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ahaṅkara

文書の過去の版を表示しています。


ahaṅkāra or ahaṃkāra
我執

ahaṃ:私 + kāra:作者、所作、なすこと ⇒ 私となすことあるいは私を作ること

伝統的な訳語を採用します。常套句のesohamasmi:『これが私である』やasmi:『私あり』と関連しています。
Bhikkhu Bodhi氏は“I-making”と訳しています。

類語 mamaṅkāra:我所執、māna:、anusaya:随眠


‘‘kathaṃ nu kho, bhante, jānato, kathaṃ passato imasmiñca saviññāṇake kāye bahiddhā ca sabbanimittesu ahaṅkāramamaṅkāramānānusayā na hontī’’ti?「尊者よ、いったいどのように知りどのように見る者には、このあるにおける、そして外のあらゆる特相における我執我所執随眠がないのですか?」と。
出典: sn22.71
‘upādāya, āvuso ānanda, asmīti hoti, no anupādāya. ”友アーナンダよ、取着して『私あり1)』となり、取着せずではないのです。
出典: sn22.83

sn35.69:「しかしこのようであるのは、ウパセーナ尊者の我執我所執随眠が長きにわたってよく根絶されているから。それゆえウパセーナ尊者にはこのような(思い)はないのです。『私はなり』とか、『私のがある』とか、…」
mn72_1:「それゆえ如来は、一切の思い、一切のかき乱し、一切の我執我所執随眠尽滅離貪喜捨放棄により取着せず解脱していると私は説く」と。

ahaṅkara.1759724918.txt.gz · 最終更新: by h1roemon