| abhijjhāyati | abhijjhā | abhijjhālu, abhijjhitar, abhijjhātar |
| 羨望する | 羨望 | 羨望(ある)者 |
abhijjhāyati: 欲する, 貪る、嫉妬する
abhijjhā: 貪, 貪欲, 貪求, 貪愛
※ 語源は、以下のように考察することもできますが、学術的な根拠は乏しいです。
abhi:超えた、優れた、対して + jhāyati:燃える, 引火す, 焼ける
”貪”、”貪欲”、”異常欲”と訳されることが多い言葉ですが、以前から違和感を感じていました。当初はこのwikiも”貪欲”を訳語としていましたが、mn41_1の記述を見てから羨望としました。他人のものをうらやみ欲しがることです。
ちなみにmn7には、「そして比丘たちよ、その比丘は『不正な貪である羨望は心の不純物である』とそのように知って心の不純物である不正な貪である羨望を断じ、」とあります。
『』内のパーリ文である‘abhijjhāvisamalobho cittassa upakkileso’について、visamaという言葉には不正、不等の、険しい、厳しいという意味があります。厳しいと解釈すれば”異常欲”というようにも取れます。
mn41_1に、意による三種の非法行・不正行の第一として詳説されています。
「では居士たちよ、何が意による三種の非法行・不正行なのか?
(1)この世で居士たちよ、ある者は羨望ある者である。およそ他人のもの、他人の財・資具であるものを羨望する。
『ああ、他人のものが私のものになればいいのに!』と。」
| abhijjhāluno abhijjhālūhi saddhiṃ saṃsandanti samenti; | 羨望者たちは、羨望者たちと一緒に交わり集まり、 |
| ‘‘Tassa vaḍḍhanti vedanā, anekā rūpasambhavā; | 彼には色彩から生成したさまざまな受が増し |
| Abhijjhā ca vihesā ca, cittamassūpahaññati; | 羨望と困りごとがおき 彼の心は損なわれる |
| Evaṃ ācinato dukkhaṃ, ārā nibbānamuccati. | このように苦を集積する者には 涅槃は遠い(と)言われる |
| Yatvādhikaraṇamenaṃ cakkhundriyaṃ asaṃvutaṃ viharantaṃ abhijjhādomanassā pāpakā akusalā dhammā anvāssaveyyuṃ tassa saṃvarāya paṭipajjati, rakkhati cakkhundriyaṃ, cakkhundriye saṃvaraṃ āpajjati. | 眼根が防護されず住する者には羨望、憂、悪しき不善諸法が流れ込みます。その理由により彼はその防護のため行道し、眼根を守り、眼根の防護に至ります。 |
| Yatvādhikaraṇamenaṃ cakkhundriyaṃ asaṃvutaṃ viharantaṃ abhijjhādomanassā pāpakā akusalā dhammā anvāssaveyyuṃ, tassa saṃvarāya paṭipajjatha. | 眼根が防護されず住する者には羨望、憂、悪しき不善諸法が流れ込みます。その理由によりその防護のため行道しなさい。 |
| Tathā kho panassa cāro ca vihāro ca anubuddho hoti, yathā carantaṃ viharantaṃ abhijjhādomanassā pāpakā akusalā dhammā nānusenti. | そして彼には行いと住法がこのように随覚されています。 —— 行い住する者に羨望、憂、悪しき不善諸法が随眠しないように。 |
| Abhijjhaṃ cāhaṃ, gāmaṇi, pajānāmi, abhijjhāya ca vipākaṃ, yathāpaṭipanno ca abhijjhālu kāyassa bhedā paraṃ maraṇā apāyaṃ duggatiṃ vinipātaṃ nirayaṃ upapajjati tañca pajānāmi. | 村長よ、私は羨望を了知します。そして羨望の果報、すなわち羨望者として行道した者が身の崩壊と死の後に苦界・悪趣・堕処・地獄に再生するということ、それも了知します。 |
●四念処のストックフレーズです。
| Idha, bhikkhave, bhikkhu kāye kāyānupassī viharati ātāpī sampajāno satimā, vineyya loke abhijjhādomanassaṃ; | 比丘たちよ、ここに比丘は、身において身を随観し熱意と正知と念ある者として住します。世間における羨望と憂を調伏しつつ。 |