ユーザ用ツール

サイト用ツール


mn38_1

差分

このページの2つのバージョン間の差分を表示します。

この比較画面へのリンク

両方とも前のリビジョン前のリビジョン
次のリビジョン
前のリビジョン
mn38_1 [2025/06/15 09:46] h1roemonmn38_1 [2026/01/06 07:26] (現在) h1roemon
行 19: 行 19:
 \\ \\
 「友サーティよ、そのように言ってはならぬ。世尊を貶めてはならぬ。世尊の毀損はじつに善くない。世尊はそのようには説かれないだろうから。\\ 「友サーティよ、そのように言ってはならぬ。世尊を貶めてはならぬ。世尊の毀損はじつに善くない。世尊はそのようには説かれないだろうから。\\
- 友サーティよ、世尊はさまざまな[[pariyāya|理]]をもって[[viññāṇa|識]]は[[paṭiccasamuppanna|縁生]]なりと説かれた。[[paccaya|縁]]なしに[[viññāṇa|識]]の[[sambhava|生成]]はない」と。\\+ 友サーティよ、世尊はさまざまな[[pariyāya|理]]をもって[[viññāṇa|識]]は[[paṭiccasamuppanna|縁生]]なりと説かれた。[[paccaya|縁]]なしに[[viññāṇa|識]]の[[sambhava|生成]]はない」と。\\
  このように猟師の息子アリッタ比丘は、かの比丘たちに審問され、問い詰められ、こんこんと語られても、その[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]を執拗な[[parāmasati|執取]]ゆえに、[[abhinivesa|執持]]して表明した。\\  このように猟師の息子アリッタ比丘は、かの比丘たちに審問され、問い詰められ、こんこんと語られても、その[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]を執拗な[[parāmasati|執取]]ゆえに、[[abhinivesa|執持]]して表明した。\\
 「友よ、まさにその通り。私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]する。他ならぬ、この[[viññāṇa|識]]だけが流転し[[saṃsāra|輪廻]]する」と。\\ 「友よ、まさにその通り。私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]する。他ならぬ、この[[viññāṇa|識]]だけが流転し[[saṃsāra|輪廻]]する」と。\\
行 40: 行 40:
 \\ \\
 「友サーティよ、そのように言ってはならぬ。世尊を貶めてはならぬ。世尊の毀損はじつに善くない。世尊はそのようには説かれないだろうから。\\ 「友サーティよ、そのように言ってはならぬ。世尊を貶めてはならぬ。世尊の毀損はじつに善くない。世尊はそのようには説かれないだろうから。\\
- 友サーティよ、世尊はさまざまな[[pariyāya|理]]をもって[[viññāṇa|識]]は[[paṭiccasamuppanna|縁生]]なりと説かれた。[[paccaya|縁]]なしに[[viññāṇa|識]]の[[sambhava|生成]]はない」と。\\+ 友サーティよ、世尊はさまざまな[[pariyāya|理]]をもって[[viññāṇa|識]]は[[paṭiccasamuppanna|縁生]]なりと説かれた。[[paccaya|縁]]なしに[[viññāṇa|識]]の[[sambhava|生成]]はない」と。\\
  尊者よ、このように漁師の息子サーティ比丘は、我々に審問され、問い詰められ、こんこんと語られても、その[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]を執拗な[[parāmasati|執取]]ゆえに、[[abhinivesa|執持]]して表明しました。\\  尊者よ、このように漁師の息子サーティ比丘は、我々に審問され、問い詰められ、こんこんと語られても、その[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]を執拗な[[parāmasati|執取]]ゆえに、[[abhinivesa|執持]]して表明しました。\\
 「友よ、まさにその通り。私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]する。他ならぬ、この[[viññāṇa|識]]だけが流転し[[saṃsāra|輪廻]]する」と。\\ 「友よ、まさにその通り。私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]する。他ならぬ、この[[viññāṇa|識]]だけが流転し[[saṃsāra|輪廻]]する」と。\\
