mn39_2
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| 彼はまさにこの[[kāya|身]]を、[[pīti|喜悦]]なき[[sukha|楽]]によって浸し、あまねく浸し、満たし、行き渡らせる。彼の全[[kāya|身]]にはどこであれ、[[pīti|喜悦]]なき[[sukha|楽]]によって行き渡らないところはない。\\ | 彼はまさにこの[[kāya|身]]を、[[pīti|喜悦]]なき[[sukha|楽]]によって浸し、あまねく浸し、満たし、行き渡らせる。彼の全[[kāya|身]]にはどこであれ、[[pīti|喜悦]]なき[[sukha|楽]]によって行き渡らないところはない。\\ | ||
| たとえば比丘たちよ、青蓮の池、紅蓮の池、あるいは白蓮の池があるとして、ある一部の青蓮華、紅蓮華、あるいは白蓮華は水中に生じ水中で[[vuddhi|成長]]したとしても水から上がらず、先端が水中に沈んだまま[[jāti|生]]育する。\\ | たとえば比丘たちよ、青蓮の池、紅蓮の池、あるいは白蓮の池があるとして、ある一部の青蓮華、紅蓮華、あるいは白蓮華は水中に生じ水中で[[vuddhi|成長]]したとしても水から上がらず、先端が水中に沈んだまま[[jāti|生]]育する。\\ | ||
| - | それらは、先端に至るまで、[[mūla|根元]]に至るまで冷たい水によって[[abhisanda|浸透]]され、あまねく浸され、満ちて、行き渡る。青蓮華、紅蓮華、あるいは白蓮華にはどこであれ、水によって行き渡らないところはない。\\ | + | それらは、先端に至るまで、[[mūla|根元]]に至るまで冷たい水によって[[abhisanda|湧出]]され、あまねく浸され、満ちて、行き渡る。青蓮華、紅蓮華、あるいは白蓮華にはどこであれ、水によって行き渡らないところはない。\\ |
| まさにそのように比丘たちよ、比丘はまさにこの[[kāya|身]]を、[[pīti|喜悦]]なき[[sukha|楽]]によって浸し、あまねく浸し、満たし、行き渡らせる。彼の全[[kāya|身]]にはどこであれ、[[pīti|喜悦]]なき[[sukha|楽]]によって行き渡らないところはない。\\ | まさにそのように比丘たちよ、比丘はまさにこの[[kāya|身]]を、[[pīti|喜悦]]なき[[sukha|楽]]によって浸し、あまねく浸し、満たし、行き渡らせる。彼の全[[kāya|身]]にはどこであれ、[[pīti|喜悦]]なき[[sukha|楽]]によって行き渡らないところはない。\\ | ||
| そしてさらに比丘たちよ、比丘は[[sukha|楽]]の[[pahāna|断]]により、[[dukkha|苦]]の[[pahāna|断]]により、これまでの[[somanassa|嬉]]・[[domanassa|憂]]のまさに[[atthaṅgama|消滅]]により、[[adukkhamasukha|不苦不楽]]の・[[parisuddha|遍浄]]な[[upekkhati|捨]]と[[sati|念]]ある[[catutthajhāna|第四禅]]を[[upasampajjati|成就]]して住する。\\ | そしてさらに比丘たちよ、比丘は[[sukha|楽]]の[[pahāna|断]]により、[[dukkha|苦]]の[[pahāna|断]]により、これまでの[[somanassa|嬉]]・[[domanassa|憂]]のまさに[[atthaṅgama|消滅]]により、[[adukkhamasukha|不苦不楽]]の・[[parisuddha|遍浄]]な[[upekkhati|捨]]と[[sati|念]]ある[[catutthajhāna|第四禅]]を[[upasampajjati|成就]]して住する。\\ | ||
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