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| さてそのとき、(まだ動きの)鈍い幼い仰向けに横たわる童子が、[[abhaya|無畏]]王子の胸に座っていた。\\ | さてそのとき、(まだ動きの)鈍い幼い仰向けに横たわる童子が、[[abhaya|無畏]]王子の胸に座っていた。\\ | ||
| - | すると世尊は、[[abhaya|無畏]]王子にこうおっしゃった。\\ | + | すると世尊は、[[abhaya|無畏]]王子にこう言われた。\\ |
| 「王子よ、これをどう[[maññita|思う]]だろうか。もしこの童子があなたの[[pamāda|放逸]]に従って(=不注意によって)、あるいは乳母の[[pamāda|放逸]]に従って、木切れや陶器の破片を口に運ぶなら、あなたはそれに何となすだろうか?」と。\\ | 「王子よ、これをどう[[maññita|思う]]だろうか。もしこの童子があなたの[[pamāda|放逸]]に従って(=不注意によって)、あるいは乳母の[[pamāda|放逸]]に従って、木切れや陶器の破片を口に運ぶなら、あなたはそれに何となすだろうか?」と。\\ | ||
| 「尊者よ、まさに私は(それを)取り出すでしょう。\\ | 「尊者よ、まさに私は(それを)取り出すでしょう。\\ | ||
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| \\ | \\ | ||
| それはなぜでしょう?\\ | それはなぜでしょう?\\ | ||
| - | 尊者よ、私には童子への[[anukampati|憐れみ]]があるからです。」と。\\ | + | 尊者よ、私には童子への[[anukampati|憐れみ]]があるからです」と。\\ |
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| - | 「まさにそのように王子よ、およそ[[tathāgata|如来]]がその[[vācā|言葉]]を[[abhūta|不実]]の、真正でない、[[attha|意義]]を伴わないと知り、そしてそれが他の人々にとって[[piya|愛し]]くない[[amanāpa|嫌な]]ものであるなら、[[tathāgata|如来]]はその[[vācā|言葉]]を[[vācā|語]]らない。\\ | + | 「まさにそのように王子よ、およそ[[tathāgata|如来]]がその[[vācā|言葉]]を[[abhūta|事実でないこと]]の、真正でない、[[attha|意義]]を伴わないと知り、そしてそれが他の人々にとって[[piya|愛し]]くない[[amanāpa|嫌な]]ものであるなら、[[tathāgata|如来]]はその[[vācā|言葉]]を[[vācā|語]]らない。\\ |
| また、およそ[[tathāgata|如来]]がその[[vācā|言葉]]を事実の、真正な、[[attha|意義]]を伴うと知り、そしてそれが他の人々にとって[[piya|愛し]]くない[[amanāpa|嫌な]]ものであるなら、[[tathāgata|如来]]はその[[vācā|言葉]]も[[vācā|語]]らない。\\ | また、およそ[[tathāgata|如来]]がその[[vācā|言葉]]を事実の、真正な、[[attha|意義]]を伴うと知り、そしてそれが他の人々にとって[[piya|愛し]]くない[[amanāpa|嫌な]]ものであるなら、[[tathāgata|如来]]はその[[vācā|言葉]]も[[vācā|語]]らない。\\ | ||
| しかし、およそ[[tathāgata|如来]]がその[[vācā|言葉]]を事実の、真正な、[[attha|意義]]を伴うと知り、そしてそれが他の人々にとって[[piya|愛し]]くない[[amanāpa|嫌な]]ものであっても、そのとき[[tathāgata|如来]]は、その[[vācā|言葉]]の[[byākata|授記]]のための適時を知る者となる。\\ | しかし、およそ[[tathāgata|如来]]がその[[vācā|言葉]]を事実の、真正な、[[attha|意義]]を伴うと知り、そしてそれが他の人々にとって[[piya|愛し]]くない[[amanāpa|嫌な]]ものであっても、そのとき[[tathāgata|如来]]は、その[[vācā|言葉]]の[[byākata|授記]]のための適時を知る者となる。\\ | ||
| - | およそ[[tathāgata|如来]]がその[[vācā|言葉]]を[[abhūta|不実]]の、真正でない、[[attha|意義]]を伴わないと知り、そしてそれが他の人々にとって[[piya|愛し]]い[[manāpa|好まし]]いものであっても、[[tathāgata|如来]]はその[[vācā|言葉]]を[[vācā|語]]らない。\\ | + | およそ[[tathāgata|如来]]がその[[vācā|言葉]]を[[abhūta|事実でないこと]]の、真正でない、[[attha|意義]]を伴わないと知り、そしてそれが他の人々にとって[[piya|愛し]]い[[manāpa|好まし]]いものであっても、[[tathāgata|如来]]はその[[vācā|言葉]]を[[vācā|語]]らない。\\ |
| また、およそ[[tathāgata|如来]]がその[[vācā|言葉]]を事実の、真正な、(しかし)[[attha|意義]]を伴わないと知り、そしてそれが他の人々にとって[[piya|愛し]]い[[manāpa|好まし]]いものであっても、[[tathāgata|如来]]はその[[vācā|言葉]]も[[vācā|語]]らない。\\ | また、およそ[[tathāgata|如来]]がその[[vācā|言葉]]を事実の、真正な、(しかし)[[attha|意義]]を伴わないと知り、そしてそれが他の人々にとって[[piya|愛し]]い[[manāpa|好まし]]いものであっても、[[tathāgata|如来]]はその[[vācā|言葉]]も[[vācā|語]]らない。\\ | ||