行 49: 行 49:
 「はい、尊者よ」と、その比丘は世尊に応えて、漁師の息子サーティ比丘に近づいた。\\ 「はい、尊者よ」と、その比丘は世尊に応えて、漁師の息子サーティ比丘に近づいた。\\
  近づくと、かの比丘にこう言った。\\  近づくと、かの比丘にこう言った。\\
-「友サーティよ、師があなたをお呼びです」と。\\+「友サーティよ、師があなたをお呼びです」と。\\
 「そのように、友よ」と、漁師の息子サーティ比丘は、その比丘に応えて世尊のもとに近づいた。\\ 「そのように、友よ」と、漁師の息子サーティ比丘は、その比丘に応えて世尊のもとに近づいた。\\
  近づくと世尊に[[abhivādeti|礼拝]]して一隅に座った。\\  近づくと世尊に[[abhivādeti|礼拝]]して一隅に座った。\\
- 一隅に座った漁師の息子サーティ比丘に、世尊はこうおっしゃった。\\+ 一隅に座った漁師の息子サーティ比丘に、世尊はこう言われた。\\
 「サーティよ、君にこのような[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]が[[uppajjati|生じた]]そうだが[[sacca|本当]]か?\\ 「サーティよ、君にこのような[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]が[[uppajjati|生じた]]そうだが[[sacca|本当]]か?\\
 『私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]する。他ならぬ、この[[viññāṇa|識]]だけが流転し[[saṃsāra|輪廻]]する』と。\\ 『私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]する。他ならぬ、この[[viññāṇa|識]]だけが流転し[[saṃsāra|輪廻]]する』と。\\
 「尊者よ、まさにその通りです。私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]します。他ならぬ、この[[viññāṇa|識]]だけが流転し[[saṃsāra|輪廻]]する」と。\\ 「尊者よ、まさにその通りです。私は世尊により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]します。他ならぬ、この[[viññāṇa|識]]だけが流転し[[saṃsāra|輪廻]]する」と。\\
 「サーティよ、それはいずれの[[viññāṇa|識]]か?」と。\\ 「サーティよ、それはいずれの[[viññāṇa|識]]か?」と。\\
-「尊者よ、この話すもの、[[vedayati|感受さ]]れるものが、そのそれぞれにおいて諸[[kalyāṇa|善]]・[[pāpa|悪]][[kamma|業]]の[[vipāka|果報]]を[[paṭisaṃvedayati|体験]]するのです」と。\\+「尊者よ、この話すもの、[[vedayati|感受さ]]れるものが、そのそれぞれにおいて諸[[kalyāṇa|善]]・[[pāpa|悪]][[kamma|業]]の[[vipāka|果報]]を[[paṭisaṃvedayati|体験]]するのです」と。\\
  愚か者よ、いったい君は何のために私により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]するのか?\\  愚か者よ、いったい君は何のために私により説かれた[[dhamma|法]]をこのように[[pajānāti|了知]]するのか?\\
  愚か者よ、いったい私はさまざまな[[pariyāya|理]]をもって、[[viññāṇa|識]]は[[paṭiccasamuppanna|縁生]]であり、[[paccaya|縁]]なしに[[viññāṇa|識]]の[[sambhava|生成]]はないと説かなかったか?\\  愚か者よ、いったい私はさまざまな[[pariyāya|理]]をもって、[[viññāṇa|識]]は[[paṭiccasamuppanna|縁生]]であり、[[paccaya|縁]]なしに[[viññāṇa|識]]の[[sambhava|生成]]はないと説かなかったか?\\
  しかしそれなのに愚か者よ、君は[[atta|自己]]で誤ってつかんだことにより我々を貶め、[[atta|自己]]を傷つけ、そして多くの[[apuñña|非福]]を生みだした。\\  しかしそれなのに愚か者よ、君は[[atta|自己]]で誤ってつかんだことにより我々を貶め、[[atta|自己]]を傷つけ、そして多くの[[apuñña|非福]]を生みだした。\\
