| mamaṅ(ṃ)kāra |
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| 我所執 |
我所見, 我所執 selfish attachment, self-interest, selfishness
mamaṃ:私の + kāra:作者、所作、なすこと ⇒ 私のものとなすこと
伝統的な訳語を採用します。常套句のetaṃ mama:『これは私の(もの)』を示すようです。
Bhikkhu Bodhi氏は“mine-making”と訳しています。
また、attaniyaは辞書でも諸訳でも我所とされていますが、訳語を再検討すべきかも知れません。
類語 ahaṅkāra:我執、māna:慢、anusaya:随眠
| ‘ahaṃ paṭhamaṃ jhānaṃ samāpajjāmī’ti vā ‘ahaṃ paṭhamaṃ jhānaṃ samāpanno’ti vā ‘ahaṃ paṭhamā jhānā vuṭṭhito’ti vā’’ti. | 『私は初禅に到達している』とか、『私は初禅に到達した』とか、『私は初禅から出定した』」と。 |
| ‘‘Tathā hi panāyasmato sāriputtassa dīgharattaṃ ahaṅkāramamaṅkāramānānusayā susamūhatā. | 「このようであるのはサーリプッタ尊者の我執、我所執、慢の随眠は長きにわたって、よく根絶されているからです。 |
sn35.69:「しかしこのようであるのは、ウパセーナ尊者の我執・我所執・慢の随眠が長きにわたってよく根絶されているから。それゆえウパセーナ尊者にはこのような(思い)はないのです。『私は眼なり』とか、『私の眼がある』とか、
mn72_1:「それゆえ如来は、一切の思い、一切のかき乱し、一切の我執・我所執・慢随眠の尽滅、離貪、滅、喜捨、放棄により取着せず解脱していると私は説く」と。