| しかし、およそ[[tathāgata|如来]]がその[[vācā|言葉]]を事実の、真正な、[[attha|意義]]を伴うと知り、そしてそれが他の人々にとって[[piya|愛し]]い[[manāpa|好まし]]いものであるなら、そのとき[[tathāgata|如来]]は、その[[vācā|言葉]]の[[byākata|授記]]のための適時を知る者となる。\\ | しかし、およそ[[tathāgata|如来]]がその[[vācā|言葉]]を事実の、真正な、[[attha|意義]]を伴うと知り、そしてそれが他の人々にとって[[piya|愛し]]い[[manāpa|好まし]]いものであるなら、そのとき[[tathāgata|如来]]は、その[[vācā|言葉]]の[[byākata|授記]]のための適時を知る者となる。\\ | ||
| それはなぜか?\\ | それはなぜか?\\ | ||
| - | 王子よ、私には[[satta|衆生]]への[[anukampati|憐れみ]]があるから。」と。\\ | + | 王子よ、私には[[satta|衆生]]への[[anukampati|憐れみ]]があるから」と。\\ |
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| 「尊者よ、およそ士族の[[paṇḍita|賢者]]たち、婆羅門の[[paṇḍita|賢者]]たち、[[gahapati|居士]]の[[paṇḍita|賢者]]たち、沙門の[[paṇḍita|賢者]]たち、これらの者たちは質問を[[abhisaṅkharoti|為作]]して[[tathāgata|如来]]に近づいて問います。\\ | 「尊者よ、およそ士族の[[paṇḍita|賢者]]たち、婆羅門の[[paṇḍita|賢者]]たち、[[gahapati|居士]]の[[paṇḍita|賢者]]たち、沙門の[[paṇḍita|賢者]]たち、これらの者たちは質問を[[abhisaṅkharoti|為作]]して[[tathāgata|如来]]に近づいて問います。\\ | ||
| 行 27: | 行 27: | ||
| 王子よ、これをどう[[maññita|思う]]だろうか。あなたは二輪車の[[aṅga|部分]]・部位には[[kusala|巧者]]だろうか?」と。\\ | 王子よ、これをどう[[maññita|思う]]だろうか。あなたは二輪車の[[aṅga|部分]]・部位には[[kusala|巧者]]だろうか?」と。\\ | ||
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| - | 「尊者よ、その通りです。私は二輪車の[[aṅga|部分]]・部位には[[kusala|巧者]]です。」と。\\ | + | 「尊者よ、その通りです。私は二輪車の[[aṅga|部分]]・部位には[[kusala|巧者]]です」と。\\ |
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| 「王子よ、これをどう[[maññita|思う]]だろうか。およそあなたに近づくとこのようにたずねる者たちがいる、\\ | 「王子よ、これをどう[[maññita|思う]]だろうか。およそあなたに近づくとこのようにたずねる者たちがいる、\\ | ||
| 行 34: | 行 34: | ||
| \\ | \\ | ||
| 「尊者よ、じつに私は車の乗り手と呼ばれる、二輪車の[[aṅga|部分]]・部位の[[kusala|巧者]]です。二輪車のあらゆる[[aṅga|部分]]・部位は、私によってよく知られています。\\ | 「尊者よ、じつに私は車の乗り手と呼ばれる、二輪車の[[aṅga|部分]]・部位の[[kusala|巧者]]です。二輪車のあらゆる[[aṅga|部分]]・部位は、私によってよく知られています。\\ | ||
| - | それはまさにその場で、私にひらめくでしょう。」と。\\ | + | それはまさにその場で、私にひらめくでしょう」と。\\ |
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| 「まさにそのように王子よ、士族の[[paṇḍita|賢者]]たち、婆羅門の[[paṇḍita|賢者]]たち、[[gahapati|居士]]の[[paṇḍita|賢者]]たち、沙門の[[paṇḍita|賢者]]たち。彼らは質問を[[abhisaṅkharoti|為作]]して[[tathāgata|如来]]に近づいて問うが、まさにその場でそれが[[tathāgata|如来]]にひらめく。\\ | 「まさにそのように王子よ、士族の[[paṇḍita|賢者]]たち、婆羅門の[[paṇḍita|賢者]]たち、[[gahapati|居士]]の[[paṇḍita|賢者]]たち、沙門の[[paṇḍita|賢者]]たち。彼らは質問を[[abhisaṅkharoti|為作]]して[[tathāgata|如来]]に近づいて問うが、まさにその場でそれが[[tathāgata|如来]]にひらめく。\\ | ||
| それはなぜか?\\ | それはなぜか?\\ | ||
| - | なぜなら王子よ、[[tathāgata|如来]]にはその[[dhamma|法]][[dhātu|界]]がよく[[paṭivijjhati|見抜]]かれており、その[[dhamma|法]][[dhātu|界]]のよく[[paṭivijjhati|見抜]]かれたことより、まさにその場でそれが[[tathāgata|如来]]にひらめく。」と。\\ | + | なぜなら王子よ、[[tathāgata|如来]]にはその[[dhamma|法]][[dhātu|界]]がよく[[paṭivijjhati|見抜]]かれており、その[[dhamma|法]][[dhātu|界]]のよく[[paṭivijjhati|見抜]]かれたことより、まさにその場でそれが[[tathāgata|如来]]にひらめく」と。\\ |
| このように説かれた[[abhaya|無畏]]王子は、世尊にこう言った。\\ | このように説かれた[[abhaya|無畏]]王子は、世尊にこう言った。\\ | ||
| 「尊者よ、素晴らしい。尊者よ、素晴らしい。…中略…\\ | 「尊者よ、素晴らしい。尊者よ、素晴らしい。…中略…\\ | ||
| - | 今日から生きている限り、帰依した優婆塞としてご記憶下さい。」と。\\ | + | 今日から生きている限り、帰依した優婆塞としてご記憶下さい」と。\\ |
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mn58_2.1748858374.txt.gz · 最終更新: by h1roemon
