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  ヴァッチャよ、比丘の[[taṇhā|渇愛]]が[[pahāna|断]]じられ、[[mūla|根]]が[[uccheda|断滅]]され、扇椰子の切り株のようにされ、[[anabhāva|非有]]にされ、将来に不[[uppajjati|生起]]な[[dhamma|法]]となされているゆえに、その比丘は[[arahant|阿羅漢]]、[[khīṇāsava|漏尽者]]、[[vusitavant|完成者]]、なすべきがなされた者、荷が下ろされた者、[[sadattha|善利]]に達した者、[[bhava|有]]の[[saṃyojana|結縛]]の[[parikkhaya|尽き果]]てた者、正しき[[aññā|開悟]]者、[[vimutti|解脱者]]となる」と。\\  ヴァッチャよ、比丘の[[taṇhā|渇愛]]が[[pahāna|断]]じられ、[[mūla|根]]が[[uccheda|断滅]]され、扇椰子の切り株のようにされ、[[anabhāva|非有]]にされ、将来に不[[uppajjati|生起]]な[[dhamma|法]]となされているゆえに、その比丘は[[arahant|阿羅漢]]、[[khīṇāsava|漏尽者]]、[[vusitavant|完成者]]、なすべきがなされた者、荷が下ろされた者、[[sadattha|善利]]に達した者、[[bhava|有]]の[[saṃyojana|結縛]]の[[parikkhaya|尽き果]]てた者、正しき[[aññā|開悟]]者、[[vimutti|解脱者]]となる」と。\\
 「尊者ゴータマは別として、\\ 「尊者ゴータマは別として、\\
- それではあなた、尊者ゴータマの弟子の比丘で、およそ[[āsava|諸漏]]の[[khaya|尽滅]]より、[[āsava|漏]]なき[[cetovimutti|心解脱]][[paññāvimutti|慧解脱]]を[[diṭṭhadhamma|現法]]で自ら[[abhijānāti|証知]]し、[[sacchikaroti|実証]]し、[[upasampajjati|成就]]して住するような人が一人でもいますか?」と。\\+ それではあなた、尊者ゴータマの弟子の比丘で、およそ[[āsava|諸漏]]の[[khaya|尽滅]]より、[[āsava|漏]]なき[[cetovimutti|心解脱]][[paññāvimutti|慧解脱]]を、まさに[[diṭṭhadhamma|現法]]で自ら[[abhijānāti|証知]]し、[[sacchikaroti|実証]]し、[[upasampajjati|具足]]して住するような人が一人でもいますか?」と。\\
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-「ヴァッチャよ、およそ[[āsava|諸漏]]の[[khaya|尽滅]]より、[[āsava|漏]]なき[[cetovimutti|心解脱]][[paññāvimutti|慧解脱]]を[[diṭṭhadhamma|現法]]で自ら[[abhijānāti|証知]]し、[[sacchikaroti|実証]]し、[[upasampajjati|成就]]して住する私の弟子の比丘は、じつに百人でもなく、二百人でもなく、三百人でもなく、四百人でもなく、五百人だけでなく、さらに多くいる」と。\\+「ヴァッチャよ、およそ[[āsava|諸漏]]の[[khaya|尽滅]]より、[[āsava|漏]]なき[[cetovimutti|心解脱]][[paññāvimutti|慧解脱]]を、まさに[[diṭṭhadhamma|現法]]で自ら[[abhijānāti|証知]]し、[[sacchikaroti|実証]]し、[[upasampajjati|具足]]して住する私の弟子の比丘は、じつに百人でもなく、二百人でもなく、三百人でもなく、四百人でもなく、五百人だけでなく、さらに多くいる」と。\\
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 「尊者ゴータマと比丘は別として、\\ 「尊者ゴータマと比丘は別として、\\
