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  これらは[[ariya|聖者]]の[[vinaya|律]]においては[[diṭṭhadhamma|現法]][[sukhavihāra|楽住]]と呼ばれる。\\  これらは[[ariya|聖者]]の[[vinaya|律]]においては[[diṭṭhadhamma|現法]][[sukhavihāra|楽住]]と呼ばれる。\\
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- さてチュンダよ、ここに一部の比丘は[[sukha|楽]]の[[pahāna|断]]により、[[dukkha|苦]]の[[pahāna|断]]により、これまでの[[somanassa|嬉]]・[[domanassa|心苦]]のまさに[[atthaṅgama|消滅]]により、[[adukkhamasukha|不苦不楽]]の・[[parisuddha|遍浄]]な[[upekkhati|捨]]と[[sati|念]]ある[[catutthajhāna|第四禅]]を[[upasampajjati|成就]]して住するということがある。\\+ さてチュンダよ、ここに一部の比丘は[[sukha|楽]]の[[pahāna|断]]により、[[dukkha|苦]]の[[pahāna|断]]により、これまでの[[somanassa|嬉]]・[[domanassa|]]のまさに[[atthaṅgama|消滅]]により、[[adukkhamasukha|不苦不楽]]の・[[parisuddha|遍浄]]な[[upekkhati|捨]]と[[sati|念]]ある[[catutthajhāna|第四禅]]を[[upasampajjati|成就]]して住するということがある。\\
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  彼には、このような(思いが)あるかもしれない。\\  彼には、このような(思いが)あるかもしれない。\\
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 『他人が[[uddhacca|掉挙]]した者になろうと我々はここで[[uddhacca|掉挙]]なき者になろう』と[[sallekha|戒め]]がなされるべきである。\\ 『他人が[[uddhacca|掉挙]]した者になろうと我々はここで[[uddhacca|掉挙]]なき者になろう』と[[sallekha|戒め]]がなされるべきである。\\
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-『他人が[[vicikicchā|疑う]]者になろうと我々はここで[[vicikicchā|い]]を超えた者になろう』と[[sallekha|戒め]]がなされるべきである。\\+『他人が[[vicikicchā|疑う]]者になろうと我々はここで[[vicikicchā|い]]を超えた者になろう』と[[sallekha|戒め]]がなされるべきである。\\
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 『他人が[[kodha|怒り]]ある者になろうと我々はここで[[kodha|怒り]]なき者になろう』と[[sallekha|戒め]]がなされるべきである。\\ 『他人が[[kodha|怒り]]ある者になろうと我々はここで[[kodha|怒り]]なき者になろう』と[[sallekha|戒め]]がなされるべきである。\\
行 152: 行 152:
 『他人が[[appassuta|少聞]]者になろうと我々はここで[[bahussuta|多聞]]者になろう』と[[sallekha|戒め]]がなされるべきである。\\ 『他人が[[appassuta|少聞]]者になろうと我々はここで[[bahussuta|多聞]]者になろう』と[[sallekha|戒め]]がなされるべきである。\\
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-『他人が怠け者になろうと我々はここで[[vīriya|精進]]に励む者になろう』と[[sallekha|戒め]]がなされるべきである。\\+『他人が怠け者になろうと我々はここで[[vīriya|精進]]に[[āraddha|]]む者になろう』と[[sallekha|戒め]]がなされるべきである。\\
