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  \\  \\
 「尊者よ」と、その比丘たちは世尊へ応じた。\\ 「尊者よ」と、その比丘たちは世尊へ応じた。\\
- 世尊はこうおっしゃった。\\+ 世尊はこう言われた。\\
  \\  \\
 「比丘たちよ、君たちは、私により説かれた[[orambhāgiya-saṃyojana|五下分結]]を[[dhāreti|保持]]しているだろうか?」と。\\ 「比丘たちよ、君たちは、私により説かれた[[orambhāgiya-saṃyojana|五下分結]]を[[dhāreti|保持]]しているだろうか?」と。\\
行 18: 行 18:
 \\ \\
 「尊者よ、私は[[sakkāya-diṭṭhi|有身見]]を、世尊により説かれた[[orambhāgiya|下分]][[saṃyojana|結]]と[[dhāreti|保持]]しています。\\ 「尊者よ、私は[[sakkāya-diṭṭhi|有身見]]を、世尊により説かれた[[orambhāgiya|下分]][[saṃyojana|結]]と[[dhāreti|保持]]しています。\\
- 尊者よ、私は[[vicikicchā|い]]を、世尊により説かれた[[orambhāgiya|下分]][[saṃyojana|結]]と[[dhāreti|保持]]しています。\\+ 尊者よ、私は[[vicikicchā|い]]を、世尊により説かれた[[orambhāgiya|下分]][[saṃyojana|結]]と[[dhāreti|保持]]しています。\\
  尊者よ、私は[[sīlabbata-parāmāsa|戒禁執取]]を、世尊により説かれた[[orambhāgiya|下分]][[saṃyojana|結]]と[[dhāreti|保持]]しています。\\  尊者よ、私は[[sīlabbata-parāmāsa|戒禁執取]]を、世尊により説かれた[[orambhāgiya|下分]][[saṃyojana|結]]と[[dhāreti|保持]]しています。\\
  尊者よ、私は[[kāmacchanda|欲望]]を、世尊により説かれた[[orambhāgiya|下分]][[saṃyojana|結]]と[[dhāreti|保持]]しています。\\  尊者よ、私は[[kāmacchanda|欲望]]を、世尊により説かれた[[orambhāgiya|下分]][[saṃyojana|結]]と[[dhāreti|保持]]しています。\\
行 28: 行 28:
 『マールキャプッタよ、(まだ動きの)鈍い仰向けに横たわる幼い童子には[[sakkāya|有身]]という(思い)すらないのに、どうして彼には[[sakkāya-diṭṭhi|有身見]]が[[uppajjati|生じる]]だろうか?』(と。)\\ 『マールキャプッタよ、(まだ動きの)鈍い仰向けに横たわる幼い童子には[[sakkāya|有身]]という(思い)すらないのに、どうして彼には[[sakkāya-diṭṭhi|有身見]]が[[uppajjati|生じる]]だろうか?』(と。)\\
  彼には[[sakkāya-diṭṭhi|有身見]]の[[anuseti|随眠]]が[[anuseti|随眠]]しているだけである。\\  彼には[[sakkāya-diṭṭhi|有身見]]の[[anuseti|随眠]]が[[anuseti|随眠]]しているだけである。\\
-『マールキャプッタよ、(まだ動きの)鈍い仰向けに横たわる幼い童子には[[dhamma|法]]という(思い)すらないのに、どうして彼には[[dhamma|諸法]]への[[vicikicchā|い]]が[[uppajjati|生じる]]だろうか?』(と。)\\ +『マールキャプッタよ、(まだ動きの)鈍い仰向けに横たわる幼い童子には[[dhamma|法]]という(思い)すらないのに、どうして彼には[[dhamma|諸法]]への[[vicikicchā|い]]が[[uppajjati|生じる]]だろうか?』(と。)\\ 
- 彼には[[vicikicchā|い]]の[[anuseti|随眠]]が[[anuseti|随眠]]しているだけである。\\+ 彼には[[vicikicchā|い]]の[[anuseti|随眠]]が[[anuseti|随眠]]しているだけである。\\
