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行 3: 行 3:
 <WRAP group> <WRAP group>
 <WRAP half column> <WRAP half column>
- 世尊はこうおっしゃった。\\+ 世尊はこう言われた。\\
  【[[kāma|欲]]の[[ādīnava|危難]]の話】 <BOOKMARK:a>\\  【[[kāma|欲]]の[[ādīnava|危難]]の話】 <BOOKMARK:a>\\
  たとえば[[gahapati|居士]]よ、飢えて衰弱にさらされた犬が、牛の屠殺場に現れたとする。\\  たとえば[[gahapati|居士]]よ、飢えて衰弱にさらされた犬が、牛の屠殺場に現れたとする。\\
行 16: 行 16:
 「なぜなら尊者よ、それは、よくよく切り削がれて肉のない、血にまみれた骨、骸骨を(与えたからです)。\\ 「なぜなら尊者よ、それは、よくよく切り削がれて肉のない、血にまみれた骨、骸骨を(与えたからです)。\\
  そしてその犬は疲労と困惑を受けるだけでしょう」と。\\  そしてその犬は疲労と困惑を受けるだけでしょう」と。\\
-「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\+「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\
 **『[[kāma|諸欲]]は骨、骸骨のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\ **『[[kāma|諸欲]]は骨、骸骨のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\
  そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、種々なる、種々性に依る[[upekkhati|捨]]、それを回避して、そこで完全に[[lokāmisa|世間肉]]の[[upādāna|取]]が残りなく[[nirodha|滅す]]るような単一の、単一性に依る[[upekkhati|捨]]、その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\  そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、種々なる、種々性に依る[[upekkhati|捨]]、それを回避して、そこで完全に[[lokāmisa|世間肉]]の[[upādāna|取]]が残りなく[[nirodha|滅す]]るような単一の、単一性に依る[[upekkhati|捨]]、その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\
行 27: 行 27:
 「その通りです、尊者よ」と。\\ 「その通りです、尊者よ」と。\\
  \\  \\
- まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\+ まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\
 **『[[kāma|諸欲]]は[[pesi|肉片]]のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\ **『[[kāma|諸欲]]は[[pesi|肉片]]のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\
  そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、種々なる、種々性に依る[[upekkhati|捨]]、それを回避して、そこで完全に[[lokāmisa|世間肉]]の[[upādāna|取]]が残りなく[[nirodha|滅す]]るような単一の、単一性に依る[[upekkhati|捨]]、その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\  そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、種々なる、種々性に依る[[upekkhati|捨]]、それを回避して、そこで完全に[[lokāmisa|世間肉]]の[[upādāna|取]]が残りなく[[nirodha|滅す]]るような単一の、単一性に依る[[upekkhati|捨]]、その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\
行 38: 行 38:
 「その通りです、尊者よ」と。\\ 「その通りです、尊者よ」と。\\
  \\  \\
-「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\+「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\
 **『[[kāma|諸欲]]は草の松明のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\ **『[[kāma|諸欲]]は草の松明のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\
  そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、 …中略…\\  そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、 …中略…\\
行 44: 行 44:
  \\  \\
  たとえば[[gahapati|居士]]よ、人の背丈を[[atikkama|超え]]た、焔なく、煙なき(真っ赤な)炭火の満ちた燃える穴がある。\\  たとえば[[gahapati|居士]]よ、人の背丈を[[atikkama|超え]]た、焔なく、煙なき(真っ赤な)炭火の満ちた燃える穴がある。\\
- そこに[[jīvita|生きる]]ことを[[kāma|欲し]]、[[maraṇa|死]]なないことを[[kāma|欲し]]、[[sukha|楽]]を[[kāma|欲し]]、[[dukkha|苦]][[paṭikūla|厭]]が近づく(とする)。\\+ そこに[[jīvita|生きる]]ことを[[kāma|欲し]]、[[maraṇa|死]]なないことを[[kāma|欲し]]、[[sukha|楽]]を[[kāma|欲し]]、[[dukkha|苦]][[paṭikūla|厭]]が近づく(とする)。\\
  するとこの者を、二人の[[bala|力]]ある男が別々に腕をつかんで、その燃える穴へ引き寄せる。\\  するとこの者を、二人の[[bala|力]]ある男が別々に腕をつかんで、その燃える穴へ引き寄せる。\\
  [[gahapati|居士]]よ、これをどう[[maññita|思う]]だろう。いったいその男はああだこうだといって[[kāya|身]]をよじるのではないか?」と。\\  [[gahapati|居士]]よ、これをどう[[maññita|思う]]だろう。いったいその男はああだこうだといって[[kāya|身]]をよじるのではないか?」と。\\
行 54: 行 54:
 「なぜなら尊者よ、その男には『私はこの燃える穴に落ちるだろう、それに[[nidāna|起因]]して[[maraṇa|死]]、あるいは[[maraṇa|死]]ぬほどの[[dukkha|苦]]を受けるだろう。』と[[paññāyati|知られ]]たからです」と。\\ 「なぜなら尊者よ、その男には『私はこの燃える穴に落ちるだろう、それに[[nidāna|起因]]して[[maraṇa|死]]、あるいは[[maraṇa|死]]ぬほどの[[dukkha|苦]]を受けるだろう。』と[[paññāyati|知られ]]たからです」と。\\
  \\  \\
-「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\+「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\
 **『[[kāma|諸欲]]は燃える穴のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\ **『[[kāma|諸欲]]は燃える穴のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\
  そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、…中略…\\  そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、…中略…\\
  その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\  その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\
  \\  \\
- たとえば[[gahapati|居士]]よ、男が楽しそうな園林、楽しそうな森、楽しそうな土地、楽しそうな蓮池の夢を見るとする。\\+ たとえば[[gahapati|居士]]よ、男が[[ramaṇīya|心地よい]]園林、[[ramaṇīya|心地よい]]森、[[ramaṇīya|心地よい]]土地、[[ramaṇīya|心地よい]]蓮池の夢を見るとする。\\
 \\ \\
  (しかし)目覚めた彼は、もう何も見ない。\\  (しかし)目覚めた彼は、もう何も見ない。\\
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- まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\+ まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\
 **『[[kāma|諸欲]]は夢のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。 … 中略 …\\ **『[[kāma|諸欲]]は夢のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。 … 中略 …\\
  その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\  その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\
行 81: 行 81:
 「なぜなら持ち主たちが自分のものを持ち去るからです」と。\\ 「なぜなら持ち主たちが自分のものを持ち去るからです」と。\\
  \\  \\
-「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\+「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\
 **『[[kāma|諸欲]]は借り物のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。 … 中略 …\\ **『[[kāma|諸欲]]は借り物のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。 … 中略 …\\
  その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\  その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\
行 110: 行 110:
 「その通りです、尊者よ」と。\\ 「その通りです、尊者よ」と。\\
  \\  \\
-「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\+「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\
 **『[[kāma|諸欲]]は木の[[phala|果実]]のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\ **『[[kāma|諸欲]]は木の[[phala|果実]]のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\
  そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、種々なる、種々性に依る[[upekkhati|捨]]、それを回避して、そこで完全に[[lokāmisa|世間肉]]の[[upādāna|取]]が残りなく[[nirodha|滅す]]るような単一の、単一性に依る[[upekkhati|捨]]、その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\  そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、種々なる、種々性に依る[[upekkhati|捨]]、それを回避して、そこで完全に[[lokāmisa|世間肉]]の[[upādāna|取]]が残りなく[[nirodha|滅す]]るような単一の、単一性に依る[[upekkhati|捨]]、その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\
mn54_3.1765581110.txt.gz · 最終更新: by h1roemon