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 :d: 如法, 方正, 和敬, 恭敬  proper course; friendly treatment :d: 如法, 方正, 和敬, 恭敬  proper course; friendly treatment
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-用例を見ると、本語は多くの場合 paṭipanna([[paṭipadā|行道(者)]])とともに用いられます。一見「正しい」の意に見えますが、他宗教の悪法にも用いられることから、教義的な正邪を表す語ではありません。ここは仮に「**相応しく**」としま。基本義として、立場・体系身分に適合したあり方を指す言葉です。\\+用例を見ると、本語は多くの場合 paṭipanna([[paṭipadā|行道(者)]])とともに用いられます。一見「正しい」の意に見えますが、他宗教の悪法にも用いられることから、教義的な正邪を表す語ではないようす。用例が増えるごと訳語を「方正」⇒「然るべき」⇒「**相応しく**」と修正・変更しました。基本義として、立場・規範状況に適合したあり方を指すです。\\
 {{include:sn55.25#85-87}} {{include:sn55.25#85-87}}
 ---- ----
 {{include:sn11.3#31-31}} {{include:sn11.3#31-31}}
 {{include:sn51.10#39-39}} {{include:sn51.10#39-39}}
 +{{include:sn55.27#68-68}}
 ●ヒントになりそうな用例があります。➡[[mn40]]\\ ●ヒントになりそうな用例があります。➡[[mn40]]\\
 「比丘たちよ、およそどの比丘であろうと、その[[abhijjhā|羨望]]ある者(比丘)の[[abhijjhā|羨望]]が[[pahāna|断]]じられ、[[vyāpāda|悪意]]ある[[citta|心]]の[[vyāpāda|悪意]]が[[pahāna|断]]じられ、[[kodha|怒り]]ある者の[[kodha|怒り]]が[[pahāna|断]]じられ、[[upanāha|恨み]]ある者の[[upanāha|恨み]]が[[pahāna|断]]じられ、[[makkha|覆]]ある者の[[makkha|覆]]が[[pahāna|断]]じられ、[[paḷāsa|意地悪]]な者の[[paḷāsa|意地悪]]が[[pahāna|断]]じられ、嫉妬ある者の嫉妬が[[pahāna|断]]じられ、[[macchariya|物惜しみ]]する者の[[macchariya|物惜しみ]]が[[pahāna|断]]じられ、狡猾な者の狡猾さが[[pahāna|断]]じられ、たぶらかす者のたぶらかしが[[pahāna|断]]じられ、[[pāpa|悪]][[icchā|欲求]]の者の[[pāpa|悪]][[icchā|欲求]]が[[pahāna|断]]じられ、[[micchādiṭṭhi|邪見]]者の[[micchādiṭṭhi|邪見]]が[[pahāna|断]]じられている。比丘たちよ、これらの沙門のよごれの、沙門の[[dosa|過失]]の、沙門の過患の、[[apāya|苦界]]となる原因の、[[duggati|悪趣]]を[[vedayati|感受さ]]れるものの[[pahāna|断]]ゆえに**『[[sāmīcī|相応し]]い[[paṭipadā|行道]]を[[paṭipadā|行道]]した沙門である』**と私は説く。」\\ 「比丘たちよ、およそどの比丘であろうと、その[[abhijjhā|羨望]]ある者(比丘)の[[abhijjhā|羨望]]が[[pahāna|断]]じられ、[[vyāpāda|悪意]]ある[[citta|心]]の[[vyāpāda|悪意]]が[[pahāna|断]]じられ、[[kodha|怒り]]ある者の[[kodha|怒り]]が[[pahāna|断]]じられ、[[upanāha|恨み]]ある者の[[upanāha|恨み]]が[[pahāna|断]]じられ、[[makkha|覆]]ある者の[[makkha|覆]]が[[pahāna|断]]じられ、[[paḷāsa|意地悪]]な者の[[paḷāsa|意地悪]]が[[pahāna|断]]じられ、嫉妬ある者の嫉妬が[[pahāna|断]]じられ、[[macchariya|物惜しみ]]する者の[[macchariya|物惜しみ]]が[[pahāna|断]]じられ、狡猾な者の狡猾さが[[pahāna|断]]じられ、たぶらかす者のたぶらかしが[[pahāna|断]]じられ、[[pāpa|悪]][[icchā|欲求]]の者の[[pāpa|悪]][[icchā|欲求]]が[[pahāna|断]]じられ、[[micchādiṭṭhi|邪見]]者の[[micchādiṭṭhi|邪見]]が[[pahāna|断]]じられている。比丘たちよ、これらの沙門のよごれの、沙門の[[dosa|過失]]の、沙門の過患の、[[apāya|苦界]]となる原因の、[[duggati|悪趣]]を[[vedayati|感受さ]]れるものの[[pahāna|断]]ゆえに**『[[sāmīcī|相応し]]い[[paṭipadā|行道]]を[[paṭipadā|行道]]した沙門である』**と私は説く。」\\
  
samici.1771030245.txt.gz · 最終更新: by h1roemon