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| 彼は[[buddha|仏陀]]に[[avecca|確然たる]][[pasāda|浄信]]を具えた者となる。\\ | 彼は[[buddha|仏陀]]に[[avecca|確然たる]][[pasāda|浄信]]を具えた者となる。\\ | ||
| - | 『かの世尊は[[arahant|阿羅漢]]、[[sammāsambuddha|正等覚者]]、[[vijjā caraṇa sampanno|明行足]]、[[sugata|善逝]]、[[lokavidū|世間解]]、[[anuttaro purisa damma sārathi|無上の調御丈夫]]、[[satthā deva manussānaṃ|天人師]]、[[buddha|仏陀]]、世尊である』と。\\ | + | 『かの世尊は[[arahant|阿羅漢]]、[[sammāsambuddha|正等覚者]]、[[vijjā caraṇa sampanno|明行足]]、[[sugata|善逝]]、[[lokavidū|世間解]]、[[anuttaro purisa damma sārathi|無上の調御丈夫]]、[[satthā deva manussānaṃ|神々と人間の師]]、[[buddha|仏陀]]、世尊である』と。\\ |
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| [[dhamma|法]]に[[avecca|確然たる]][[pasāda|浄信]]を具えた者となる。\\ | [[dhamma|法]]に[[avecca|確然たる]][[pasāda|浄信]]を具えた者となる。\\ | ||
| - | 『世尊によってよく説かれた[[dhamma|法]]は、[[sandiṭṭhika|現に見]]れられる、[[akāliko|即時]]であり、来たれ見よという、[[opaneyyiko|導くもの]]で、[[viññū|識者]]たち各々で[[veditabba|知られるべき]]ものである』と。\\ | + | 『世尊によってよく説かれた[[dhamma|法]]は、[[sandiṭṭhika|現に見]]れられる、[[akāliko|即時]]であり、来たれ見よという、[[opaneyyiko|導くもの]]で、[[viññū|識者]]たち各自で[[veditabba|知られるべき]]ものである』と。\\ |
| [[saṅgha|僧伽]]に[[avecca|確然たる]][[pasāda|浄信]]を具えた者となる。\\ | [[saṅgha|僧伽]]に[[avecca|確然たる]][[pasāda|浄信]]を具えた者となる。\\ | ||
| - | 『世尊の弟子の[[saṅgha|僧伽]]はよく[[paṭipadā|行道]]する、世尊の弟子の[[saṅgha|僧伽]]は[[uju|まっすぐ]][[paṭipadā|行道]]する、世尊の弟子の[[saṅgha|僧伽]]は[[ñāya|真理]]によって[[paṭipadā|行道]]する、世尊の弟子の[[saṅgha|僧伽]]は[[sāmīcī|相応し]]く[[paṭipadā|行道]]する。いわゆる[[cattāri purisayugāni aṭṭha purisapuggala|四双八輩]]であり、\\ | + | 『世尊の弟子の[[saṅgha|僧伽]]はよく[[paṭipadā|行道]]する、世尊の弟子の[[saṅgha|僧伽]]は[[uju|まっすぐ]][[paṭipadā|行道]]する、世尊の弟子の[[saṅgha|僧伽]]は[[ñāya|筋道]]にかなって[[paṭipadā|行道]]する、世尊の弟子の[[saṅgha|僧伽]]は[[sāmīcī|相応し]]く[[paṭipadā|行道]]する。いわゆる[[cattāri purisayugāni aṭṭha purisapuggala|四双八輩]]であり、\\ |
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| この世尊の弟子の[[saṅgha|僧伽]]は、[[āhuneyya|食を供されるべき]]、[[pāhuneyya|客としてもてなされるべき]]、[[dakkhiṇeyya|供養されるべき]]、[[añjalikaraṇīya|合掌されるべき]]、この世の無上の[[puññakkhetta|福田]]である』と。\\ | この世尊の弟子の[[saṅgha|僧伽]]は、[[āhuneyya|食を供されるべき]]、[[pāhuneyya|客としてもてなされるべき]]、[[dakkhiṇeyya|供養されるべき]]、[[añjalikaraṇīya|合掌されるべき]]、この世の無上の[[puññakkhetta|福田]]である』と。\\ | ||
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| また、[[upasampajjati|具足戒]]を受けてまもなくバーラドヴァージャ尊者は、ひとり[[vūpakaṭṭha|引き離]]れて、[[appamāda|不放逸]]に[[usmā|熱]][[citta|心]]に自ら[[padhāna|勤め]]住していたが、やがてついに\\ | また、[[upasampajjati|具足戒]]を受けてまもなくバーラドヴァージャ尊者は、ひとり[[vūpakaṭṭha|引き離]]れて、[[appamāda|不放逸]]に[[usmā|熱]][[citta|心]]に自ら[[padhāna|勤め]]住していたが、やがてついに\\ | ||
| 良家の子息が俗家から家無き者へと正しく出家する[[attha|目的]]である、その無上の\\ | 良家の子息が俗家から家無き者へと正しく出家する[[attha|目的]]である、その無上の\\ | ||
| - | [[brahmacariya|梵行]]の[[pariyosāna|完了]]を[[diṭṭhadhamma|現法]]で自ら[[abhijānāti|証知]]し、[[sacchikaroti|実証]]し、[[upasampajjati|成就]]して住した。\\ | + | [[brahmacariya|梵行]]の[[pariyosāna|完了]]を[[diṭṭhadhamma|現法]]で自ら[[abhijānāti|証知]]して、[[sacchikaroti|実証]]して、[[upasampajjati|具足]]して住した。\\ |
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