| niyyati | nīyati |
| 導かれる |
| 導き出す(仮の訳語) |
niyyati=nīyati [nayati の pass.] 導かれる
このページはこの語の文法調査のために作りました。
niyyatiもnīyatiもともに語源的には neti(導く)の受動態と理解され、通常は「導かれる」と説明されますが、意味的に他動的に理解せざるをえない例があるためです。そこで仮に”導き出す”という訳語を付けて、用例を調査します。
ややこしいのはniyyantiという語形は三人称複数ですが、niyyati(導かれる)と niyyāti(離れ行く)が語形上区別できないことです。
類語 niyyāti:外へ行く、出て行く、離れ行く、 niyyānika:脱出の(niyyāti 由来)
🟦導かれる(一般的な訳)🟦
| ‘‘Kenassu nīyati loko, kenassu parikassati; | 「何により世界は導かれ 何により引き回すのか |
| ‘‘‘Yaṃbahulaṃ yaṃbahulañca, gāmaṇi, viharati, tena tena nīyati’, evaṃ sante na koci āpāyiko nerayiko bhavissati, yathā nigaṇṭhassa nāṭaputtassa vacanaṃ’’. | 「村長よ、もしニガンタ・ナータプッタの言葉の通りに、『何をより多くなして住するかによって、人は導かれる』というのなら、誰一人として苦界・地獄に属する者とならないでしょう。 |
🟦導き出す(仮の訳)🟦
| ime kho, bhikkhave, satta bojjhaṅgā bhāvitā bahulīkatā ariyā niyyānikā nīyanti takkarassa sammā dukkhakkhayāyā’’ti. | 比丘たちよ、これらの七覚支は修養され多修されると、聖なる脱出となり、実行者の正しき苦の尽滅に導き出します」と。 |
| Ime kho, bhikkhave, cattāro iddhipādā bhāvitā bahulīkatā ariyā niyyānikā niyyanti takkarassa sammā dukkhakkhayāyā’’ti. | 比丘たちよ、これらの四神足は修養され多修されると、聖なる脱出となり、実行者の正しき苦の尽滅に導き出します」と。 |
| Ime kho, bhikkhave, cattāro satipaṭṭhānā bhāvitā bahulīkatā ariyā niyyānikā niyyanti takkarassa sammā dukkhakkhayāyā’’ti. | 比丘たちよ、これらの四念処は修養され多修されると、聖なる脱出となり、実行者の正しき苦の尽滅に導き出します」と。 |