止, 止息, 寂止, 奢摩他; 滅諍, 滅, 滅法
”静まり止まった状態”を示す言葉です。経典の中ではvipassanā:観と対で使われることもあります。
またsaṅkhāra:諸行やsaṅkharoti:行作を静めて止めることが多く説かれています。
| Atha ca pana me sabbasaṅkhārasamathe sabbūpadhipaṭinissagge taṇhākkhaye virāge nirodhe nibbāne cittaṃ na pakkhandati nappasīdati na santiṭṭhati nādhimuccati. | それなのに私には一切諸行の止、一切依著の放棄、渇愛の尽滅、離貪、滅、涅槃に対して、心が躍動せず、浄信せず、住立せず、信解しない。 |
| ‘Sīghaṃ dūtayuga’nti kho, bhikkhu, samathavipassanānetaṃ adhivacanaṃ. | 比丘よ、『急ぎの一対の使者』とは止と観の指示語です。 |
| Idampi kho ṭhānaṃ duddasaṃ yadidaṃ sabbasaṅkhārasamatho sabbūpadhipaṭinissaggo taṇhākkhayo virāgo nirodho nibbānaṃ. | またこの道理も見難い、すなわち一切の諸行の止、一切の依著の放棄、渇愛の尽滅、離貪、滅、涅槃は。 |
| Saññāvedayitanirodhasamāpattiyā kho, gahapati, dve dhammā bahūpakārā – | 居士よ、想受滅等至には、二つの法が大きな助けとなります。 |
| samatho ca vipassanā cā’’ti. | 止と観察です」と。 |
| Katamo ca, bhikkhave, asaṅkhatagāmimaggo? | それでは比丘たちよ、無行作に至る道とは何か? |
| Samatho ca vipassanā ca. | 止と観察です。 |
| Katame ca, bhikkhave, dhammā abhiññā bhāvetabbā? | それでは比丘たちよ、証知して修養されるべき諸法とは何か? |
| Samatho ca vipassanā ca . | 止と観です。 |
mn35_3:『かの世尊は仏陀であり、覚りへの法を示される。かの世尊は調御されており、調御への法を示される。かの世尊は静まっており、寂止への法を示される。かの世尊は渡られて、渡るための法を示される。かの世尊は般涅槃されて、般涅槃への法を示される。』
sn45.159:「それでは比丘たちよ、何が証知して修養されるべき諸法だろうか?止と観察。比丘たちよ、これらが証知して修養されるべき諸法である。」
sn46.2:「比丘たちよ、止の特相、困惑なき特相があり、そこでの如理作意の多修。これが未生の定覚支の生起のため、あるいは生じた定覚支の修養・成満のための食である。」
sn48.50:「一切の諸行の止、一切の依著の放棄、渇愛の尽滅、離貪、滅、涅槃。尊者よ、彼の智慧。それはじつに慧根となります。」
mn48_2:『いったい私は、この見を習熟し修養し多修し、各々で寂止を得、各々で鎮火を得ているだろうか?』