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| 『これは[[santi|静ま]]り、これは優れている。すなわち一切の[[saṅkhāra|諸行]]の[[samatha|止]]、一切の[[upadhi|依著]]の[[paṭinissajjati|放棄]]、[[taṇhā|渇愛]]の[[khaya|尽滅]]、[[virāga|離貪]]、[[nirodha|滅]]、[[nibbāna|涅槃]]は』と。\\ | 『これは[[santi|静ま]]り、これは優れている。すなわち一切の[[saṅkhāra|諸行]]の[[samatha|止]]、一切の[[upadhi|依著]]の[[paṭinissajjati|放棄]]、[[taṇhā|渇愛]]の[[khaya|尽滅]]、[[virāga|離貪]]、[[nirodha|滅]]、[[nibbāna|涅槃]]は』と。\\ | ||
| そこに[[ṭhiti|とどま]]った彼は、[[āsava|諸漏]]の[[khaya|尽滅]]に達する。\\ | そこに[[ṭhiti|とどま]]った彼は、[[āsava|諸漏]]の[[khaya|尽滅]]に達する。\\ | ||
| - | もしその[[dhamma|法]]の[[rāga|貪]]により、その[[dhamma|法]]の[[nandati|喜び]]により[[āsava|諸漏]]の[[khaya|尽滅]]に達しなくても、[[orambhāgiya-saṃyojana|五下分結]]の[[parikkhaya|遍尽]]によって[[opapātika|化生者]]となり、そこで[[parinibbāna|般涅槃]]して、その[[loka|世界]]から還らざる[[dhamma|性質]]となる。\\ | + | もしその[[dhamma|法]]の[[rāga|貪]]により、その[[dhamma|法]]の[[nandati|喜び]]により[[āsava|諸漏]]の[[khaya|尽滅]]に達しなくても、[[orambhāgiya-saṃyojana|五下分結]]の[[parikkhaya|遍尽]]によって[[opapātika|化生者]]であり、そこで[[parinibbāna|般涅槃]]して、その[[loka|世界]]から還らざる[[dhamma|性質]]となる。\\ |
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| アーナンダよ、[[orambhāgiya-saṃyojana|五下分結]]の[[pahāna|断]]のためには、これも[[magga|道]]であり、これも[[paṭipadā|行道]]である。\\ | アーナンダよ、[[orambhāgiya-saṃyojana|五下分結]]の[[pahāna|断]]のためには、これも[[magga|道]]であり、これも[[paṭipadā|行道]]である。\\ | ||
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| 「さてアーナンダよ、これについては私は[[indriya|根]](五根)の相違性を(理由として)説く」と。\\ | 「さてアーナンダよ、これについては私は[[indriya|根]](五根)の相違性を(理由として)説く」と。\\ | ||
| - | 世尊はこうおっしゃった。\\ | + | 世尊はこう言われた。\\ |
| 意に適ったアーナンダ尊者は、世尊の所説に[[abhinandati|歓喜]]したという。\\ | 意に適ったアーナンダ尊者は、世尊の所説に[[abhinandati|歓喜]]したという。\\ | ||
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