mn54_3
差分
このページの2つのバージョン間の差分を表示します。
| 両方とも前のリビジョン前のリビジョン次のリビジョン | 前のリビジョン | ||
| mn54_3 [2025/12/13 08:11] – h1roemon | mn54_3 [2026/01/28 11:50] (現在) – h1roemon | ||
|---|---|---|---|
| 行 3: | 行 3: | ||
| <WRAP group> | <WRAP group> | ||
| <WRAP half column> | <WRAP half column> | ||
| - | 世尊はこうおっしゃった。\\ | + | 世尊はこう言われた。\\ |
| 【[[kāma|欲]]の[[ādīnava|危難]]の話】 < | 【[[kāma|欲]]の[[ādīnava|危難]]の話】 < | ||
| たとえば[[gahapati|居士]]よ、飢えて衰弱にさらされた犬が、牛の屠殺場に現れたとする。\\ | たとえば[[gahapati|居士]]よ、飢えて衰弱にさらされた犬が、牛の屠殺場に現れたとする。\\ | ||
| 行 16: | 行 16: | ||
| 「なぜなら尊者よ、それは、よくよく切り削がれて肉のない、血にまみれた骨、骸骨を(与えたからです)。\\ | 「なぜなら尊者よ、それは、よくよく切り削がれて肉のない、血にまみれた骨、骸骨を(与えたからです)。\\ | ||
| そしてその犬は疲労と困惑を受けるだけでしょう」と。\\ | そしてその犬は疲労と困惑を受けるだけでしょう」と。\\ | ||
| - | 「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ | + | 「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ |
| **『[[kāma|諸欲]]は骨、骸骨のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\ | **『[[kāma|諸欲]]は骨、骸骨のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\ | ||
| そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、種々なる、種々性に依る[[upekkhati|捨]]、それを回避して、そこで完全に[[lokāmisa|世間肉]]の[[upādāna|取]]が残りなく[[nirodha|滅す]]るような単一の、単一性に依る[[upekkhati|捨]]、その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\ | そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、種々なる、種々性に依る[[upekkhati|捨]]、それを回避して、そこで完全に[[lokāmisa|世間肉]]の[[upādāna|取]]が残りなく[[nirodha|滅す]]るような単一の、単一性に依る[[upekkhati|捨]]、その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\ | ||
| 行 27: | 行 27: | ||
| 「その通りです、尊者よ」と。\\ | 「その通りです、尊者よ」と。\\ | ||
| \\ | \\ | ||
| - | まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ | + | まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ |
| **『[[kāma|諸欲]]は[[pesi|肉片]]のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\ | **『[[kāma|諸欲]]は[[pesi|肉片]]のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\ | ||
| そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、種々なる、種々性に依る[[upekkhati|捨]]、それを回避して、そこで完全に[[lokāmisa|世間肉]]の[[upādāna|取]]が残りなく[[nirodha|滅す]]るような単一の、単一性に依る[[upekkhati|捨]]、その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\ | そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、種々なる、種々性に依る[[upekkhati|捨]]、それを回避して、そこで完全に[[lokāmisa|世間肉]]の[[upādāna|取]]が残りなく[[nirodha|滅す]]るような単一の、単一性に依る[[upekkhati|捨]]、その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\ | ||
| 行 38: | 行 38: | ||
| 「その通りです、尊者よ」と。\\ | 「その通りです、尊者よ」と。\\ | ||
| \\ | \\ | ||
| - | 「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ | + | 「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ |
| **『[[kāma|諸欲]]は草の松明のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\ | **『[[kāma|諸欲]]は草の松明のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\ | ||
| そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、 …中略…\\ | そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、 …中略…\\ | ||
| 行 44: | 行 44: | ||
| \\ | \\ | ||
| たとえば[[gahapati|居士]]よ、人の背丈を[[atikkama|超え]]た、焔なく、煙なき(真っ赤な)炭火の満ちた燃える穴がある。\\ | たとえば[[gahapati|居士]]よ、人の背丈を[[atikkama|超え]]た、焔なく、煙なき(真っ赤な)炭火の満ちた燃える穴がある。\\ | ||
| - | そこに[[jīvita|生きる]]ことを[[kāma|欲し]]、[[maraṇa|死]]なないことを[[kāma|欲し]]、[[sukha|楽]]を[[kāma|欲し]]、[[dukkha|苦]]を[[paṭikūla|厭逆]]する人が近づく(とする)。\\ | + | そこに[[jīvita|生きる]]ことを[[kāma|欲し]]、[[maraṇa|死]]なないことを[[kāma|欲し]]、[[sukha|楽]]を[[kāma|欲し]]、[[dukkha|苦]]に[[paṭikūla|厭意]]ある者が近づく(とする)。\\ |