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 『他人が失[[sati|念者]]になろうと我々はここで[[sati|念]]の[[upaṭṭhāti|現前]]者になろう』と[[sallekha|戒め]]がなされるべきである。\\ 『他人が失[[sati|念者]]になろうと我々はここで[[sati|念]]の[[upaṭṭhāti|現前]]者になろう』と[[sallekha|戒め]]がなされるべきである。\\
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  [[thina-middha|惛沈・睡眠]]に[[pariyuṭṭhāna|まとわり]]つかれた人物には、迂回のために[[thina-middha|惛沈・睡眠]]を離れることがあり、\\  [[thina-middha|惛沈・睡眠]]に[[pariyuṭṭhāna|まとわり]]つかれた人物には、迂回のために[[thina-middha|惛沈・睡眠]]を離れることがあり、\\
  [[uddhacca|掉挙]]した人物には、迂回のために[[uddhacca|掉挙]]なきがあり、\\  [[uddhacca|掉挙]]した人物には、迂回のために[[uddhacca|掉挙]]なきがあり、\\
- [[vicikicchā|疑う]]人物には、迂回のために[[vicikicchā|い]]を超えることがあり、\\+ [[vicikicchā|疑う]]人物には、迂回のために[[vicikicchā|い]]を超えることがあり、\\
  [[kodha|怒り]]ある人物には、迂回のために[[kodha|怒り]]なきがあり、\\  [[kodha|怒り]]ある人物には、迂回のために[[kodha|怒り]]なきがあり、\\
  [[upanāha|恨み]]ある人物には、迂回のために[[upanāha|恨み]]なきがあり、\\  [[upanāha|恨み]]ある人物には、迂回のために[[upanāha|恨み]]なきがあり、\\
行 260: 行 260:
  [[thina-middha|惛沈・睡眠]]に[[pariyuṭṭhāna|まとわり]]つかれた人物には、[[parinibbāna|般涅槃]]のために[[thina-middha|惛沈・睡眠]]を離れることがあり、\\  [[thina-middha|惛沈・睡眠]]に[[pariyuṭṭhāna|まとわり]]つかれた人物には、[[parinibbāna|般涅槃]]のために[[thina-middha|惛沈・睡眠]]を離れることがあり、\\
  [[uddhacca|掉挙]]した人物には、[[parinibbāna|般涅槃]]のために[[uddhacca|掉挙]]なきがあり、\\  [[uddhacca|掉挙]]した人物には、[[parinibbāna|般涅槃]]のために[[uddhacca|掉挙]]なきがあり、\\
- [[vicikicchā|疑う]]人物には、[[parinibbāna|般涅槃]]のために[[vicikicchā|い]]を超えることがあり、\\+ [[vicikicchā|疑う]]人物には、[[parinibbāna|般涅槃]]のために[[vicikicchā|い]]を超えることがあり、\\
  [[kodha|怒り]]ある人物には、[[parinibbāna|般涅槃]]のために[[kodha|怒り]]なきがあり、\\  [[kodha|怒り]]ある人物には、[[parinibbāna|般涅槃]]のために[[kodha|怒り]]なきがあり、\\
  [[upanāha|恨み]]ある人物には、[[parinibbāna|般涅槃]]のために[[upanāha|恨み]]なきがあり、\\  [[upanāha|恨み]]ある人物には、[[parinibbāna|般涅槃]]のために[[upanāha|恨み]]なきがあり、\\
行 288: 行 288:
 『チュンダよ、これらの木の[[mūla|根元]]、これらの[[suñña|空]]き家がある。チュンダよ、君たちは[[jhāna|禅]]をなしなさい。[[pamāda|放逸]]となるなかれ。後に悔恨ある者たちとなるなかれ。』\\ 『チュンダよ、これらの木の[[mūla|根元]]、これらの[[suñña|空]]き家がある。チュンダよ、君たちは[[jhāna|禅]]をなしなさい。[[pamāda|放逸]]となるなかれ。後に悔恨ある者たちとなるなかれ。』\\
  これが私の指導である」と。\\  これが私の指導である」と。\\
- 世尊はこうおっしゃった。\\+ 世尊はこう言われた。\\
  意に適ったチュンダ尊者は、世尊の所説に[[abhinandati|歓喜]]したという。\\  意に適ったチュンダ尊者は、世尊の所説に[[abhinandati|歓喜]]したという。\\
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mn8.1759549248.txt.gz · 最終更新: by h1roemon