadiṭṭhi|正見]]を具えた者はどのような力量を具えた者になるのか?\\ | ||
mn48_2.1767652012.txt.gz · 最終更新: by h1roemon