| するとこの者を、二人の[[bala|力]]ある男が別々に腕をつかんで、その燃える穴へ引き寄せる。\\ | するとこの者を、二人の[[bala|力]]ある男が別々に腕をつかんで、その燃える穴へ引き寄せる。\\ | ||
| [[gahapati|居士]]よ、これをどう[[maññita|思う]]だろう。いったいその男はああだこうだといって[[kāya|身]]をよじるのではないか?」と。\\ | [[gahapati|居士]]よ、これをどう[[maññita|思う]]だろう。いったいその男はああだこうだといって[[kāya|身]]をよじるのではないか?」と。\\ | ||
| 行 54: | 行 54: | ||
| 「なぜなら尊者よ、その男には『私はこの燃える穴に落ちるだろう、それに[[nidāna|起因]]して[[maraṇa|死]]、あるいは[[maraṇa|死]]ぬほどの[[dukkha|苦]]を受けるだろう。』と[[paññāyati|知られ]]たからです」と。\\ | 「なぜなら尊者よ、その男には『私はこの燃える穴に落ちるだろう、それに[[nidāna|起因]]して[[maraṇa|死]]、あるいは[[maraṇa|死]]ぬほどの[[dukkha|苦]]を受けるだろう。』と[[paññāyati|知られ]]たからです」と。\\ | ||
| \\ | \\ | ||
| - | 「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ | + | 「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ |
| **『[[kāma|諸欲]]は燃える穴のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\ | **『[[kāma|諸欲]]は燃える穴のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\ | ||
| そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、…中略…\\ | そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、…中略…\\ | ||
| その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\ | その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\ | ||
| \\ | \\ | ||
| - | たとえば[[gahapati|居士]]よ、男が楽しそうな園林、楽しそうな森、楽しそうな土地、楽しそうな蓮池の夢を見るとする。\\ | + | たとえば[[gahapati|居士]]よ、男が[[ramaṇīya|心地よい]]園林、[[ramaṇīya|心地よい]]森、[[ramaṇīya|心地よい]]土地、[[ramaṇīya|心地よい]]蓮池の夢を見るとする。\\ |
| \\ | \\ | ||
| (しかし)目覚めた彼は、もう何も見ない。\\ | (しかし)目覚めた彼は、もう何も見ない。\\ | ||
| \\ | \\ | ||
| - | まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ | + | まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ |
| **『[[kāma|諸欲]]は夢のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。 … 中略 …\\ | **『[[kāma|諸欲]]は夢のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。 … 中略 …\\ | ||
| その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\ | その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\ | ||
| 行 81: | 行 81: | ||
| 「なぜなら持ち主たちが自分のものを持ち去るからです」と。\\ | 「なぜなら持ち主たちが自分のものを持ち去るからです」と。\\ | ||
| \\ | \\ | ||
| - | 「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ | + | 「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ |
| **『[[kāma|諸欲]]は借り物のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。 … 中略 …\\ | **『[[kāma|諸欲]]は借り物のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。 … 中略 …\\ | ||
| その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\ | その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\ | ||
| 行 110: | 行 110: | ||
| 「その通りです、尊者よ」と。\\ | 「その通りです、尊者よ」と。\\ | ||
| \\ | \\ | ||
| - | 「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ | + | 「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ |
| **『[[kāma|諸欲]]は木の[[phala|果実]]のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\ | **『[[kāma|諸欲]]は木の[[phala|果実]]のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\ | ||
| そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、種々なる、種々性に依る[[upekkhati|捨]]、それを回避して、そこで完全に[[lokāmisa|世間肉]]の[[upādāna|取]]が残りなく[[nirodha|滅す]]るような単一の、単一性に依る[[upekkhati|捨]]、その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\ | そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、種々なる、種々性に依る[[upekkhati|捨]]、それを回避して、そこで完全に[[lokāmisa|世間肉]]の[[upādāna|取]]が残りなく[[nirodha|滅す]]るような単一の、単一性に依る[[upekkhati|捨]]、その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\ | ||
mn54_3.1765581110.txt.gz · 最終更新: by h1roemon
