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| これらの尊者たちが[[anuloma|順当]]に[[senāsana|坐臥処]]を受用し、[[kalyāṇamitta|善友]]たちに従い行き、[[indriya|諸根]]をよく統制するならば、おそらく、\\ | これらの尊者たちが[[anuloma|順当]]に[[senāsana|坐臥処]]を受用し、[[kalyāṇamitta|善友]]たちに従い行き、[[indriya|諸根]]をよく統制するならば、おそらく、\\ | ||
| 良家の子息が俗家から家無き者へと正しく出家する[[attha|目的]]である、その無上の\\ | 良家の子息が俗家から家無き者へと正しく出家する[[attha|目的]]である、その無上の\\ | ||
| - | [[brahmacariya|梵行]]の[[pariyosāna|完了]]を[[diṭṭhadhamma|現法]]で自ら[[abhijānāti|証知]]して[[sacchikaroti|実証]]して[[upasampajjati|成就]]して住するであろうから。\\ | + | [[brahmacariya|梵行]]の[[pariyosāna|完了]]を[[diṭṭhadhamma|現法]]で自ら[[abhijānāti|証知]]して、[[sacchikaroti|実証]]して、[[upasampajjati|具足]]して住するであろうから。\\ |
| 比丘たちよ、私はこれらの比丘たちの、この[[appamāda|不放逸]]の[[phala|果]]を見るので、『[[appamāda|不放逸]]になされるべきことがある』と説く。\\ | 比丘たちよ、私はこれらの比丘たちの、この[[appamāda|不放逸]]の[[phala|果]]を見るので、『[[appamāda|不放逸]]になされるべきことがある』と説く。\\ | ||
| 比丘たちよ、[[loka|世間]]にはこれら七つの者がいるのが見られる。\\ | 比丘たちよ、[[loka|世間]]にはこれら七つの者がいるのが見られる。\\ | ||
| 行 41: | 行 41: | ||
| この尊者が[[anuloma|順当]]に[[senāsana|坐臥処]]を受用し、[[kalyāṇamitta|善友]]たちに従い行き、[[indriya|諸根]]をよく統制するならば、おそらく、\\ | この尊者が[[anuloma|順当]]に[[senāsana|坐臥処]]を受用し、[[kalyāṇamitta|善友]]たちに従い行き、[[indriya|諸根]]をよく統制するならば、おそらく、\\ | ||
| 良家の子息が俗家から家無き者へと正しく出家する[[attha|目的]]である、その無上の\\ | 良家の子息が俗家から家無き者へと正しく出家する[[attha|目的]]である、その無上の\\ | ||
| - | [[brahmacariya|梵行]]の[[pariyosāna|完了]]を[[diṭṭhadhamma|現法]]で自ら[[abhijānāti|証知]]して[[sacchikaroti|実証]]して[[upasampajjati|成就]]して住するであろうから。\\ | + | [[brahmacariya|梵行]]の[[pariyosāna|完了]]を[[diṭṭhadhamma|現法]]で自ら[[abhijānāti|証知]]して、[[sacchikaroti|実証]]して、[[upasampajjati|具足]]して住するであろうから。\\ |
| 比丘たちよ、私はこの比丘の、この[[appamāda|不放逸]]の[[phala|果]]を見るので、『[[appamāda|不放逸]]になされるべきことがある』と説く。\\ | 比丘たちよ、私はこの比丘の、この[[appamāda|不放逸]]の[[phala|果]]を見るので、『[[appamāda|不放逸]]になされるべきことがある』と説く。\\ | ||
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| 行 51: | 行 51: | ||
| この尊者が[[anuloma|順当]]に[[senāsana|坐臥処]]を受用し、[[kalyāṇamitta|善友]]たちに従い行き、[[indriya|諸根]]をよく統制するならば、おそらく、\\ | この尊者が[[anuloma|順当]]に[[senāsana|坐臥処]]を受用し、[[kalyāṇamitta|善友]]たちに従い行き、[[indriya|諸根]]をよく統制するならば、おそらく、\\ | ||
| 良家の子息が俗家から家無き者へと正しく出家する[[attha|目的]]である、その無上の\\ | 良家の子息が俗家から家無き者へと正しく出家する[[attha|目的]]である、その無上の\\ | ||
| - | [[brahmacariya|梵行]]の[[pariyosāna|完了]]を[[diṭṭhadhamma|現法]]で自ら[[abhijānāti|証知]]して[[sacchikaroti|実証]]して[[upasampajjati|成就]]して住するであろうから。\\ | + | [[brahmacariya|梵行]]の[[pariyosāna|完了]]を[[diṭṭhadhamma|現法]]で自ら[[abhijānāti|証知]]して、[[sacchikaroti|実証]]して、[[upasampajjati|具足]]して住するであろうから。\\ |
