dasabala
十力
dasa:十の + bala:
力
如来
が持つ十の超人的な力のこと。
mn12_1
から抜粋します。
如来
は道理を道理と、非道理を非道理と、
如実
に
了知
する。
如来
は過去・未来・現在の
業
の
受持
の
果報
を、道理と
因
の面から、
如実
に
了知
する。
如来
は
あらゆる処
に至る
行道
を
如実
に
了知
する。
如来
は多数の
界
・種々の
界
から成る
世界
を
如実
に
了知
する。
如来
は
衆生
のそれぞれ異なる
志向
性を
如実
に
了知
する。
如来
は他の
生類
、他の人々の
根
の上下性を
如実
に
了知
する。
如来
は
禅
・
解脱
・
定
・
等至
の
汚染
・
純化
・
出定
を
如実
に
了知
する。
如来
は種々の過去の暮らしを
追憶
する。すなわち、一生も、二生も、三生も、四生も、五生も、十生も、二十生も、三十生も、四十生も、五十生も、百生も、千生も、百千生も、多くの
壊劫
も、多くの
成劫
も、多くの
壊成劫
も、『そこで私はこういう
名
で、こういう家柄で、こういう容姿で、こういう
食
の、こういう
苦楽
を
体験
し、こういう最終
寿命
であった。その(私)はそこから
死没
して、どこそこに
生じた
。またそこでは私はこういう
名
で、こういう家柄で、こういう
容姿
で、こういう
食
の、こういう
苦楽
を
体験
し、こういう最終
寿命
であった。その(私)はそこから
死没
して、ここに
再生
した』と。このように具体的かつ詳細な、種々の過去の暮らしを
追憶
する。
如来
は人間を
超え
た
清浄
な
天眼
により、
死没
・
再生
してゆく、劣った・優れた、美しい・醜い
衆生
を見て、
業
に従って
衆生
が
良くな
り、
悪くな
るのを
了知
する、『じつに、これらの
衆生
は
身の
悪行為
を備え、語の
悪行為
を備え、
意
の
悪行為
を備え、
聖者
たちを責め、
邪見
の、
邪見
業
の
受持
者ゆえに、彼らは
身の
崩壊
より死後に
苦界
・
悪趣
・
堕処
・
地獄
に
再生
した。しかし、これらの
衆生
は
身
に
善行為
を備え、
語
に
善行為
を備え、
意
に
善行為
を備え、
聖者
たちを責めず、
正見
の、
正見
業
の
受持
者ゆえに、彼らは
身の
崩壊
より死後に
善趣
である天界に
再生
した。このように人間を
超え
た
清浄
な
天眼
により、
死没
してゆく
衆生
、
再生
してゆく
衆生
を見て、
業
に従い、劣った、優れた、美しい、醜い、幸福な、不幸な(境遇)に行く
衆生
を
了知
する。
如来
は
諸漏
の
尽滅
ゆえに、
漏
なき
心解脱
・
慧解脱
を、まさに
現法
で自ら
証知
して、
実証
して、
具足
して住する。
如来
にはこれら
如来
の
十力
があり、その
力
を具えた
如来
は牛王の立場を自認し、会衆に
獅子吼
し、
梵輪
を転ずる。
‘‘dasabalasamannāgato, bhikkhave, tathāgato catūhi ca vesārajjehi samannāgato āsabhaṃ ṭhānaṃ paṭijānāti, parisāsu sīhanādaṃ nadati, brahmacakkaṃ pavatteti .
「比丘たちよ、
如来
は
十力
を備え、
四無所畏
を備え、
牛王
の立場を自認し、会衆のうちで獅子咆(ししく)し、
梵輪
を転じる。
出典:
sn12.21
‘‘Imesañca panāhaṃ, āvuso, catunnaṃ satipaṭṭhānānaṃ bhāvitattā bahulīkatattā ṭhānañca ṭhānato aṭṭhānañca aṭṭhānato yathābhūtaṃ pajānāmī’’ti.
「また友よ、私はこれら
四念処
の
修養
・
多修
により、道理を道理と、非道理を非道理と、
如実
に
了知
します」と。
1)
1)
➡
十力
出典:
sn52.15