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mamaṅkara

文書の過去の版を表示しています。


mamaṅ(ṃ)kāra
我所執

:d: 我所見, 我所執 selfish attachment, self-interest, selfishness


mamaṃ:私の + kāra:作者、所作、なすこと ⇒ 私のものとなすこと

伝統的な訳語を採用します。常套句のetaṃ mama:『これは私の(もの)』を示すようです。
Bhikkhu Bodhi氏は“mine-making”と訳しています。

また、attaniyaは辞書でも諸訳でも我所とされていますが、訳語を再検討すべきかも知れません。

類語 ahaṅkāra:我執、māna:、anusaya:随眠


‘‘kathaṃ nu kho, bhante, jānato kathaṃ passato imasmiñca saviññāṇake kāye bahiddhā ca sabbanimittesu ahaṅkāramamaṅkāramānānusayā na hontī’’ti?「尊者よ、いったいどのように知りどのように見る者には、このあるにおける、そして外のあらゆる特相における我執我所執随眠がないのですか?」と。
出典: sn18.21

sn35.69:「しかしこのようであるのは、ウパセーナ尊者の我執我所執随眠が長きにわたってよく根絶されているから。それゆえウパセーナ尊者にはこのような(思い)はないのです。『私はなり』とか、『私のがある』とか、
mn72_1:「それゆえ如来は、一切の思い、一切のかき乱し、一切の我執我所執随眠尽滅離貪喜捨放棄により取着せず解脱していると私は説く」と。

mamaṅkara.1759625497.txt.gz · 最終更新: by h1roemon