食, 食物 food; nutriment
通常の食物という意味以外に、仏教の専門用語として存在、生成に関する重要な意味があります。
食経に定義があります。
| ‘‘cattārome, bhikkhave, āhārā bhūtānaṃ vā sattānaṃ ṭhitiyā sambhavesīnaṃ vā anuggahāya. | 「比丘たちよ、これら四つは、存在する生類の存続のため、生成を求める者たちの支援のための、食です。 |
| Katame cattāro? | 四とは何か? |
| Kabaḷīkāro [kabaḷiṃkāro (sī. pī.), kavaḷīkāro (syā. kaṃ.)] āhāro – | 粗雑または微細な段食、 |
| oḷāriko vā sukhumo vā, phasso dutiyo, manosañcetanā tatiyā, viññāṇaṃ catutthaṃ. | 第二に触(触食)、第三に意思(意思食)、第四に識(識食)。 |
| Ime kho, bhikkhave, cattāro āhārā bhūtānaṃ vā sattānaṃ ṭhitiyā sambhavesīnaṃ vā anuggahāya’’. | 比丘たちよ、これらが四つの、存在する生類の存続のため、生成を求める者たちの支援のための、食です。 |
また『これら四つの食は、渇愛が起因で、渇愛が起源で、渇愛が出処で、渇愛が発生源である。』とあります。
これは、十二縁起の中の取と同じ位置となります。
mn38_2ではこう説かれています。
「比丘たちよ、『これが存在する』と見ているか?」と。1)「そうです、尊者よ」と。
「比丘たちよ、『それは食による生成である』と見ているか?」と。「そうです、尊者よ」と。
| Ime kho, bhikkhave, cattāro puññābhisandā kusalābhisandā sukhassāhārā’’ti. | 比丘たちよ、これらが四つの功徳の湧出、善巧の湧出、幸福の食です」と。 |
| ‘‘Seyyathāpi, bhikkhave, ayaṃ kāyo āhāraṭṭhitiko, āhāraṃ paṭicca tiṭṭhati, anāhāro no tiṭṭhati; | 「たとえば比丘たちよ、この身体は食によって存続するものであり、食に縁りて存続し、食なければ存続しません。 |
| evameva kho, bhikkhave, pañca nīvaraṇā āhāraṭṭhitikā, āhāraṃ paṭicca tiṭṭhanti, anāhārā no tiṭṭhanti. | まさにそのように比丘たちよ、五蓋も食によって存続するものであり、食に縁りて存続し、食なければ存続しません。 |
| Evañhi so, bhikkhave, mahāaggikkhandho tadāhāro tadupādāno ciraṃ dīghamaddhānaṃ jaleyya. | こうして比丘たちよ、その大きな火の塊はそれを食とし、それを取として久しく長い間燃えるでしょう。2) |
| Seyyathāpi, bhikkhave, pañca bījajātāni, evaṃ viññāṇaṃ sāhāraṃ daṭṭhabbaṃ’’. | たとえば五種類の種のように、比丘たちよ、そのように食ある識は見られるべきです。 |
| Āhārasamudayā rūpasamudayo; | 食の集起ゆえに色の集起があり、 |
| āhāranirodhā rūpanirodho. | 食の滅ゆえに色の滅があります。 |
| Āhārasamudayā kāyassa samudayo; | 食の集起ゆえに身の集起があり、 |
| āhāranirodhā kāyassa atthaṅgamo. | 食の滅ゆえに身の消滅があります。 |
| ‘‘Seyyathāpi, assaji, telañca paṭicca, vaṭṭiñca paṭicca, telappadīpo jhāyeyya; | たとえばアッサジよ、油に縁りて、灯芯に縁りて油灯は燃え、 |
| tasseva telassa ca vaṭṭiyā ca pariyādānā anāhāro nibbāyeyya. | まさにその油と灯芯の遍取ゆえに、食なきものとして鎮火します。3) |
| ‘‘dhammikaṃ samaṇā sakyaputtiyā āhāraṃ āhārenti; | 「沙門釈子たちは食を如法に食べます。 |
| anavajjaṃ [anavajjena (ka.)] samaṇā sakyaputtiyā āhāraṃ āhārenti. | 沙門釈子たちは食を罪なく食べます。 |
| Detha samaṇānaṃ sakyaputtiyānaṃ piṇḍa’’nti. | 沙門釈子たちへ食物を与えなさい」と。 |
| Atthi, bhikkhave, subhanimittaṃ. | 比丘たちよ、美しい特相があり、 |
| Tattha ayonisomanasikārabahulīkāro . | そこでの非如理作意の多作。 |
| ayamāhāro anuppannassa vā kāmacchandassa uppādāya, uppannassa vā kāmacchandassa bhiyyobhāvāya vepullāya. | これが未生の欲望の生起の、また既生の欲望の増大・繁栄の食です。 |
| Atthi, bhikkhave, asubhanimittaṃ. | 比丘たちよ、不浄の特相があり、 |
| Tattha yonisomanasikārabahulīkāro . | そこでの如理作意の多修。 |
| ayamanāhāro anuppannassa vā kāmacchandassa uppādāya, uppannassa vā kāmacchandassa bhiyyobhāvāya vepullāya. | これが未生の欲望の生起の、また既生の欲望の増大・繁栄の食なきことです。 |
sn12.63:四つの食それぞれが詳細な比喩をもって説かれています。(残酷表現あり、閲覧注意)
mn9:「友よ、聖弟子は食を了知し、食の集起を了知し、食の滅を了知し、食の滅に至る行道を了知することにより、友よ、このように聖弟子が正見者となり、その見はまっすぐに至り、法に確然たる浄信を具えた者、この正法に来た者となる。」