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欲,愛欲,欲念,欲情,欲楽 pleasure;lust;enjoyment;an object of sexual enjoyment
五つの感覚器官の対象:色・声・香・味・接触への欲のことですが、もっと一般的に…したい、欲しいということを表すときにも使われます。
愛欲(性欲)という意味に使われる場合は、とくに複数形kāmāやkāmesuという処格の形が多いようです。
類語 chanda:欲
| Tathā kho panassa kāmā diṭṭhā honti, yathāssa kāme passato, yo kāmesu kāmacchando kāmasneho kāmamucchā kāmapariḷāho, so nānuseti. | 彼には諸欲がこのように見られています。 —— 諸欲を見ている彼には、諸欲への欲望、諸欲への愛執、諸欲への夢中、諸欲への熱悩というものが随眠しないように。 |
| ‘‘Sattisūlūpamā kāmā, khandhāsaṃ adhikuṭṭanā; | 愛欲は刃物や槍のごとく 諸蘊は彼らの断頭台なり |
| Yaṃ tvaṃ kāmaratiṃ brūsi, arati mayha sā ahū’’ti. | 君が快楽と述べるそれは 私の不快となった」と。 |
| ‘‘Na santi kāmā manujesu niccā, | 「人々のうちにある諸欲は常住でない |
| Atha puriso āgaccheyya jīvitukāmo amaritukāmo sukhakāmo dukkhappaṭikūlo. | そこに生きることを欲し、死なないことを欲し、楽を欲し、苦を厭意する者が来るとします。 |
| ‘‘sanidānaṃ, bhikkhave, uppajjati kāmavitakko, no anidānaṃ; | 「比丘たちよ、起因なきではなく、起因あって欲尋は生じ、 |
| ‘labhantu lābhakāmā, puññakāmā karontu puññānī’ti; | 『得たい者は得よ、福が欲しい者は福をなせ』と、 |
| yathāsakena lābhena attamano hoti sumano, evaṃ paresaṃ lābhena attamano hoti sumano; | まるで自己の得により意に適い、嬉しくなるように、他者の得により意に適い、嬉しくなる、 |
| ‘‘Chinda sotaṃ parakkamma, kāme panuda brāhmaṇa; | 「奮闘して流れを断て 諸欲を除け 婆羅門よ |
| Nappahāya munī kāme, nekattamupapajjati. | 牟尼は 諸欲を断じないと統一に到らない |
| Idha, gahapati, ekacco kāmesu avigatarāgo hoti avigatachando avigatapemo avigatapipāso avigatapariḷāho avigatataṇho. | ここで居士よ、ある者は諸欲への貪が離れず、欲が離れず、愛情が離れず、渇きが離れず、熱悩が離れず、渇愛が離れていません。 |
| Tassa kocideva puriso uppajjeyya anatthakāmo ahitakāmo ayogakkhemakāmo jīvitā voropetukāmo. | (しかし)彼の不利益を欲し、危害を欲し、瑜伽安穏なきを欲し、命を奪うことを欲する何者かが現れます。 |
sn42.8:「尊者よ、ニガンタ・ナータプッタは、このように弟子たちへ法を説きます。『誰であれ生き物を殺す者は皆、苦界(に行く)者、堕地獄(に行く)者である。何であれ与えられざるを取る者は皆、苦界者、堕地獄者である。愛欲によこしまな者は皆、苦界者、堕地獄者である。誰であれ虚偽に語る者は皆、苦界者、堕地獄者である。」
mn14_1:『諸欲は楽味少なく、苦多く、悩み多い。そこにはより多くの危難がある』
sn1.20:「なぜなら友よ、諸欲は時間的で、苦多く、悩み多い。そこにはより多くの危難があると、世尊により説かれたから。」
mn45_1:「比丘たちよ、このような論ある、このような見ある一部の沙門・婆羅門たちがいる。『愛欲に過失はない』と。」