ajjhattabahiddha
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| ajjhattabahiddhā |
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| 内外の |
ajjhatta:内の(に) + bahiddhā:外の(に)
| Ajjhattabahiddhā kāye samudayadhammānupassī viharati, ajjhattabahiddhā kāye vayadhammānupassī viharati, ajjhattabahiddhā kāye samudayavayadhammānupassī viharati ātāpī sampajāno satimā, vineyya loke abhijjhādomanassaṃ. | 内外の身において集起法を随観しつつ住し、内外の身において衰滅法を随観しつつ住し、内外の身において集起・衰滅法を随観し熱意と正知と念ある者として住します。世間における羨望と憂を調伏しつつ。1) |
1)
内・外・内外については諸説ありますが、一説では、「内」は自己、「外」は他者、「内外」はその両者をともに観ずることと理解されます。受・心・法についても同様に、観察の対象を自己から他者へ、さらに両者へと広げていく修行段階を表すと考えられます。➡五蘊の定義も参照。
出典: sn52.1
出典: sn47.3
sn54.6:「尊者よ、私には過去の諸欲について欲望が断じられ、私には未来の諸欲について欲望は離れ、そして私には内外の諸法について有対想がよく駆逐されています。」
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