- それでは尊者ゴータマの弟子の比丘尼で、およそ[[āsava|諸漏]]の[[khaya|尽滅]]より、[[āsava|漏]]なき[[cetovimutti|心解脱]][[paññāvimutti|慧解脱]]を[[diṭṭhadhamma|現法]]で自ら[[abhijānāti|証知]]し、[[sacchikaroti|実証]]し、[[upasampajjati|成就]]して住するような人が一人でもいますか?」と。\\+ それでは尊者ゴータマの弟子の比丘尼で、およそ[[āsava|諸漏]]の[[khaya|尽滅]]より、[[āsava|漏]]なき[[cetovimutti|心解脱]][[paññāvimutti|慧解脱]]を、まさに[[diṭṭhadhamma|現法]]で自ら[[abhijānāti|証知]]し、[[sacchikaroti|実証]]し、[[upasampajjati|具足]]して住するような人が一人でもいますか?」と。\\
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-「ヴァッチャよ、およそ[[āsava|諸漏]]の[[khaya|尽滅]]より、[[āsava|漏]]なき[[cetovimutti|心解脱]][[paññāvimutti|慧解脱]]を[[diṭṭhadhamma|現法]]で自ら[[abhijānāti|証知]]し、[[sacchikaroti|実証]]し、[[upasampajjati|成就]]して住する私の弟子の比丘尼は、じつに百人でもなく、二百人でもなく、三百人でもなく、四百人でもなく、五百人だけでなく、さらに多くいる」と。\\+「ヴァッチャよ、およそ[[āsava|諸漏]]の[[khaya|尽滅]]より、[[āsava|漏]]なき[[cetovimutti|心解脱]][[paññāvimutti|慧解脱]]を、まさに[[diṭṭhadhamma|現法]]で自ら[[abhijānāti|証知]]し、[[sacchikaroti|実証]]し、[[upasampajjati|具足]]して住する私の弟子の比丘尼は、じつに百人でもなく、二百人でもなく、三百人でもなく、四百人でもなく、五百人だけでなく、さらに多くいる」と。\\
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 「尊者ゴータマと比丘と比丘尼は別として、\\ 「尊者ゴータマと比丘と比丘尼は別として、\\
- それでは尊者ゴータマの弟子の[[upāsaka|優婆塞]]である在家白衣の[[brahmacariya|梵行]]者で、およそ[[orambhāgiya-saṃyojana|五下分結]]の[[parikkhaya|遍尽]]ゆえに[[opapātika|化生者]]となり、そこで[[parinibbāna|般涅槃]]して、その[[loka|世界]]から還らざる[[dhamma|性質]]の人が一人でもいますか?」と。\\+ それでは尊者ゴータマの弟子の[[upāsaka|優婆塞]]である在家白衣の[[brahmacariya|梵行]]者で、およそ[[orambhāgiya-saṃyojana|五下分結]]の[[parikkhaya|遍尽]]ゆえに[[opapātika|化生者]]であり、そこで[[parinibbāna|般涅槃]]して、その[[loka|世界]]から還らざる[[dhamma|性質]]の人が一人でもいますか?」と。\\
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-「ヴァッチャよ、およそ私の弟子の[[upāsaka|優婆塞]]である在家白衣の[[brahmacariya|梵行]]者たちで、[[orambhāgiya-saṃyojana|五下分結]]の[[parikkhaya|遍尽]]ゆえに[[opapātika|化生者]]となり、そこで[[parinibbāna|般涅槃]]して、その[[loka|世界]]から還らざる[[dhamma|性質]]の者は、じつに百人でもなく、二百人でもなく、三百人でもなく、四百人でもなく、五百人だけでなく、さらに多くいる」と。\\+「ヴァッチャよ、およそ私の弟子の[[upāsaka|優婆塞]]である在家白衣の[[brahmacariya|梵行]]者たちで、[[orambhāgiya-saṃyojana|五下分結]]の[[parikkhaya|遍尽]]ゆえに[[opapātika|化生者]]であり、そこで[[parinibbāna|般涅槃]]して、その[[loka|世界]]から還らざる[[dhamma|性質]]の者は、じつに百人でもなく、二百人でもなく、三百人でもなく、四百人でもなく、五百人だけでなく、さらに多くいる」と。\\
