mn60_1
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| しかもそのゴータマ尊者には、このような[[kalyāṇa|善き]]評判が昇っている。\\ | しかもそのゴータマ尊者には、このような[[kalyāṇa|善き]]評判が昇っている。\\ | ||
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| - | 『かの世尊は[[arahant|阿羅漢]]、[[sammāsambuddha|正等覚者]]、[[vijjā caraṇa sampanno|明行足]]、[[sugata|善逝]]、[[lokavidū|世間解]]、[[anuttaro purisa damma sārathi|無上の調御丈夫]]、[[satthā deva manussānaṃ|天人師]]、[[buddha|仏陀]]、世尊である』と。\\ | + | 『かの世尊は[[arahant|阿羅漢]]、[[sammāsambuddha|正等覚者]]、[[vijjā caraṇa sampanno|明行足]]、[[sugata|善逝]]、[[lokavidū|世間解]]、[[anuttaro purisa damma sārathi|無上の調御丈夫]]、[[satthā deva manussānaṃ|神々と人間の師]]、[[buddha|仏陀]]、世尊である』と。\\ |
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| 彼は[[deva|神]]・[[māra|魔]]・[[brahmā|梵天]]を含む[[loka|生命]]に、沙門・婆羅門・王を含む人々に、自ら[[abhijānāti|証知]]して[[sacchikaroti|実証]]して知らせる。\\ | 彼は[[deva|神]]・[[māra|魔]]・[[brahmā|梵天]]を含む[[loka|生命]]に、沙門・婆羅門・王を含む人々に、自ら[[abhijānāti|証知]]して[[sacchikaroti|実証]]して知らせる。\\ | ||
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| - | 彼は、はじめ[[kalyāṇa|善く]]中間も[[kalyāṇa|善く]][[pariyosāna|結末]]も[[kalyāṇa|善い]]、[[attha|意味]]と[[vyañjana|文字]]をそなえた[[dhamma|法]]を説き、[[kevala|完全]]に円満で[[parisuddha|遍浄]]な[[brahmacariya|梵行]]を明らかにする。\\ | + | 彼は、はじめ[[kalyāṇa|善く]]中間も[[kalyāṇa|善く]][[pariyosāna|結末]]も[[kalyāṇa|善い]]、[[attha|意味]]と[[vyañjana|表現]]をそなえた[[dhamma|法]]を説き、[[kevala|完全]]に円満で[[parisuddha|遍浄]]な[[brahmacariya|梵行]]を明らかにする。\\ |
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| そしてそのような[[arahant|阿羅漢]]たちを見ることは[[sādhu|好運である]]」と。\\ | そしてそのような[[arahant|阿羅漢]]たちを見ることは[[sādhu|好運である]]」と。\\ | ||
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| また、ある人々は[[tuṇhībhāva|沈黙]]して一隅に座った。\\ | また、ある人々は[[tuṇhībhāva|沈黙]]して一隅に座った。\\ | ||
| - | 一隅に座ったサーラーの婆羅門や[[gahapati|居士]]たちに世尊はこうおっしゃった。\\ | + | 一隅に座ったサーラーの婆羅門や[[gahapati|居士]]たちに世尊はこう言われた。\\ |
| 「[[gahapati|居士]]たちよ、さて君たちには誰か、その者への君たちの[[ākāra|正当]]な[[saddhā|信]]が[[paṭilābha|獲得]]されるような、[[manāpa|好まし]]い師がいるだろうか?」と。\\ | 「[[gahapati|居士]]たちよ、さて君たちには誰か、その者への君たちの[[ākāra|正当]]な[[saddhā|信]]が[[paṭilābha|獲得]]されるような、[[manāpa|好まし]]い師がいるだろうか?」と。\\ | ||
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| 行 82: | 行 82: | ||
| このように[[micchādiṭṭhi|邪見]]に[[paccaya|縁りて]]、彼にはこれら複数の[[pāpa|悪しき]][[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[sambhava|生成]]する。\\ | このように[[micchādiṭṭhi|邪見]]に[[paccaya|縁りて]]、彼にはこれら複数の[[pāpa|悪しき]][[akusala|不善]][[dhamma|諸法]]が[[sambhava|生成]]する。\\ | ||
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| - | [[gahapati|居士]]たちよ、そのとき、[[viññū|識者]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ | + | [[gahapati|居士]]たちよ、そのとき、[[viññū|識者]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ |
| 『もし他[[loka|世界]]がないなら、このように現存するこの人物は、[[kāyika|身の]][[bheda|崩壊]]より[[atta|自己]]を平穏になすだろう。\\ | 『もし他[[loka|世界]]がないなら、このように現存するこの人物は、[[kāyika|身の]][[bheda|崩壊]]より[[atta|自己]]を平穏になすだろう。\\ | ||
| もし他[[loka|世界]]があるなら、このように現存するこの人物は、[[kāyika|身の]][[bheda|崩壊]]より死後に、[[apāya|苦界]]・[[duggati|悪趣]]・[[vinipāta|堕処]]・[[niraya|地獄]]に[[upapajjati|再生]]するだろう。\\ | もし他[[loka|世界]]があるなら、このように現存するこの人物は、[[kāyika|身の]][[bheda|崩壊]]より死後に、[[apāya|苦界]]・[[duggati|悪趣]]・[[vinipāta|堕処]]・[[niraya|地獄]]に[[upapajjati|再生]]するだろう。\\ | ||
| 行 116: | 行 116: | ||
| このように[[sammadiṭṭhi|正見]]に[[paccaya|縁りて]]、彼にはこれら複数の[[kusala dhamma|善法]]が[[sambhava|生成]]する。\\ | このように[[sammadiṭṭhi|正見]]に[[paccaya|縁りて]]、彼にはこれら複数の[[kusala dhamma|善法]]が[[sambhava|生成]]する。\\ | ||
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| - | [[gahapati|居士]]たちよ、そのとき、[[viññū|識者]]はこのように[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ | + | [[gahapati|居士]]たちよ、そのとき、[[viññū|識者]]は、かく[[paṭisañcikkhati|熟慮]]する、\\ |
| 『もし他[[loka|世界]]があるなら、このように現存するこの人物は、[[kāyika|身の]][[bheda|崩壊]]より死後に、[[suggati|善趣]]である天界に[[upapajjati|再生]]するだろう。\\ | 『もし他[[loka|世界]]があるなら、このように現存するこの人物は、[[kāyika|身の]][[bheda|崩壊]]より死後に、[[suggati|善趣]]である天界に[[upapajjati|再生]]するだろう。\\ | ||
| しかし、よしんば他[[loka|世界]]がなく、かの現存する沙門、婆羅門たちの[[vācā|言葉]]が[[sacca|真実]]だとしても、\\ | しかし、よしんば他[[loka|世界]]がなく、かの現存する沙門、婆羅門たちの[[vācā|言葉]]が[[sacca|真実]]だとしても、\\ | ||
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