- 愚か者よ、それは君にとって長い間、不利と[[dukkha|苦]]になるだろう」と。\\+ 愚か者よ、それは君にとって長い間、不利と[[dukkha|苦]]になるだろう」と。\\
  そして世尊は比丘たちに呼びかけられた。\\  そして世尊は比丘たちに呼びかけられた。\\
 「比丘たちよ、これをどう[[maññita|思う]]だろうか。この漁師の息子サーティ比丘は、この[[dhammavinaya|法と律]]において(智慧の)[[usmā|熱]]ある者だろうか?」と。\\ 「比丘たちよ、これをどう[[maññita|思う]]だろうか。この漁師の息子サーティ比丘は、この[[dhammavinaya|法と律]]において(智慧の)[[usmā|熱]]ある者だろうか?」と。\\
 「どうして(そのような)ことがあるでしょうか、尊者よ。\\ 「どうして(そのような)ことがあるでしょうか、尊者よ。\\
- そうではありません、尊者よ」と。\\ + そうではありません、尊者よ」と。\\ 
- このように説かれて、漁師の息子サーティ比丘は、[[tuṇhībhāva|沈黙]]しながら当惑し落胆して俯いて落ち込み応答できずに座った。\\ + このように説かれて、漁師の息子サーティ比丘は、[[tuṇhībhāva|沈黙]]しながら当惑し落胆して俯いて落ち込み[[paṭibhāna|応答]]できずに座った。\\ 
- さて世尊は、漁師の息子サーティ比丘が[[tuṇhībhāva|沈黙]]しながら当惑し落胆して俯いて落ち込み応答できないと知って、漁師の息子サーティ比丘にこうおっしゃった。\\+ さて世尊は、漁師の息子サーティ比丘が[[tuṇhībhāva|沈黙]]しながら当惑し落胆して俯いて落ち込み[[paṭibhāna|応答]]できないと知って、漁師の息子サーティ比丘にこう言われた。\\
 「愚か者よ、この自らの[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]によって君は[[paññāyati|知られ]]るであろう。\\ 「愚か者よ、この自らの[[pāpa|悪]][[diṭṭhigata|見解]]によって君は[[paññāyati|知られ]]るであろう。\\
 \\ \\
- ここに私は比丘たちに[[paṭipucchā|問い返]]そう」と。\\+ ここに私は比丘たちに[[paṭipucchā|問い返]]そう」と。\\
  そして世尊は比丘たちに呼びかけられた。\\  そして世尊は比丘たちに呼びかけられた。\\
 「比丘たちよ、君たちもまた私によってこのように説かれた[[dhamma|法]]を、この漁師の息子サーティ比丘が自ら誤ってつかんだことにより我々を貶め、[[atta|自己]]を傷つけ、そして多くの[[apuñña|非福]]を生み出したように[[pajānāti|了知]]するのか?」と。\\ 「比丘たちよ、君たちもまた私によってこのように説かれた[[dhamma|法]]を、この漁師の息子サーティ比丘が自ら誤ってつかんだことにより我々を貶め、[[atta|自己]]を傷つけ、そして多くの[[apuñña|非福]]を生み出したように[[pajānāti|了知]]するのか?」と。\\
 「いいえ、尊者よ。\\ 「いいえ、尊者よ。\\
- 尊者よ、なぜなら世尊は我々へ、さまざまな[[pariyāya|理]]をもって[[viññāṇa|識]]は[[paṭiccasamuppanna|縁生]]なりと説かれました。[[paccaya|縁]]なしに[[viññāṇa|識]]の[[sambhava|生成]]はない」と。\\+ 尊者よ、なぜなら世尊は我々へ、さまざまな[[pariyāya|理]]をもって[[viññāṇa|識]]は[[paṭiccasamuppanna|縁生]]なりと説かれました。[[paccaya|縁]]なしに[[viññāṇa|識]]の[[sambhava|生成]]はない」と。\\
 「比丘たちよ、[[sādhu|善きかな]]、[[sādhu|善きかな]]。\\ 「比丘たちよ、[[sādhu|善きかな]]、[[sādhu|善きかな]]。\\
  比丘たちよ、[[sādhu|善きかな]]、君たちは私により説かれた[[dhamma|法]]を、このように[[pajānāti|了知]]している。\\  比丘たちよ、[[sādhu|善きかな]]、君たちは私により説かれた[[dhamma|法]]を、このように[[pajānāti|了知]]している。\\
行 164: 行 164:
 </WRAP> </WRAP>
 </WRAP> </WRAP>
-[<10>]+
  
mn38_1.1749948385.txt.gz · 最終更新: by h1roemon