 『マールキャプッタよ、(まだ動きの)鈍い仰向けに横たわる幼い童子には[[sīla|戒]]という(思い)すらないのに、どうして彼には[[sīla|諸戒]]への[[sīlabbata-parāmāsa|戒禁執取]]が[[uppajjati|生じる]]だろうか?』(と。)\\ 『マールキャプッタよ、(まだ動きの)鈍い仰向けに横たわる幼い童子には[[sīla|戒]]という(思い)すらないのに、どうして彼には[[sīla|諸戒]]への[[sīlabbata-parāmāsa|戒禁執取]]が[[uppajjati|生じる]]だろうか?』(と。)\\
  彼には[[sīlabbata-parāmāsa|戒禁執取]]の[[anuseti|随眠]]が[[anuseti|随眠]]しているだけである。\\  彼には[[sīlabbata-parāmāsa|戒禁執取]]の[[anuseti|随眠]]が[[anuseti|随眠]]しているだけである。\\
行 45: 行 45:
  \\  \\
 「はい、尊者よ」とアーナンダ尊者は世尊に応えた。\\ 「はい、尊者よ」とアーナンダ尊者は世尊に応えた。\\
- 世尊はこうおっしゃった。\\+ 世尊はこう言われた。\\
 「ここにアーナンダよ、[[ariya|聖者]]たちを[[diṭṭhi|見]]ず、[[ariyadhamma|聖法]]を[[kovida|熟知]]せず、[[ariyadhamma|聖法]]にて[[vinaya|教導]]されず、[[sappurisa|善人]]たちを[[diṭṭhi|見]]ず、[[sappurisadhamma|善人法]]を[[kovida|熟知]]せず、[[sappurisadhamma|善人法]]にて[[vinaya|教導]]されてない[[assutavā|無聞]]の[[puthujjana|凡夫]]は、[[sakkāya-diṭṭhi|有身見]]に[[pariyuṭṭhāna|まとわり]]つかれ、[[sakkāya-diṭṭhi|有身見]]に打ち負かされた[[citta|心]]により住し、\\ 「ここにアーナンダよ、[[ariya|聖者]]たちを[[diṭṭhi|見]]ず、[[ariyadhamma|聖法]]を[[kovida|熟知]]せず、[[ariyadhamma|聖法]]にて[[vinaya|教導]]されず、[[sappurisa|善人]]たちを[[diṭṭhi|見]]ず、[[sappurisadhamma|善人法]]を[[kovida|熟知]]せず、[[sappurisadhamma|善人法]]にて[[vinaya|教導]]されてない[[assutavā|無聞]]の[[puthujjana|凡夫]]は、[[sakkāya-diṭṭhi|有身見]]に[[pariyuṭṭhāna|まとわり]]つかれ、[[sakkāya-diṭṭhi|有身見]]に打ち負かされた[[citta|心]]により住し、\\
  そして[[uppajjati|生じた]][[sakkāya-diṭṭhi|有身見]]の[[nissaraṇa|出離]]を[[yathābhūta|如実]]に[[pajānāti|了知]]しない。\\  そして[[uppajjati|生じた]][[sakkāya-diṭṭhi|有身見]]の[[nissaraṇa|出離]]を[[yathābhūta|如実]]に[[pajānāti|了知]]しない。\\
  彼のその[[thāma|勢力]]があり、駆逐されない[[sakkāya-diṭṭhi|有身見]]は[[orambhāgiya|下分]][[saṃyojana|結]]である。\\  彼のその[[thāma|勢力]]があり、駆逐されない[[sakkāya-diṭṭhi|有身見]]は[[orambhāgiya|下分]][[saṃyojana|結]]である。\\
 \\ \\
- (彼は)[[vicikicchā|い]]に[[pariyuṭṭhāna|まとわり]]つかれ、[[vicikicchā|い]]に打ち負かされた[[citta|心]]により住し、\\ + (彼は)[[vicikicchā|い]]に[[pariyuṭṭhāna|まとわり]]つかれ、[[vicikicchā|い]]に打ち負かされた[[citta|心]]により住し、\\ 
- そして[[uppajjati|生じた]][[vicikicchā|い]]の[[nissaraṇa|出離]]を[[yathābhūta|如実]]に[[pajānāti|了知]]しない。\\ + そして[[uppajjati|生じた]][[vicikicchā|い]]の[[nissaraṇa|出離]]を[[yathābhūta|如実]]に[[pajānāti|了知]]しない。\\ 
