samici
文書の過去の版を表示しています。
| sāmīcī | sāmīcika |
|---|---|
| 相応しく | 相応しい |
如法, 方正, 和敬, 恭敬 proper course; friendly treatment
用例を見ると、本語は多くの場合 paṭipanna(行道(者))とともに用いられます。一見「正しい」の意に見えますが、他宗教の悪法にも用いられることから、教義的な正邪を表す語ではありません。ここでは仮に「相応しく」とします。基本義として、立場・体系・身分に適合したあり方を指す言葉です。
| ‘‘Evameva kho, mahānāma, idha dhammo durakkhāto [dvākkhāto (pī. ka.)] hoti duppavedito aniyyāniko anupasamasaṃvattaniko asammāsambuddhappavedito . | 「まさにそのようにマハーナーマよ、ここに、悪しく告げられ、悪しく説かれ、脱出のない、静寂をもたらさず、正等覚者によって説かれていない法があります。 |
| idamahaṃ dukkhettasmiṃ vadāmi. | 私はこれを、悪田として説きます。 |
| Tasmiñca dhamme sāvako viharati dhammānudhammappaṭipanno sāmīcippaṭipanno anudhammacārī . | そして弟子はその法において法の随法の行道者、相応しい行道者、随法行者として住します。 |
出典: sn55.25
出典: sn11.3
| ‘na tāvāhaṃ, pāpima, parinibbāyissāmi yāva me bhikkhū na sāvakā bhavissanti viyattā vinītā visāradā bahussutā dhammadharā dhammānudhammappaṭipannā sāmīcippaṭipannā anudhammacārino, sakaṃ ācariyakaṃ uggahetvā ācikkhissanti desessanti paññapessanti paṭṭhapessanti vivarissanti vibhajissanti uttānīkarissanti [uttāniṃ karissanti (ka.), uttānikarissanti (pī.)], uppannaṃ parappavādaṃ sahadhammena suniggahitaṃ niggahetvā sappāṭihāriyaṃ dhammaṃ desessantī’’’ti. | 『悪しき者よ、それまで私は般涅槃することはありません —— 私の弟子の比丘たちが聡明で、教導され、熟達者、多聞者、法の保持者、法の随法の行道者、相応しい行道者、随法行者となり、彼らが自分の師匠(の教え)を把握し、述べ、示し、告知し、確定し、開示し、分別し、明白にし、生じた異説を法に則ってよく論破し抑止して、奇跡ある法を説くようにならない限り』と。 |
出典: sn51.10
●ヒントになりそうな用例があります。➡mn40
「比丘たちよ、およそどの比丘であろうと、その羨望ある者(比丘)の羨望が断じられ、悪意ある心の悪意が断じられ、怒りある者の怒りが断じられ、恨みある者の恨みが断じられ、覆ある者の覆が断じられ、意地悪な者の意地悪が断じられ、嫉妬ある者の嫉妬が断じられ、物惜しみする者の物惜しみが断じられ、狡猾な者の狡猾さが断じられ、たぶらかす者のたぶらかしが断じられ、悪欲求の者の悪欲求が断じられ、邪見者の邪見が断じられている。比丘たちよ、これらの沙門のよごれの、沙門の過失の、沙門の過患の、苦界となる原因の、悪趣を感受されるものの断ゆえに『相応しい行道を行道した沙門である』と私は説く。」
samici.1771030245.txt.gz · 最終更新: by h1roemon
