abhijanati
差分
このページの2つのバージョン間の差分を表示します。
| 両方とも前のリビジョン前のリビジョン次のリビジョン | 前のリビジョン | ||
| abhijanati [2026/01/26 13:05] – h1roemon | abhijanati [2026/03/20 10:17] (現在) – h1roemon | ||
|---|---|---|---|
| 行 10: | 行 10: | ||
| {{include: | {{include: | ||
| {{include: | {{include: | ||
| - | [[sn55.6]]:「それでも尊者よ、我々がその姉妹たちについて[[pāpa|悪しき]][[citta|心]]を生じさせた[[abhijānāti|覚え]]がありません。」\\ | + | {{include:sn55.6#91-91}} |
| [[mn12_2]]:「そしてサーリプッタよ、私は(次の)四[[aṅga|支分]]を具えた[[brahmacariya|梵行]]をなした[[abhijānāti|覚え]]がある。\\ | [[mn12_2]]:「そしてサーリプッタよ、私は(次の)四[[aṅga|支分]]を具えた[[brahmacariya|梵行]]をなした[[abhijānāti|覚え]]がある。\\ | ||
| …しかしサーリプッタよ、私はただひとつのナツメを[[āhāra|食]]として食べた[[abhijānāti|覚え]]がある。」\\ | …しかしサーリプッタよ、私はただひとつのナツメを[[āhāra|食]]として食べた[[abhijānāti|覚え]]がある。」\\ | ||
| 行 21: | 行 21: | ||
| それ以外の用法のときは訳語を**証知**とします。[[mn30_1]]では、**”覚る”**という意味で使われています。\\ | それ以外の用法のときは訳語を**証知**とします。[[mn30_1]]では、**”覚る”**という意味で使われています。\\ | ||
| 興味深いことにabhijānāti:[[abhijānāti|証知]]の連続体が”abhiññā:[[abhiññā|神通]]”であることです。もしかすると[[abhijānāti|証知]]というのは超常的な力で知ることかも知れません。(**超越知**が適切な訳語かも?)\\ | 興味深いことにabhijānāti:[[abhijānāti|証知]]の連続体が”abhiññā:[[abhiññā|神通]]”であることです。もしかすると[[abhijānāti|証知]]というのは超常的な力で知ることかも知れません。(**超越知**が適切な訳語かも?)\\ | ||
| - | 経典中では開悟の描写で頻繁に「[[abhijānāti|証知]]し、[[sacchikaroti|実証]]し、[[upasampajjati|成就]]して住する。」という表現が使われます。\\ | + | 経典中では開悟の描写で頻繁に「[[abhijānāti|証知]]して、[[sacchikaroti|実証]]して、[[upasampajjati|具足]]して住する。」という表現が使われます。\\ |
| また[[mn1]]では、明確にsañjānāti:[[sañjānāti|想起]]と使い分けられています。([[sañjānāti|想起]]を参照。)またparijānati:[[parijānati|遍知]]とも明確に使い分けられています。\\ | また[[mn1]]では、明確にsañjānāti:[[sañjānāti|想起]]と使い分けられています。([[sañjānāti|想起]]を参照。)またparijānati:[[parijānati|遍知]]とも明確に使い分けられています。\\ | ||
| \\ | \\ | ||
abhijanati.1769400319.txt.gz · 最終更新: by h1roemon
