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2つの意味があります。感覚器官である耳、それから流れです。
流れについてはsn55.5に次のような興味深い記述もありますが、普通に使われていた一般的な言葉のようです。
「サーリプッタよ、『(預流sotāpattiのsota)流れ、流れ』とこう呼ばれる。サーリプッタよ、いったい何が『流れ』なのか?」と。
「尊者よ、この八支聖道こそが『流れ』です。すなわち正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定です」と。
🟦耳🟦
| Sotaṃ na tumhākaṃ. | 耳は君たちのものではありません。 |
| Taṃ pajahatha. | それを捨て去りなさい。 |
| Taṃ vo pahīnaṃ hitāya sukhāya bhavissati. | それが捨て去られたら、君たちの恩恵と幸福になるでしょう。 |
🟦流れ🟦
| Tasmā khīṇāsavo bhikkhu ‘chinnasoto’ti vuccati. | それゆえ漏尽の比丘は『流れを断った者』と言われます。 |
| ‘‘Paṭisotagāmiṃ nipuṇaṃ, gambhīraṃ duddasaṃ aṇuṃ; | 流れに逆らい導く 精緻で深遠な見難い微小なものを |
| Rāgarattā na dakkhanti, tamokhandhena āvuṭā’’ti [tamokkhandhena āvutāti (sī. syā. kaṃ. pī.)]. | 貪に魅了され 暗黒の塊に覆われた者たちは見ない」と。 |
| ‘‘Chinda sotaṃ parakkamma, kāme panuda brāhmaṇa; | 「奮闘して流れを断て 諸欲を除け 婆羅門よ |
| Nappahāya munī kāme, nekattamupapajjati. | 牟尼は 諸欲を断じないと統一に到らない |
| rukkhā cepi jātā assu, te naṃ ajjholambeyyuṃ. | もし樹木が生えているなら、それらはそれ(川)にかぶさるでしょう。 |
| Tassā puriso sotena vuyhamāno kāse cepi gaṇheyya, te palujjeyyuṃ. | その流れによって運ばれている人が、もし葦をつかんでもそれらは崩れ、 |
| Samuddaninno, bhikkhave, gaṅgāya nadiyā soto samuddapoṇo samuddapabbhāro. | 比丘たちよ、ガンガー河の流れは、大洋に向き、大洋に傾き、大洋へ傾斜するからです。 |