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| 行 16: | 行 16: | ||
| 「なぜなら尊者よ、それは、よくよく切り削がれて肉のない、血にまみれた骨、骸骨を(与えたからです)。\\ | 「なぜなら尊者よ、それは、よくよく切り削がれて肉のない、血にまみれた骨、骸骨を(与えたからです)。\\ | ||
| そしてその犬は疲労と困惑を受けるだけでしょう」と。\\ | そしてその犬は疲労と困惑を受けるだけでしょう」と。\\ | ||
| - | 「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ | + | 「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ |
| **『[[kāma|諸欲]]は骨、骸骨のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\ | **『[[kāma|諸欲]]は骨、骸骨のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\ | ||
| そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、種々なる、種々性に依る[[upekkhati|捨]]、それを回避して、そこで完全に[[lokāmisa|世間肉]]の[[upādāna|取]]が残りなく[[nirodha|滅す]]るような単一の、単一性に依る[[upekkhati|捨]]、その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\ | そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、種々なる、種々性に依る[[upekkhati|捨]]、それを回避して、そこで完全に[[lokāmisa|世間肉]]の[[upādāna|取]]が残りなく[[nirodha|滅す]]るような単一の、単一性に依る[[upekkhati|捨]]、その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\ | ||
| 行 27: | 行 27: | ||
| 「その通りです、尊者よ」と。\\ | 「その通りです、尊者よ」と。\\ | ||
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| - | まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ | + | まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ |
| **『[[kāma|諸欲]]は[[pesi|肉片]]のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\ | **『[[kāma|諸欲]]は[[pesi|肉片]]のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\ | ||
| そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、種々なる、種々性に依る[[upekkhati|捨]]、それを回避して、そこで完全に[[lokāmisa|世間肉]]の[[upādāna|取]]が残りなく[[nirodha|滅す]]るような単一の、単一性に依る[[upekkhati|捨]]、その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\ | そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、種々なる、種々性に依る[[upekkhati|捨]]、それを回避して、そこで完全に[[lokāmisa|世間肉]]の[[upādāna|取]]が残りなく[[nirodha|滅す]]るような単一の、単一性に依る[[upekkhati|捨]]、その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\ | ||
| 行 38: | 行 38: | ||
| 「その通りです、尊者よ」と。\\ | 「その通りです、尊者よ」と。\\ | ||
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| - | 「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ | + | 「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ |
| **『[[kāma|諸欲]]は草の松明のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\ | **『[[kāma|諸欲]]は草の松明のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\ | ||
| そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、 …中略…\\ | そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、 …中略…\\ | ||
| 行 54: | 行 54: | ||
| 「なぜなら尊者よ、その男には『私はこの燃える穴に落ちるだろう、それに[[nidāna|起因]]して[[maraṇa|死]]、あるいは[[maraṇa|死]]ぬほどの[[dukkha|苦]]を受けるだろう。』と[[paññāyati|知られ]]たからです」と。\\ | 「なぜなら尊者よ、その男には『私はこの燃える穴に落ちるだろう、それに[[nidāna|起因]]して[[maraṇa|死]]、あるいは[[maraṇa|死]]ぬほどの[[dukkha|苦]]を受けるだろう。』と[[paññāyati|知られ]]たからです」と。\\ | ||
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| - | 「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ | + | 「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ |
| **『[[kāma|諸欲]]は燃える穴のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\ | **『[[kāma|諸欲]]は燃える穴のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\ | ||
| そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、…中略…\\ | そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、…中略…\\ | ||
| 行 63: | 行 63: | ||
| (しかし)目覚めた彼は、もう何も見ない。\\ | (しかし)目覚めた彼は、もう何も見ない。\\ | ||
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| - | まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ | + | まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ |
| **『[[kāma|諸欲]]は夢のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。 … 中略 …\\ | **『[[kāma|諸欲]]は夢のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。 … 中略 …\\ | ||
| その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\ | その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\ | ||
| 行 81: | 行 81: | ||
| 「なぜなら持ち主たちが自分のものを持ち去るからです」と。\\ | 「なぜなら持ち主たちが自分のものを持ち去るからです」と。\\ | ||
| \\ | \\ | ||
| - | 「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ | + | 「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ |
| **『[[kāma|諸欲]]は借り物のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。 … 中略 …\\ | **『[[kāma|諸欲]]は借り物のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。 … 中略 …\\ | ||
| その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\ | その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\ | ||
| 行 110: | 行 110: | ||
| 「その通りです、尊者よ」と。\\ | 「その通りです、尊者よ」と。\\ | ||
| \\ | \\ | ||
| - | 「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ | + | 「まさにそのように[[gahapati|居士]]よ、[[ariyasāvaka|聖弟子]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ |
| **『[[kāma|諸欲]]は木の[[phala|果実]]のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\ | **『[[kāma|諸欲]]は木の[[phala|果実]]のごとく[[dukkha|苦]]多く、[[upāyāsa|悩み]]多い。そこにはより多くの[[ādīnava|危難]]がある』**と、世尊により説かれた。\\ | ||
| そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、種々なる、種々性に依る[[upekkhati|捨]]、それを回避して、そこで完全に[[lokāmisa|世間肉]]の[[upādāna|取]]が残りなく[[nirodha|滅す]]るような単一の、単一性に依る[[upekkhati|捨]]、その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\ | そのようにこれを[[yathābhūta|如実]]に正しい[[pañña|智慧]]により見て、種々なる、種々性に依る[[upekkhati|捨]]、それを回避して、そこで完全に[[lokāmisa|世間肉]]の[[upādāna|取]]が残りなく[[nirodha|滅す]]るような単一の、単一性に依る[[upekkhati|捨]]、その[[upekkhati|捨]]を[[bhāvanā|修養]]する。\\ | ||
mn54_3.1767652012.txt.gz · 最終更新: by h1roemon