- 彼のその[[thāma|勢力]]があり、駆逐されない[[vicikicchā|い]]は[[orambhāgiya|下分]][[saṃyojana|結]]である。\\+ 彼のその[[thāma|勢力]]があり、駆逐されない[[vicikicchā|い]]は[[orambhāgiya|下分]][[saṃyojana|結]]である。\\
  (彼は)[[sīlabbata-parāmāsa|戒禁執取]]に[[pariyuṭṭhāna|まとわり]]つかれ、[[sīlabbata-parāmāsa|戒禁執取]]に打ち負かされた[[citta|心]]により住し、\\  (彼は)[[sīlabbata-parāmāsa|戒禁執取]]に[[pariyuṭṭhāna|まとわり]]つかれ、[[sīlabbata-parāmāsa|戒禁執取]]に打ち負かされた[[citta|心]]により住し、\\
  そして[[uppajjati|生じた]][[sīlabbata-parāmāsa|戒禁執取]]の[[nissaraṇa|出離]]を[[yathābhūta|如実]]に[[pajānāti|了知]]しない。\\  そして[[uppajjati|生じた]][[sīlabbata-parāmāsa|戒禁執取]]の[[nissaraṇa|出離]]を[[yathābhūta|如実]]に[[pajānāti|了知]]しない。\\
行 68: 行 68:
  そして[[uppajjati|生じた]][[sakkāya-diṭṭhi|有身見]]の[[nissaraṇa|出離]]を[[yathābhūta|如実]]に[[pajānāti|了知]]する。\\  そして[[uppajjati|生じた]][[sakkāya-diṭṭhi|有身見]]の[[nissaraṇa|出離]]を[[yathābhūta|如実]]に[[pajānāti|了知]]する。\\
  彼には、その[[anuseti|随眠]]ある[[sakkāya-diṭṭhi|有身見]]が[[pahāna|断]]じられる。\\  彼には、その[[anuseti|随眠]]ある[[sakkāya-diṭṭhi|有身見]]が[[pahāna|断]]じられる。\\
- (彼は)[[vicikicchā|い]]に[[pariyuṭṭhāna|まとわり]]つかれない、[[vicikicchā|い]]に打ち負かされない[[citta|心]]により住し、\\ + (彼は)[[vicikicchā|い]]に[[pariyuṭṭhāna|まとわり]]つかれない、[[vicikicchā|い]]に打ち負かされない[[citta|心]]により住し、\\ 
- そして[[uppajjati|生じた]][[vicikicchā|い]]の[[nissaraṇa|出離]]を[[yathābhūta|如実]]に[[pajānāti|了知]]する。\\ + そして[[uppajjati|生じた]][[vicikicchā|い]]の[[nissaraṇa|出離]]を[[yathābhūta|如実]]に[[pajānāti|了知]]する。\\ 
- 彼には、その[[anuseti|随眠]]ある[[vicikicchā|い]]が[[pahāna|断]]じられる。\\+ 彼には、その[[anuseti|随眠]]ある[[vicikicchā|い]]が[[pahāna|断]]じられる。\\
  (彼は)[[sīlabbata-parāmāsa|戒禁執取]]に[[pariyuṭṭhāna|まとわり]]つかれない、[[sīlabbata-parāmāsa|戒禁執取]]に打ち負かされない[[citta|心]]により住し、\\  (彼は)[[sīlabbata-parāmāsa|戒禁執取]]に[[pariyuṭṭhāna|まとわり]]つかれない、[[sīlabbata-parāmāsa|戒禁執取]]に打ち負かされない[[citta|心]]により住し、\\
  そして[[uppajjati|生じた]][[sīlabbata-parāmāsa|戒禁執取]]の[[nissaraṇa|出離]]を[[yathābhūta|如実]]に[[pajānāti|了知]]する。\\  そして[[uppajjati|生じた]][[sīlabbata-parāmāsa|戒禁執取]]の[[nissaraṇa|出離]]を[[yathābhūta|如実]]に[[pajānāti|了知]]する。\\
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mn64_1.1753563320.txt.gz · 最終更新: by h1roemon