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 「尊者ゴータマと比丘と比丘尼と[[upāsaka|優婆塞]]である在家白衣の[[brahmacariya|梵行]]者は別として、\\ 「尊者ゴータマと比丘と比丘尼と[[upāsaka|優婆塞]]である在家白衣の[[brahmacariya|梵行]]者は別として、\\
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 「尊者ゴータマと比丘と比丘尼と[[upāsaka|優婆塞]]である在家白衣の[[brahmacariya|梵行]]者と[[upāsaka|優婆塞]]である在家白衣の[[kāma|欲]]享受者は別として、\\ 「尊者ゴータマと比丘と比丘尼と[[upāsaka|優婆塞]]である在家白衣の[[brahmacariya|梵行]]者と[[upāsaka|優婆塞]]である在家白衣の[[kāma|欲]]享受者は別として、\\
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- それでは尊者ゴータマの(女)弟子の[[upāsikā|優婆夷]]である在家白衣の[[brahmacariya|梵行]]者で、およそ[[orambhāgiya-saṃyojana|五下分結]]の[[parikkhaya|遍尽]]ゆえに[[opapātika|化生者]]となり、そこで[[parinibbāna|般涅槃]]して、その[[loka|世界]]から還らざる[[dhamma|性質]]の人が一人でもいますか?」と。\\+ それでは尊者ゴータマの(女)弟子の[[upāsikā|優婆夷]]である在家白衣の[[brahmacariya|梵行]]者で、およそ[[orambhāgiya-saṃyojana|五下分結]]の[[parikkhaya|遍尽]]ゆえに[[opapātika|化生者]]であり、そこで[[parinibbāna|般涅槃]]して、その[[loka|世界]]から還らざる[[dhamma|性質]]の人が一人でもいますか?」と。\\
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-「ヴァッチャよ、およそ私の(女)弟子の[[upāsikā|優婆夷]]である在家白衣の[[brahmacariya|梵行]]者たちで、[[orambhāgiya-saṃyojana|五下分結]]の[[parikkhaya|遍尽]]ゆえに[[opapātika|化生者]]となり、そこで[[parinibbāna|般涅槃]]して、その[[loka|世界]]から還らざる[[dhamma|性質]]の者は、じつに百人でもなく、二百人でもなく、三百人でもなく、四百人でもなく、五百人だけでなく、さらに多くいる」と。\\+「ヴァッチャよ、およそ私の(女)弟子の[[upāsikā|優婆夷]]である在家白衣の[[brahmacariya|梵行]]者たちで、[[orambhāgiya-saṃyojana|五下分結]]の[[parikkhaya|遍尽]]ゆえに[[opapātika|化生者]]であり、そこで[[parinibbāna|般涅槃]]して、その[[loka|世界]]から還らざる[[dhamma|性質]]の者は、じつに百人でもなく、二百人でもなく、三百人でもなく、四百人でもなく、五百人だけでなく、さらに多くいる」と。\\
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 「尊者ゴータマと比丘と比丘尼と[[upāsaka|優婆塞]]である在家白衣の[[brahmacariya|梵行]]者と[[upāsaka|優婆塞]]である在家白衣の[[kāma|欲]]享受者と[[upāsikā|優婆夷]]である在家白衣の[[brahmacariya|梵行]]者は別として、\\ 「尊者ゴータマと比丘と比丘尼と[[upāsaka|優婆塞]]である在家白衣の[[brahmacariya|梵行]]者と[[upāsaka|優婆塞]]である在家白衣の[[kāma|欲]]享受者と[[upāsikā|優婆夷]]である在家白衣の[[brahmacariya|梵行]]者は別として、\\
mn73_1.1767652012.txt.gz · 最終更新: by h1roemon