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可意の, 適意の pleasing, pleasant, charming
頻出語です。そして多くの用例を訳していると、この言葉は可意の、適意のという訳語より、現代語の”好き”に相当するのではないかと感じました。そこで訳語を仮に表記に統一してみます。もし訳していくうちに、この訳語で意味が不自然だったり、整合しない場合は修正したいと思います。
類語
amanāpa:好ましくない、嫌な
| saddhā, bhikkhave, upāsikā ekaputtakaṃ piyaṃ manāpaṃ evaṃ sammā āyācamānā āyāceyya . | 比丘たちよ、信ある優婆夷が正しく祈願するなら、好きな愛しき幼いひとり息子にこのように祈願すべきです。 |
| ‘tādiso, tāta, bhavāhi yādiso citto ca gahapati hatthako ca āḷavako’ti. | 『息子よ、チッタ居士やハッタカ・アーラヴァカ(居士)のようになれ』と。 |
| So upaṭṭhaheyya pubbuṭṭhāyī pacchānipātī kiṃkārapaṭissāvī manāpacārī piyavādī. | 彼は先に起床し後に就寝し、何でも恭順になし、好ましく行い、愛しく話す者として仕えます。 |
| ‘‘Manāpapariyantaṃ khvāhaṃ, mahārāja, pañcasu kāmaguṇesu agganti vadāmi. | 「大王よ、私は好みの極みを五欲の第一と説きます。 |
| ‘‘Ayyikā me, bhante, kālaṅkatā jiṇṇā vuḍḍhā mahallikā addhagatā vayoanuppattā vīsavassasatikā jātiyā. | 「尊者よ、老衰した年長の老婆、高齢期に達し、生まれて百二十年の、私の祖母が最期を迎えました。 |
| Ayyikā kho pana me, bhante, piyā hoti manāpā. | しかし尊者よ、私にとって祖母は愛しく好ましかったのです。 |
| ‘‘Santi kho, migajāla, cakkhuviññeyyā rūpā iṭṭhā kantā manāpā piyarūpā kāmūpasaṃhitā rajanīyā. | 「ミガジャーラよ、眼で識られる、望ましい、所愛の、好ましい、愛しい、欲を近寄せ、魅了する諸色があります。 |
| Api ca me, āvuso, satthā pariciṇṇo dīgharattaṃ manāpeneva, no amanāpena. | そして友よ、私も長きにわたり不本意でなく好意をもって師に仕えてきました。 |
| Etañhi, āvuso, sāvakassa patirūpaṃ yaṃ satthāraṃ paricareyya manāpeneva, no amanāpena. | なぜなら友よ、師に不本意でなく好意をもって仕えること、それが弟子にはふさわしいからです。 |
| manasā dhammaṃ viññāya ‘manāpaṃ ittheta’nti pajānāti manoviññāṇaṃ sukhavedaniyañca. | 意で法を識って『これは、今ここで好ましいもの』と了知し、そして楽を受けうる意識があり、 |
| ‘‘Idha mayaṃ, bhante, yadā rājā pasenadi kosalo uyyānabhūmiṃ niyyātukāmo hoti, ye te rañño pasenadissa kosalassa nāgā opavayhā te kappetvā, yā tā rañño pasenadissa kosalassa pajāpatiyo piyā manāpā tā ekaṃ purato ekaṃ pacchato nisīdāpema. | 「尊者よ、ここに我々は、コーサラ国パセーナディ王が庭園地に出かけようとされる時、かのコーサラ国パセーナディ王の乗るに適した王象を準備して、かのコーサラ国パセーナディ王の愛しく好ましい妻たちを、一人は前に、一人は後に座らせます。 |