cattarosatipaṭṭhana
文書の過去の版を表示しています。
| cattārosatipaṭṭhāna |
|---|
| 四念処、 四つの念処 |
四念住、四念処
cattāro:四つ + sati:念 + paṭṭhāna:発趣、出発点
諸経に身・受・心・法の四つの随観として以下のように説かれています。
これはsn45.8のsammāsati(正念)の定義と同じものです。
| ‘‘Ekāyano ayaṃ, bhikkhave, maggo sattānaṃ visuddhiyā sokaparidevānaṃ samatikkamāya dukkhadomanassānaṃ atthaṅgamāya ñāyassa adhigamāya nibbānassa sacchikiriyāya, yadidaṃ. | 比丘たちよ、これが唯一の道です —— 衆生の清浄のため、悲・悲嘆の超越のため、苦・憂の消滅のため、筋道の会得のため、涅槃の実証のための。それは、 |
| cattāro satipaṭṭhānā. | 四念処です。 |
| Katame cattāro? | いかなる四種か? |
| Idha, bhikkhave, bhikkhu kāye kāyānupassī viharati ātāpī sampajāno satimā, vineyya loke abhijjhādomanassaṃ; | 比丘たちよ、ここに比丘は、身において身を随観し熱意と正知と念ある者として住します。世間における羨望と憂を調伏しつつ。 |
| vedanāsu vedanānupassī viharati ātāpī sampajāno satimā, vineyya loke abhijjhādomanassaṃ; | 諸受において受を随観し熱意と正知と念ある者として住します。世間における羨望と憂を調伏しつつ。 |
| citte cittānupassī viharati ātāpī sampajāno satimā, vineyya loke abhijjhādomanassaṃ; | 心において心を随観し熱意と正知と念ある者として住します。世間における羨望と憂を調伏しつつ。 |
| dhammesu dhammānupassī viharati ātāpī sampajāno satimā, vineyya loke abhijjhādomanassaṃ. | 比丘たちよ、ここに比丘は、諸法において法を随観し熱意と正知と念ある者として住します。世間における羨望と憂を調伏しつつ。 |
出典: sn47.1
※上記の定型句を翻訳するときにvineyyaという単語の解釈が問題になります。文法的にはvineti(調伏する、教導する)の連続体です。この場合、連続体を通常の先行完了(して、した上で)とせず、並行動作(しつつ)と解釈するのが自然です。これは以下の用例を見てもわかります。
このsn54.10では、入出息念の定が説かれ、それが四念処になり得ると説かれています。もちろん入出息念が説かれる前から四念処は説かれていたようです。たとえばsn16.11にカッサパ尊者がブッダから直接教わったと思われる記述があります。
「カッサパよ、それゆえここで君はこう学ぶべきである、”そして快さを伴う身至念が私から去ることはない”と。」
出典: sn47.42
出典: sn47.3
出典: sn22.80
出典: sn43.5
| ‘‘Kathaṃ bhāvitāni ca, kuṇḍaliya, tīṇi sucaritāni kathaṃ bahulīkatāni cattāro satipaṭṭhāne paripūrenti? | しかしクンダリヤよ、三つの善行為はいかに修養され、いかに多修されると、四念処を成満させるのか? |
| Idha, kuṇḍaliya, bhikkhu kāyaduccaritaṃ pahāya kāyasucaritaṃ bhāveti, vacīduccaritaṃ pahāya vacīsucaritaṃ bhāveti, manoduccaritaṃ pahāya manosucaritaṃ bhāveti. | クンダリヤよ、ここに比丘は、身の悪行為を捨て去って身の善行為を修養し、語の悪行為を捨て去って語の善行為を修養し、意の悪行為を捨て去って意の善行為を修養します。 |
| Evaṃ bhāvitāni kho, kuṇḍaliya, tīṇi sucaritāni evaṃ bahulīkatāni cattāro satipaṭṭhāne paripūrenti. | クンダリヤよ、三つの善行為はこのように修養され、このように多修されると、四念処を成満させます。 |
出典: sn46.6
出典: sn47.17
出典: sn47.34
出典: sn48.8
出典: sn52.10
mn51_1:「なぜなら尊者よ、私たち俗人もまた折りにふれ、白衣でこの四念処によく確立した心で住するのですから。」1)
1)
現在でもタイなどの仏教国では在家者が白衣を着て、一時的にお寺で修行することが行われています。
cattarosatipaṭṭhana.1768507917.txt.gz · 最終更新: by h1roemon