| 比丘たちよ、私はこの比丘の、この[[appamāda|不放逸]]の[[phala|果]]を見るので、『[[appamāda|不放逸]]になされるべきことがある』と説く。\\ | 比丘たちよ、私はこの比丘の、この[[appamāda|不放逸]]の[[phala|果]]を見るので、『[[appamāda|不放逸]]になされるべきことがある』と説く。\\ | ||
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| この尊者が[[anuloma|順当]]に[[senāsana|坐臥処]]を受用し、[[kalyāṇamitta|善友]]たちに従い行き、[[indriya|諸根]]をよく統制するならば、おそらく、\\ | この尊者が[[anuloma|順当]]に[[senāsana|坐臥処]]を受用し、[[kalyāṇamitta|善友]]たちに従い行き、[[indriya|諸根]]をよく統制するならば、おそらく、\\ | ||
| 良家の子息が俗家から家無き者へと正しく出家する[[attha|目的]]である、その無上の\\ | 良家の子息が俗家から家無き者へと正しく出家する[[attha|目的]]である、その無上の\\ | ||
| - | [[brahmacariya|梵行]]の[[pariyosāna|完了]]を[[diṭṭhadhamma|現法]]で自ら[[abhijānāti|証知]]して[[sacchikaroti|実証]]して[[upasampajjati|成就]]して住するであろうから。\\ | + | [[brahmacariya|梵行]]の[[pariyosāna|完了]]を[[diṭṭhadhamma|現法]]で自ら[[abhijānāti|証知]]して、[[sacchikaroti|実証]]して、[[upasampajjati|具足]]して住するであろうから。\\ |
| 比丘たちよ、私はこの比丘の、この[[appamāda|不放逸]]の[[phala|果]]を見るので、『[[appamāda|不放逸]]になされるべきことがある』と説く。\\ | 比丘たちよ、私はこの比丘の、この[[appamāda|不放逸]]の[[phala|果]]を見るので、『[[appamāda|不放逸]]になされるべきことがある』と説く。\\ | ||
| \\ | \\ | ||
| それでは比丘たちよ、[[dhammānusārin|法従行者]]とは誰か?\\ | それでは比丘たちよ、[[dhammānusārin|法従行者]]とは誰か?\\ | ||
| 比丘たちよ、ここにある者は、およそ[[rūpa|色]]を[[atikkama|超え]]て[[bhava|存在]]するかの[[arūpa|無色]]なる諸[[vimokkha|解脱]]。それらに[[kāya|身]]をもって触れて住することはないが、しかし[[pañña|智慧]]によって見て、彼の一部の[[āsava|諸漏]]は[[parikkhaya|尽き果]]ている。そして彼には[[tathāgata|如来]]の説かれた[[dhamma|諸法]]は、[[pañña|智慧]]によってある程度、[[nijjhāyati|審慮]]に耐えられる。また彼にはこれらの[[dhamma|諸法]]もある、すなわち\\ | 比丘たちよ、ここにある者は、およそ[[rūpa|色]]を[[atikkama|超え]]て[[bhava|存在]]するかの[[arūpa|無色]]なる諸[[vimokkha|解脱]]。それらに[[kāya|身]]をもって触れて住することはないが、しかし[[pañña|智慧]]によって見て、彼の一部の[[āsava|諸漏]]は[[parikkhaya|尽き果]]ている。そして彼には[[tathāgata|如来]]の説かれた[[dhamma|諸法]]は、[[pañña|智慧]]によってある程度、[[nijjhāyati|審慮]]に耐えられる。また彼にはこれらの[[dhamma|諸法]]もある、すなわち\\ | ||
| - | [[saddhindriya|信根]]、[[vīriyindriya|精進根]]、[[satindriya|念根]]、[[samādhindriya|定根]]、[[pañña|慧]][[indriya|根]]。\\ | + | [[saddhindriya|信根]]、[[vīriyindriya|精進根]]、[[satindriya|念根]]、[[samādhindriya|定根]]、[[paññindriya|慧根]]。\\ |
| \\ | \\ | ||
| 比丘たちよ、この者が[[dhammānusārin|法従行者]]と言われる。\\ | 比丘たちよ、この者が[[dhammānusārin|法従行者]]と言われる。\\ | ||
| 行 73: | 行 73: | ||
| この尊者が[[anuloma|順当]]に[[senāsana|坐臥処]]を受用し、[[kalyāṇamitta|善友]]たちに従い行き、[[indriya|諸根]]をよく統制するならば、おそらく、\\ | この尊者が[[anuloma|順当]]に[[senāsana|坐臥処]]を受用し、[[kalyāṇamitta|善友]]たちに従い行き、[[indriya|諸根]]をよく統制するならば、おそらく、\\ | ||
| 良家の子息が俗家から家無き者へと正しく出家する[[attha|目的]]である、その無上の\\ | 良家の子息が俗家から家無き者へと正しく出家する[[attha|目的]]である、その無上の\\ | ||
| - | [[brahmacariya|梵行]]の[[pariyosāna|完了]]を[[diṭṭhadhamma|現法]]で自ら[[abhijānāti|証知]]して[[sacchikaroti|実証]]して[[upasampajjati|成就]]して住するであろうから。\\ | + | [[brahmacariya|梵行]]の[[pariyosāna|完了]]を[[diṭṭhadhamma|現法]]で自ら[[abhijānāti|証知]]して、[[sacchikaroti|実証]]して、[[upasampajjati|具足]]して住するであろうから。\\ |
| 比丘たちよ、私はこの比丘の、この[[appamāda|不放逸]]の[[phala|果]]を見るので『[[appamāda|不放逸]]になされるべきことがある』と説く。\\ | 比丘たちよ、私はこの比丘の、この[[appamāda|不放逸]]の[[phala|果]]を見るので『[[appamāda|不放逸]]になされるべきことがある』と説く。\\ | ||
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| それでは比丘たちよ、[[saddhānusārin|信従行者]]とは誰か?\\ | それでは比丘たちよ、[[saddhānusārin|信従行者]]とは誰か?\\ | ||
| 比丘たちよ、ここにある者は、およそ[[rūpa|色]]を[[atikkama|超え]]て[[bhava|存在]]するかの[[arūpa|無色]]なる諸[[vimokkha|解脱]]。それらに[[kāya|身]]をもって触れて住することはないが、しかし[[pañña|智慧]]によって見て、彼の一部の[[āsava|諸漏]]は[[parikkhaya|尽き果]]ている。そして彼には[[tathāgata|如来]]に対してある程度の[[saddhā|信]]、ある程度の[[pema|愛情]]がある。また彼にはこれらの[[dhamma|諸法]]もある、すなわち\\ | 比丘たちよ、ここにある者は、およそ[[rūpa|色]]を[[atikkama|超え]]て[[bhava|存在]]するかの[[arūpa|無色]]なる諸[[vimokkha|解脱]]。それらに[[kāya|身]]をもって触れて住することはないが、しかし[[pañña|智慧]]によって見て、彼の一部の[[āsava|諸漏]]は[[parikkhaya|尽き果]]ている。そして彼には[[tathāgata|如来]]に対してある程度の[[saddhā|信]]、ある程度の[[pema|愛情]]がある。また彼にはこれらの[[dhamma|諸法]]もある、すなわち\\ | ||
| - | [[saddhindriya|信根]]、[[vīriyindriya|精進根]]、[[satindriya|念根]]、[[samādhindriya|定根]]、[[pañña|慧]][[indriya|根]]。\\ | + | [[saddhindriya|信根]]、[[vīriyindriya|精進根]]、[[satindriya|念根]]、[[samādhindriya|定根]]、[[paññindriya|慧根]]。\\ |
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| 比丘たちよ、この者が[[saddhānusārin|信従行者]]と言われる。\\ | 比丘たちよ、この者が[[saddhānusārin|信従行者]]と言われる。\\ | ||
| 行 85: | 行 85: | ||
| この尊者が[[anuloma|順当]]に[[senāsana|坐臥処]]を受用し、[[kalyāṇamitta|善友]]たちに従い行き、[[indriya|諸根]]をよく統制するならば、おそらく、\\ | この尊者が[[anuloma|順当]]に[[senāsana|坐臥処]]を受用し、[[kalyāṇamitta|善友]]たちに従い行き、[[indriya|諸根]]をよく統制するならば、おそらく、\\ | ||
| 良家の子息が俗家から家無き者へと正しく出家する[[attha|目的]]である、その無上の\\ | 良家の子息が俗家から家無き者へと正しく出家する[[attha|目的]]である、その無上の\\ | ||
| - | [[brahmacariya|梵行]]の[[pariyosāna|完了]]を[[diṭṭhadhamma|現法]]で自ら[[abhijānāti|証知]]して[[sacchikaroti|実証]]して[[upasampajjati|成就]]して住するであろうから。\\ | + | [[brahmacariya|梵行]]の[[pariyosāna|完了]]を[[diṭṭhadhamma|現法]]で自ら[[abhijānāti|証知]]して、[[sacchikaroti|実証]]して、[[upasampajjati|具足]]して住するであろうから。\\ |
| 比丘たちよ、私はこの比丘の、この[[appamāda|不放逸]]の[[phala|果]]を見るので、『[[appamāda|不放逸]]になされるべきことがある』と説く。\\ | 比丘たちよ、私はこの比丘の、この[[appamāda|不放逸]]の[[phala|果]]を見るので、『[[appamāda|不放逸]]になされるべきことがある』と説く。\\ | ||
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